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闇の始まりは何時から?②

~結婚、その裏表~

①を書いてみて私なりに考えたこと・・・
唯一無二の天皇になるための教育を詰め込まれながら育てられた明仁皇太子は、プライド高く持つに至ったのではないか。しかし思春期ではご学友という方たちとのかかわりから、唯一無二の存在という教育であってもナンバーワンになれない自身の実力に気が付いたのではなかったか。
誰もが一度は経験する理想と現実の乖離・・・
心の中に鬱積したものを抱えながらも表出できない、そんな姿が見えてくる。明仁皇太子の存在意義は天皇になるしかないという選択肢のない中で、即位の可能性は終戦時にはなくなった。

          下記は前回記事①で上げたFACTAの資料の中より引用【「世襲の職業はいやなものだね」。講義は天皇の項目を扱っていたのである。親王の表情に何かを読み取ろうとして、われ知らず狼狽した橋本の眼には、にこやかに微笑んでいるいつもながらの親王の姿が映った。屈託のなさが、かえって親王の深層部分を押し隠しているように橋本は思った〉】

 私には、青年らしい快活な明るさが,資料からは伝わってこない。

後の教育には小泉信三やヴァイニング夫人が中心となりかかわってくる。印象では家庭教育に主眼が置かれ、神格化からの離脱が図られ、民主主義教育がされたと読める。
明仁皇太子の転機は美智子さまとのご結婚だったという。今でこそテニスコートの恋は作り上げられたもので、真相は小泉氏や正田側の図らった政略的意味合いが強い結婚というのが分かっている。GHQからの回し者と言われた美智子妃、あながち嘘ではないと思う。神格化の離脱として特権階級との結婚よりは一般的な結婚がGHQには望ましかったということで、それに道筋をつけたのが上記の二人の教育だったのでは?
それに乗っかったのが正田家ということだろうと思う。

下記の資料は結婚についての国会審議の一部抜粋と審議の内容ですが、長文ですが面白かったです。この中で、皇室の尊厳、国民の経済状況、皇族の恋愛や人権なども語られ、美智子妃の見合い回数や婚約者と言われる波多野完治氏(お茶の水女子大名誉教授)の名前も出てきます。14~15ページ。

正田美智子さまの結婚について、国会での質問がありました。その質問は、「皇太子殿下がテニスコートで見初めて、(お妃に)いいというようなことを言ったのなら、ここにおられる代議士さんの子どもと変わらない。これが、はたして民族の象徴と言いうるのか……」というものでした1。この質問は、当時の自民党・平井義一衆議院議員によって提出されました1

つまり、陛下と美智子さまが「恋愛結婚」をしたのかどうか、そしてそれが象徴としてふさわしいのかどうかについて問うものでした1。当時は「見合い結婚」が主流であり、将来の天皇である皇太子が「恋愛」で結婚することには、大きなインパクトがあったと考えられます1。   

https://kokkai.ndl.go.jp/simple/dispPDF?minId=103104889X00519590206#page=2

こうして色々ありましたが御結婚され、これまた色々と今、巷で騒がれる要因がちりばめられます。昭和天皇の崩御に伴い時代は平成に、明仁皇太子は晴れて天皇になるのですが、崩御前日に「やっと天皇になる」と祝杯をあげたといいます・・・

平成時代については下記のブログを紹介します。いつも読ませていただいているブロガーさんのうちのお二人がタイミングよく記事を上げていらっしゃいました。私の言いたいことが簡潔にまとめられています。

そしてブルーサファイアさまの記事には、上皇ご夫婦の持ちつ持たれつの関係性です。私には互いに利用しあっているように見え、似たもの夫婦ということでしょうか。腹の底に何かを隠した夫婦?
それと結婚パレードの真実について篠原さんが配信してくれたものも見られます。篠原さんは、今を象徴しているようだと話してましたが同じ思いです。

長くなりました、実は明仁皇太子の女性観も書きたかったのです が,続きで書かせていただきます。

                つづく

  今日も読んで頂きありがとうございます。❤️



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