20230706 遠くへ、あるいは卑近なほど遠くへ

にゃるらが怖い

『ぼっち・ざ・ろっく!』はひとりちゃんが順当に成り上がっていくルートがいくらでも見えて、取り残されていく感じがあって、それよりは『ソラニン』の何者にもなれないけど痛みとともに大丈夫になってしまう感じとか、『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』の成り上がりが常に後景でしかなく、それが前景化する瞬間に大切なものの喪失に気づく痛みとか、そういうものだけがリアルだと思いたいけれど、成り上がる/成り上がらない・勝ち/負けじゃないと言うためにこそ何らかの「本気さ」は要請されて、その「本気さ」があまりに主観的すぎると狂人になってしまう、なっていいのかもしれないけれど

成り上がる、というのはたしかに遠くへ行ってしまうことで、でも欲望としてはこの上なく卑近だ


それは遠いのに近すぎる


みんなが向かっている(向かわされている)方向とは全く異なる、もっと別の遠いどこかへ行きたくて、それを共にまなざしているような気がしたから好きだったのに、自分たちの知らないところでまっとうな道を歩む準備をしていて、ある日じゃあなって言って自分だけが乗れるバスで突然帰って置き去りにされた、ような感じがするからにゃるらが怖い
宿題しないテスト勉強しない学校毎日来ない みたいな顔してた奴が実は裏でずっと東進通ってた それは決して悪いことではないから何も言えないけども個人的にはすごく悲しい
(俺のなかで好きだった彼の側面を、彼はずっと克服すべきコンプレックスだと思っていたことになるから)

やりたいことやる が、 勝ちたいやり方で勝つ とか 好きなことで稼ぐ とかとイコールだったとしたら苦しい でもそういうことよりも、基本的に本気でやりたいことやるっていうのは苦しいことで、その苦しさから逃げるとやりたいこと自体が失われていく、という現象のほうが苦しい

苦しさが楽しみに転化するレベルまで頑張ったほうがいい 勿体ないから 妥協の苦しみやめよう やりたいことで苦しみたい そしてもっと遠くへ行きたい ごまかしのない息ができるどこかへ でもこの感情も明日には全部嘘になっているかもしれない ツギハギの意志 ツギハギじゃない意志 彼はそのような苦しみをきっと知らなかった 俺にはにゃるらがすごく怖い


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