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葦
2021年5月2日 17:11
自分の中にある、鬼のように厳しい部分が、きっと後天的なものでないことはわかっていて、それが自分の本質だとも感じている。誰かを不用意に傷つけかねないこの特性を、忌々しく思う反面、自分の中に煮えたぎる炎を見つけると、いつも烈しく「生きている」と感じる。だから私をやめられない。
2021年5月18日 22:15
なんかふいっと、歌うことも、何かの依り代になることなのかな、と思った。誰かが伝えたかった、言葉にできなかった何かを。私が歌にして伝えられたら。そこに私の自我なんて要らないのかもしれない。