20230710 ルールブック信仰

糸井重里『ボールのようなことば。』に入っている「まずは、ボールだ」という文章、ものすごく平易に書かれていながら、ある種の臆病な人にはとんでもなくぶっ刺さるようにできている。
曰く、サッカーや野球をしたいときにまず必要なのはボールであって、とりあえずボールと戯れていくことからすべてが始まるのだが、ときに人はルールブックから手にしたがる。しかし、それを暗記したとして、なにも始まらないのだ、と。

あなたにいま必要なのは、
ボールを蹴ること、ボールを投げることです。
目はルールブックを読むんじゃなくて、
ボールの飛んでいった先の空を見るためにあるんです。

糸井重里『ボールのようなことば。』ほぼ日文庫 22項

ゲームの中で失敗するのがこわくて、ルール違反するのがこわくて、ルールブックや攻略本を過度に信仰してしまう、という心理はすごく良くわかって、ようはプライドが高いということなんだろうけども。
恐ろしいことに、分野によっては、むしろこのタイプの人は傍から見て勉強熱心で真面目に映ってしまう。実際は、色々と遅れてるというだけだ。時が経つにつれて、ゲームの中で実戦経験を重ねる人の差は圧倒的に開いていく。関係としての距離も離れていく。高くなる理想と、変わらない現実とのギャップに締め付けられていく。その苦しみから逃れたくて、またルールブックを開く。どこかに自分の見落としていた記述があって、そこにすべてを変える方法や、通常では思いもよらないような裏技が載っているかもしれない。ページをめくる手が震えている。本当は全部に気づいている。この世界を生きることのルールブック──そこにはなにも書かれていないということに。







そのルールブックを今すぐ捨てろ

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