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落語の海に飛び込んだら、リビングが「らぶらく」になった。

うちのリビングには高座がある!
もし「家、ついて行ってイイですか?」のディレクターが家に来たら、絶対に食いつくアイテムだ。
高座とは落語をやる舞台。
なぜそんなものが、さほど広くない、むしろ狭いリビングで大きな顔をしているのか。それは、ここで毎月落語会を開いているからだ。

今から2年前。
会社の同僚が、実は落語家になりたくて弟子入り志願していたとネタのような話をしてくれた。その彼が飲み会の時に、落語をちょっとだけやってくれたのだ。話しはじめた途端、場の空気がさーっと変わった。さーっじゃない、しーんだ。喋っていたみんなが黙り、話に引き込まれた。
びっくりした。
落語ってこんなに求心力があるの?
いや、彼がうまいのか?
でも素人だよ。
プロはもっとすごいの?
落語ってなんなんだ?

それから私の頭の中に「落語」の二文字がどーんと居座った。
飲み会で落語をやってくれた彼が、寄席に行ってみればいいよと言ってくれたけど、なんだかハードルが高かった。
誰か誘ってくれないかなと思うが、誰も誘ってくれない。
当たり前だ。誰も私が落語を聴きたいと思っていることを知らない。
「私の頭の中の落語」を誰かが見たのか、会社で落語会が開催されることになった。入社して15年、落語会が開かれるなんて初めて。
うまくいく恋は、お互いの都合が奇跡のようにあって、すんなりデートができるように、焦がれていたら落語の方から近づいてきてくれた。
付き合いませんか? もちろんよ。付き合うに決まってる。

そこで春風亭一之輔師匠を聴いた。
面白くて、倒れた。いや倒れはしなかったけど、倒れるほど笑った!
私のイメージしてた落語とは全然違ってた。ご隠居さんや熊さん八つぁんが出てくるけど、江戸の雰囲気のなかに現代の風がひゅーんと吹いて、わかりやすくて話に引き込まれた。
翌月、一之輔師匠が新宿末廣亭にでているのをHPで知って行ってみた。
土曜日に行って面白かったから、日曜日も行った。
月曜日も火曜日も水曜日も会社帰りに行く。
5日間、全部違う噺だった。
なんの知識もなく、ただ座って聴いているだけなのに、ものすごく楽しかった。

寄席が、一か月を上席(1日〜10日)、中席(11日〜20日)、下席(21日〜30日)に分けて、昼の部、夜の部と出演者を変えて興行していることを初めて知った。
ついでに言えば、東京には末廣亭のほかに浅草演芸ホール」「上野鈴本演芸場」「池袋演芸場の四つの定席があり、毎日やっている。今さらっと毎日と書いたけど毎日やっているなんて思いもしなかった。
●落語家は、見習い、前座、二つ目、真打の身分制度があること。
●落語界には、東京は落語協会、落語芸術協会、落語立川流、五代目円楽一門会の四派があり、派閥によって出演できる寄席が決まっていること。(大阪には上方落語協会がある)
●入場料を木戸銭と言うこと。
●落語会を開催する人を席亭と言うこと。
●落語家を呼ぶときは、亭号(春風亭)ではなく名前(一之輔)で呼ぶこと。(真打は〇〇師匠(講談の場合は先生)、二つ目、前座の方は、〇〇さん。)
落語を知っている人には当たり前すぎて、そんなことも知らないのかと言われそうだが、そんなことも知らなかった。
知ったからといって、なんてことはない。
知らないより知っていたほうがいい程度だ。
貯金がないよりあったほうがいいのと同じくらい。
いや、貯金はあったほうがいい。あるに越したことはない。

それから私は、落語会を検索して、あちこちに出かけた。
なかでも「渋谷らくご(通称・シブラク)」は、初心者でも楽しめる!のキャッチフレーズ通り、若手の演者さんが多くてぴったりきた。
人は自分にないものを求めるらしい。還暦過ぎて落語に目覚めた私は、無意識に若さや新しさを求めていたのかもしれない。

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その「シブラク」で春風亭昇羊さんの「そば清」を聴いて、びびった。
二つ目になって間もないのに、まったくかまない。語り口がていねいで、話がすーっと入ってくる。何より、高速でそばを食べるしぐさが、おかしすぎる。おまけになんとイケメンで色っぽいこと。そこか。そこだ。
ズキューン♥

落語の素敵なところのひとつに、演者さんとの距離が近いことがある。
落語会が終わった後、演者さんが出口で待っていてくれる。お見送り。
話もできるし、写真も撮れる。望めば握手もできる。
さっきまで高座でしゃべっていた人が目の前にいる。
例えばミスチルのコンサートに行ったとしよう。
終了後に、出口で桜井さんが待っていて、「きょうはありがとう」って言ってくれたらどうする。テンションあがるでしょ。きゃーってなるでしょ。
大きな落語会や大御所の師匠たちはやらないかもしれないけど、二つ目や若手の真打は、時間があればやってくれる。
これは驚愕だった。お見送り。なんと素晴らしいシステムよ。

昇羊さんのほかにも若手で面白い落語家がたくさんいることを知った。
一之輔師匠以外にも、倒れるほど面白い師匠方がいることを知った。
さまざまな落語会や寄席に行くうちに、落語には、引き継がれてきた古典だけでなく、落語家さんが作る新作・創作と呼ばれる話があることを知った。
これがまあ面白い。古典を覚えてやるだけでなく、話を作り、それを演じる。落語家はなんて才能豊かなんだ。

落語だけでなく、講談や浪曲も聴くようになり、気が付いたら、落語の海でぷかぷか浮いていた。
浮くだけじゃ物足りなくて、聴くうちに書きたくなって、書いてみた。
1本は、会社の落研出身の若手が演じてくれ、社会人落語選手権に応募した。→予選突破ならず。
もう1本は、落語協会の新作台本に応募→最終選考にも残らずあえなく落選。そううまくはいかない。現実は厳しいのだ。

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2019年、私は133回落語会に行った。おおよそ400席を聴いたことになる。たくさん聴けばいいいわけじゃないし、聴いているのは主に二つ目で、大御所や過去の名人をまったく聴いてない。なんだか邪道な気もするが、正統でも邪道でも落語の神様は差別をしないはずだ。

話をリビングの高座に戻そう。
落語がこんな面白いものだとは知らなかった。
落語の面白さは、
●新しい話を聴く楽しみ
●新しい落語家を聴く楽しみ
●同じ話を違った落語家で聴く楽しみ

だと思う。
もっと若い時に落語を知っていれば、志ん朝も談志も歌丸も(敬称略)生で聴くことができたのに。
ああ、なぜ私は落語に興味を持たなかったのだろう。
後悔しても時間は戻せない。
ならば、まだ落語を聴いたことがない人に、聴いてもらいたい。
こんな面白いものを知らずに生きていくのはもったいない。
突如、使命感とも大きなお世話ともいえる感情が沸き上がってきた!

うちで落語会をやりたい!
この無謀な野望を誰も笑わないどころか、応援してくれた。
飲み会で落語をやってくれた彼からは、いい座布団を買うことを強くすすめられた。「座布団は演者さんの舞台だから」と熱く語られ、喜んでオーダーした。そしてめくり(演者名など書いて高座の袖の台に下げておく紙)を書いてくれるイタリアンのシェフも紹介してくれた。
シェフのお店で、隣に座った人が、海のものとも山のものともわからない第1回目の落語会に来てくれ、それから常連になってくれた。
友達がめくりを下げる台をポールを加工して作ってくれた。
落研君は、音響を手伝ってくれた。
娘は、出演交渉の文面に赤字をいれてくれ、受付を手伝ってくれた。
何かを成し遂げた人がよく「私一人の力じゃないんです。みんなが助けてくれて」とインタビューで答えているのを読んで、ずっとウソだと思っていた。そんな都合よく助っ人が現れるわけがない。
でも、現れた。
私はまだ何も成し遂げていないけど、周りの人が背中を押して、手をつないで引っ張ってくれた。

リビングに高座ができたのである。
第一回目は会社の落研君の同期である月亭秀都さんに来てもらった。
二回目以降は、私が面白いと思った落語家に直接コンタクトを取って、出演を依頼。そのためにTwitterも始めた。

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定員17名の小さな寄席「love落語(らぶらく)」は、今まで19回開催。
さあ20回目というときに、コロナ騒動が起きた。
4月、5月、6月は中止にしたが、三密の極致のような狭さなので、しばらくは難しそうだ。

「落語はお客様の頭のなかで想像して楽しむ娯楽。
より想像力のある人が楽しめる」

5月に真打に昇進した瀧川鯉八師匠がまくらで話していた言葉だ。
「らぶらく」を再開する日を想像し、今年も落語協会に応募する落語台本を書いている。想像の中で私は最優秀賞を獲得して、落語作家としてデビューする!憧れの昇羊さんから尊敬のまなざしで見つめられているのだ。どうだ。
「らくごはごらく」。ただ、そこに座って聴けば楽しめる。

#キナリ杯

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