20230705 映画『怪物』感想

是枝裕和監督+坂元裕二脚本+坂本龍一音楽の映画『怪物』。予想の百倍良かったです。今年、これ以上の映画が出てくる気がしません。おい駿、聞いてるか?

ネタバレ無しで感想を書くとなると難しいですが、話がべらぼうに面白い、人物描写が多面的で多層的、全員嫌いになれない、現代性の盛り込み方が絶妙すぎる、ショタの色気がエグすぎる、隠喩が練られすぎている、場面の切り方で余白を作るのがうますぎる、マジか、最高か、君たちはどう生きるか、という感じです。

観てない人今すぐ全員映画館に行って観て感想書いてください。以下、ネタバレ感想です。


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なんかこう、「それぞれに真実がある」的な、「正義の反対は正義」的な俗流相対主義とは似ているようで全く異なる地点に辿り着いていて、すごくて、この違いは何から生まれているのか、というのをまず考えたくなってしまう。
思うに、俗流相対主義では、「だれかの物語では悪役になる」→「だから悪でいい」「悪を引き受けることがむしろ正しい」という安易な開き直り(決断主義)を生んでしまいがちだ。対して、『怪物』のなかには、そういった自己完結的な決断主義者はほぼいなかった、といってよいと思う。そうではなくて、自分が「悪」になってしまう瞬間が自分自身では見えないこと、悪意を持った故意の「加害」でなく無自覚の「過失」によって他者を傷つけ、いつの間にか誰かにとっての「怪物」になってしまうことの「悪」をどうするか、というのが同作の主題であったように思う。少なくとも、それぞれの章の視点人物(早織さん=湊の母、保利セン、湊くん)は「過失」にも「加害」にも開き直っていない。彼らは彼らなりに自分のまっとうさを貫いただけだ。

「怪物」とは何か。序盤の展開から、サイコパス的な「悪」、「加害」的決断主義者のことかとミスリードさせられるが、終わってみれば作中にそのような人物はいないことに気づく。星川くんの父が近そうに見えるが、彼はアルコール中毒という中動態的ぬかるみにはまりながら、やはり彼の「正常さ」の中で自分の息子をどうにかしようとしているだけであって、つまり「加害」でなく「過失」なのだ。校長も、早織・保利視点では自覚的な「悪」であるように見えるが、湊が早織にした話が彼自身の話でなく、星川くんが父に受けていた虐待を話したのだとすれば、学校側が何もしていないというのは正しく、校長はやはり自分視点でまっとうな態度を貫いたことになる。そして、保利センの学校突撃の際に、湊によって彼女は初めて自身の無自覚な「過失」に気づくことになる。

そう、「怪物」とは、この無自覚の「過失」によって知らず知らずのうちに他者を追い詰めてしまう人の姿を指す。そしてそれは、誰もが原理的に陥らざるをえない「悪」なのである。

それを象徴するのが、湊が星川くんと棄てられた電車で「かいぶつ、だーれだ」のゲームをするシーンだろう。ゲームのなかでは、自分が何の「かいぶつ」なのか己自身では確認できず、コミュニケーションを通して他人の視点を借りることでしか自らの実相に近づけない。そして、二人がカードに書いた「かいぶつ」は悪魔やゴブリンではなく、カタツムリやナマケモノといったごくふつうの「動物」だけだ。つまりこの映画における「怪物」とは、悪魔のように自覚的な「悪」ではなく、特別な悪意など持たないごく「普通」の人間のなかの自覚できない「悪」なのである。


これを踏まえた上で、非凡なのは物語のラストである。自らの「過失」に気づいた保利と早織が、台風の中で消えた湊と星川を探すが、二人は見つからない。しかし、台風が明けた後、二人は土の下から出てきて、トンネルの先の小さな光へと走り出す。生まれ変わったのかな。そういうのはないと思うよ。よかった。──いつか来たときには道を閉ざしていた柵が薙ぎ払われている。

同作が視点移動モノを採用しながら、それが陥りがちな俗流相対主義から決定的に遠く離れた地点へと到達してみせたのは、この真空的な結末があってこそのように思える。ここにおいて、「善」だの「悪」だの、といった面倒な手続きは存在しない。自身の無自覚な「悪」にどう向き合うかとか、犯してしまった「過失」をどうケアするか、といった年寄りたちのうだうだした問題は一切介入する余地がない。僕たちが決して知ることのできない、二人だけの一晩を過ごして、湊と星川はいつのまにか大丈夫になっている。なるほど、たしかにそれだけが全てなのだった。あなたは、いつか自分が彼らの片割れだった季節を、まだ覚えているだろうか?


おまけ:好きなポイントメモ

・早織の人物造形のバランス感覚、すげ~~。ふつう、「やや過保護ぎみで、不可避的に子に依存しつつも亡き夫の遺言を守ってしっかりした母親になろうとするひと」を考えたときに、並みの作り手なら言動にわざとらしさが混入してもおかしくないが、ぜんぜんなかった。
・保利センがマジ好き。保利センをからかう女たちが全員良い。見放すのもわかる。
セリフ(男の「大丈夫」と女の「また今度」は~)の回収、ベタだけどやられたら普通に気持ちよくなるな。
・星川くんが「ごめん、やっぱり嘘だった」って言って家から出てくるシーン良すぎるな~~~。「かいぶつ、だーれだ」ゲームでの湊の言葉(ナマケモノ→無抵抗、感じないように耐える→「それは星川依里ですか?」)を思い出して逡巡した瞬間があったんだろうな。

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