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小和田氏の憎まれる理由 ~大変な間違い修正と謝罪~

昨日の朝は路上にもあった雪が、今朝は歩道にも路上にもなく、歩道の隅に溶けない雪が積もってるくらい、その代わり、歩道は濡れてますから散歩も大変。それでも少し遠くまで歩いたのでラブは満足の様子。買い物の間の留守番は、玄関脇のキャリーバッグの中で待ってました。基本、お留守番も自由にしてますので、その日のラブの機嫌?で今だったり猫ベッドだったりします。留守の間にいたずらはしません。私の気を引きたいときにしますよ。

大変な間違いというのは、秋篠宮の結婚の儀が6月29日で7月1日と思っていたのは祝宴の儀でした。
もう、穴があったら入りたいほど恥ずかしい間違いです。大変、申し訳ありません。しかも、誤字も多く気付いた端から直しているのですが、これも恥ずかしい限りです。
これでも見直ししてるのですが、せっかちだからでしょうか?思い込みが激しい?暗号文のような記事を取り上げてくださったkickbell様やal96様には、この場からお詫びします。
暗号文のような記事をめげずに読まれた読者様には感謝しかありません、
有難うございます。


歴史に明らかになっている事実に、私なりの推理、想像もまじえながら本妻探しの記事を書いてきました。
その中で読者様から興味深い情報をいくつかいただきました。
一つは、結婚前の紀子さんが韓国に行った際に皇宮警察が同行していることや、タイにも同行してることです。前は病院、後者は宮殿。
もう一つは、海部元総理が退陣の際に「自分の胸に仕舞ったまま去ることがある」と話されたということです。

皇宮警察の件は後日、記事にしたいと思います。
私が今日、気になったのは海部元総理です。
海部元総理は1989年8月10日から1991年11月5日までの在職期間です。
秋篠宮家やタイとの問題の真っ最中の総理でした・・・

【決定的な失政があったとみなされたわけでもなく、本人のクリーンで爽やかなイメージは根強い国民の支持を得続けた。在任中の内閣支持率は高い時で64%、退任直前でさえも50%を超えており[42][43]、煮え切らない不完全燃焼の中での退陣となった】ウイキペディアより  

この時の政治課題は置いておいて、皇室とのかかわりから見るとこの方は、余計なことを知っている厄介な方だったでしょうね。岸田政権とは比べ物にならない支持率でありながら退陣を余儀なくされたのには、何らかの力が働いたのでしょう?

この後は宮沢総理です。

実は海部さんの名前が出た時にすぐ思い出したのが、天皇の訪中でした。
随行員の中に海部元総理がいたことを思い出しました。

中国は当時、天安門事件(1989)で欧米から経済制裁を食らっており、何とか天皇の訪中でこの危機を打開したいと考え、日本への働きかけを積極的に行っていました。政府は欧米と歩調を合わせてましたが、突然決まったのです。宮沢政権は悩んだ末に了解したとなってますが、中国側から秋篠宮とタイとのことを匂わせられたとしたら・・・
以前、昭和様よりすごいんだという手柄目的のように書きましたが、実情は秋篠宮の行状ではないでしょうか?

中国は公式記録に天皇訪中は載せてないそうです。欧米の経済制裁の糸口を日本が与えたからです。経済制裁のためなら、脅しに近いこともやるように思えてなりません。

この中国訪問がH4年10月です。

この訪問に当たって準備や実務、随行をしたのが、外務次官の小和田恒氏だったのです。この訪中に皇族の不始末の裏があったとしたら、当然、小和田氏は知る立場にあるのです。
しかも訪中は実質、失敗に終わりました。

この時期は皇太子と雅子さんのお話が、裏で進められていた時期でしょう。

明仁さんも美智子さんも自分たちが一番の方で、プライドは高く身内の、特に秋篠宮の不始末が表に出るのは許せなかったでしょう。だってよそから連れて来た子なんだから。

自分たちの弱点を嫁の父親に知られるなどは、この方たちは我慢ならなかったでしょう。

それでも皇太子と雅子様はH5年1月に婚約します。

当時の天皇皇后は葛藤が大きかったことでしょう、秘密を知るものが、縁戚にいたほうがいいという思いと、嫁も知ってるかもしれない秋篠宮の醜聞。

その父親、小和田恒さんへのその後の対応のひどさの理由は、ここにあるのではないかと思いましたよ。
当然、出自の問題もあり美智子さんにすれば、自分が下になることは我慢できなかったはずです。

こうしたことがあったにもかかわらず、秋篠宮は紀子妃を伴い中国にH5秋にのこのこ出かけたのです・・・

    今日はここまで

       今日も読んでいただき有難うございます❤️

海部俊樹元総理大臣も、1992年の天皇訪中に同行しました。当時の日本の首相であった海部元総理は、天皇の訪中に随行し、日中関係の改善と友好を促進する役割を果たしました。

この歴史的な訪問は、日中両国の外交関係において重要な節目であり、両国の友好と協力を強化するための一環として行われました。海部元総理は、天皇とともに中国を訪れ、両国の文化交流や経済協力の機会を模索しました。

  • 天皇明仁陛下

  • 皇后美智子様

  • 内閣総理大臣宮澤喜一氏

  • 内閣官房長官加藤紘一氏

  • 外務大臣渡辺美智雄氏

  • 外務次官小和田恒氏

  • 駐中国大使橋本恕氏

  • 外務省アジア局長谷野作太郎氏

  • 駐中国公使槙田邦彦氏1

小和田恒氏も天皇訪中に随行されました。彼は外務次官として、この歴史的な訪問の準備と実施に関与しました。  copilot調べ

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