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#20 人生イチの激痛?! 尿管ステントカテーテル留置術 【3度目の正直・完結編+ちょっと母】

車椅子で、2階にあるX線治療室へ送って頂く。
13:58pm

この午前中、耳鼻科の往診(病室での診察)があった。
実は、数日前から、右耳に異変を感じていたのだ。
ダイビングの潜水で、うまく耳抜きができない感じ。音がくぐもって聞こえる。術後、主治医から、ダイビングの再開許可は貰ってない。理由はなんだろう?

病室に来てくださったのは、これまたキリリと、とてもカッコいい先生。
30代くらいの女性のドクターが研修医を従えて、颯爽といらっしゃった。

早速、テキパキと診察が始まる。
眼振があるとのこと。
「めまい、ありますね。メニエール疑いです。月曜日に診察室でしっかりと診ますね。」
聞こえも悪い。
「突発性難聴、ですね。ストレスでしょう。」

うう・・・。
重ねて素敵なものは、経験や、相手にぬくもりを伝えるための手や、十二単だ。借金や、病名などではない…。
もうすぐワタシはこの病院の、全診療科マスターになってしまうではないか(6月末のがん手術後、緑内障と橋本病も、見つかっている。ポケモンマスターではあるまいし、マスターしても誰からも褒められることではない)。

ストレスの原因として、後で先生と話をしたのだが、この「堪え難いがん性疼痛」意外に無かろう、ということで、ひとまず結論。
かつての健康優良児が、こんなに軟弱化しているとは。今、この身体でシベリアに送られたら1週間も持たないだろう…。(イケナイ、脱線の兆候が見られるので、この辺あたりにてカット。)

泌尿器科のO先生が迎えてくださる。治療室には、お二人の先生、放射線技師。それぞれ自己紹介をくださる。手術に向かう前、がんの疼痛を抑えるためのモルヒネを飲んできている。あとは1日3回定期服用のロキソニン1錠。点滴でアセトアミノフェン。これが、痛みから守るワタシの防具の全てだ。
いや、違った。
「(どんなに痛くても)絶対に、一度も、痛いと言わない」という誓いを立てたのだ。これ以上の、強靭な盾はない。

前処置が終わって、内視鏡の挿入が始まる。ボールペンサイズのアレだ。
「ここが、一番痛いところです。頑張ってください。」と先生。

ものすごい激痛だ。確かに、未体験ゾーンの痛み。目から星が3つは出ている。命懸けで、副交感神経を高める呼吸に集中する。吐く息を、吸う息の倍の長さにする。ワタシは、ヨギ(ヨガをする人)の端くれだ。今こそ、マインドフルに行くのだ。

#16でご紹介した、リンポチェ(チベット仏教の指導者)の師は、開腹手術を麻酔なしで施行したという。医師団は、生死に関わると強烈に反対し、最後の最後まで麻酔薬を使うよう勧めたが、師は、強硬に、不要です、と主張したのだという。師は、たったの一度も叫びも苦痛の喘ぎの声すらも上げながった、とのこと。

開腹術と、この局所手術は高尾山とエベレストだ。高尾にはデスゾーンもない。比べてはいけない。わかっている。

そうだ、ガザの病院も、麻酔なしの外科手術という極限状態はずっと続いている。彼らと、遠い空を隔てた、連帯だ。
ボンヤリと、とそういう思いに、集中してみる。

苦痛は増しているが、吐く息を強くして、必死で耐える。

時折、先生が、「痛いですよね、大丈夫ですか、止めましょうか」と気遣ってくださる。掠れた声で、大丈夫です、と伝える。

カテーテルを挿入する。初めこそ順調であったが、程なく、狭窄部位にぶつかったようだ。
「透視、出して!」と指示が飛ぶ。
レントゲン透視で、尿管を傷つけないように慎重に、突破口を探る。
術前説明で、狭窄が進行して完全に閉塞していた場合には、カテーテル留置術は中断せざるを得ないこともお聞きしていた。

ひっそり、映画「黒部の太陽」を思い出していた。
破砕帯だ…。
ここにいらっしゃる先生方は、石原裕次郎で、三船敏郎だ。
ワタシが逃げ腰でどうする。一世一代の、必死の瞑想呼吸で乗り切るぞ。

どうにか、一つ目の狭窄部位を切り抜けたらしい。が、程なく、二つ目の狭窄にぶち当たったようだ。先ほどとは違う緊張感が走る。「透視!」の声の後、先生方が同士が相談している様子が聞こえる。
「糸、出せる?」「写真、もっと右、回して」「いけるかな」「大丈夫、ここ。やれる」
少し、進む気配。

厳しい痛みは続いているが、ワタシの心は、祈りの一点に集中している。
先生方が、どうか、やり抜いてくださいますように。

「やっぱり。腎臓、よじれてる。右向いてる。一旦退く。」
数秒の会話の後、再開。

百戦錬磨とはこのこと。別室で画像を操作する技師も、阿吽の呼吸で、医師が見たい角度で写真を出している様子。すごいチームワークだ。
先生の口から、初めて、ふっと息が漏れる。

14:56pm
「無事、終わりました。成功です。よくがんばりましたね」
「ありがとうございました」それだけしか言えなかった。

最後まで、「痛い」とは絶対に言わなかった。自分との小さな約束は果たした。
手術室を出たら、訳もなく、熱い涙がとめどなく溢れてきて、止まらなくなった。

先生は、「我慢したんですね。心の辛いことも多いでしょう。明日も病室に行きますからね」と肩を抱いてくださった。

先生方が、あれだけ全力を尽くしてくださっているのに、痛いというのは失礼だと思ったんです、と言いたかったけれど、できなかった。自分でも理由がわからなかったし、嗚咽で、何も言えなかったからだ。


===
病室にもどり、少し眠る。
夕方、ちょうど目が覚めた頃、母が見舞いに来てくれた。

当初は、1月22日から、2泊3日の入院の予定だった。
抗がん剤投与後の魔の1週間を乗り切れば、あとは一人でもなんとかなるから、そのくらいの間、母には、東京にご逗留いただける、という話だった。
だが、TC療法の第二クールはキャンセルに。
治療計画を見直すことになり、どうも入院が長引きそうだ、という連絡だけ入れておいた。
母には、大阪での用事も色々と大変だろうから、一度帰ってはどうか、とも話しておいた。

しかし、ここからが、天晴れサスガ我が母なのだが、
例の健康麻雀教室に先ず、「娘が、アレでして、1ヶ月は戻れませんので、皆様よろしくお取り計らいのほど、何卒」と一報を入れたという。その後、あれこれ相談の電話がワンワン鳴ったらしいが、まあ、適当にお願いができたとのこと。(どうせ、麻雀牌を拭くのはアルコール入りティッシュがいいか、アルコール無しがいいか、とか、お茶菓子を出す小さいバスケットはどこにしまってあるかとか、そういう話だ・・・)

ただ、いつの間にやら、会員60名超のこのサークル、さらに入会希望者が増えて、74名となったとのこと。そこで、世話人を手伝ってくれている、マルちゃんは大いに動揺し、新人さんが来る、アノ日と、コノ日と、アレアレの日は、どう切り盛りしたらいいか、細かい相談が入ったという。

「マルちゃんの思う通りにしたらいいのよ、そんなに慌てることないのに。あんまりに細かい心配をしているから、お返事していないわ」と、母はワタシに言った。

ワタシは、「じゃあ、そのまま、マルちゃんに、貴女の思うようにして頂戴、それで大丈夫だから、と言ってあげたら?」と言ってみた。
多分、これで、マルちゃんは、母に頼りきりの会員達が、ザワザワとした時に「事前にマツウラさんと相談しましたので!」と、印籠も出せるではないか。
母もニッコリして、「そうね!」と言った。

心理学者の河合隼雄さんが、クライアントと付き合う極意として、素晴らしい名言を残してくださっている。

カウンセリングの極意とは、温かく突き放し、冷たく抱き寄せること。

河合隼雄『新療法対話』岩波書店、2008年

製薬会社にいた時に、MR(医薬情報担当者)の教育担当チームと様々なプロジェクトをご一緒させていただく機会に恵まれた。真剣な討議、対話の全てが、興奮の連続で、最高に楽しかった。様々なセミナーにご一緒させていただき、延長戦を、ワイン片手に語り合ったことも、素晴らしい思い出だ。

そういう時間の積み重ねの結果、営業戦略の基本に、コーチング理論も組み込んで、古今東西の名言も端書きに散りばめた、営業活動のバイブルが完成した。営業担当者(MR)向けのバイブルができたら、次は、マネージャー用、リーダーシップのバイブルだ。
その仕事を通じて学ばせてもらったことが、ワタシの背骨になっている。

If you want to build a ship, don't summon people to buy wood, prepare tools, distribute jobs, and organize the work; teach people the yearning for the wide, boundless ocean.
       Antoine de Saint-Exupery

船を作りたいなら、木材を買い集め、道具を取り揃えて、男たちに、この板に釘を打ち付けろ、ここを繋げ、と
仕事を割り当てて、作業を取り仕切ろうとするのではなく、
広く、果てしない、海への憧れを教えなさい。

『星の王子さま』のサン=テグジュペリの言葉。
英文の和訳は、筆者による意訳、拙訳。

なんでも、自分で決めて、自分で立ち向かうしかないのだ。
その時に、自分を信じられる心があるか、信じてくれる人がいるか。
自分の心を支えてくれる言葉があるか。憧れが、胸にあるか。

憧れは、素直な心に宿るのだと思う。不思議さや、美しさを、素直に感じる心に。星空や、海や、道端の可憐な花や。圧倒的な、自然。
幼い頃に、そんないくつもの風景を見せてくれた、母に感謝している。

(この洞察は、この書籍から。病を得てから、この辺りの心と身体の成長への相互作用を深めたくて、今西錦司の自然学を紐解いているところ。お詳しい方がいたら、ぜひご指南いただきたい!)


そうそう、
この日、無事に尿道ステントが入り、これまた、また奇跡的に、この翌日から、CCRT(放射線治療とシスプラチンの併用療法)がスタートできることになった。
骨盤の“がらんどう“で大きくなりつづける、異常に活発ながんに、明日、一発目の核弾頭をお見舞いするのだ。

そして、ワタシの入院期間だが、ひとまず、おおよそ5〜6週間との見立てとなった。母の「宣言」通りだった。
参りました。


写真は、2017年、母と旅行した伊勢志摩。
今は廃業してしまった「タラサ志摩」にて。
草間彌生のオブジェがあったりして、素敵なホテルだった。





 











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