私の中の11歳の私がいなくなった話

26のときに、精神科の予約をした。

当時はとにかく悩んでいた。
仕事では自分のキャパオーバーの立場で、わけのわからん猛獣みたいなおっさんたちを指導しないといけなかったし、何より実家住まいで親(特に母親)との関係に悩んでいた。

母親からは毎日いかに社会人としての生活ができていないかについて叱責され、感情をぶつけ合っていた。
実際に私の部屋はゴミ屋敷のようになっていたし、生活もままなっていなかった。

自分はなぜ普通にできないのか。
もしかして発達障害なのかもしれない。
発達障害ならば助けて欲しい。
もう生きるの嫌だ、辛い。

そんな思いで精神科を予約した。
実家からこっそり小学生〜中学生の通信簿やらを持ち出して(ネットに必要って書いてあった)、3ヶ月ほど待って成人の発達障害の診断を受けに行った。

色んなテストをした結果、私は発達障害ではなかった。

初回のカウンセリングで医師もナースもドン引きするくらい泣きながら今までの苦しさを吐き出した。すると医師が心配してくれたのか、一ヶ月に一回通院して話を聞いてもらうことになった。

(そこで躁鬱の診断をうけるんだけど、それはまた別の機会に)


通院して暫くして、先生から言われた言葉がある。

「あのね、自分の行動を母親がどう思うか気にするなんて、小学生のすることですよ。」

衝撃だった。
何の話をしていたかはもう覚えていない。
でも常に私は母を気にしていた。
母がどう思うかに囚われて行動できないことが度々あった。

先生の言葉は私にまっすぐ刺さった。
雷に撃たれたようだった。
私は先生に言った。


「そうなんです、私の中に常に小学5年生くらいの、11歳位の私がいるんです!」


そんなこと思ったのははじめてだった。
考えたこともなかった。
でも口から出た。
自分でも納得した。

そしてその時、当時、親との関係で一番悩んでいたのは、「親から子供の自分と、大人の自分の両方を求められるのが辛い」ことだったと自覚した。

以前の記事にも書いたが、私は家族の中で道化を演じ、【子供】を演じてきた。
しかし、親も私も年齢を重ねると【大人】としての役割りを求められるようになってきた。
【大人】としての役割りで多かったのは、親の愚痴を受け止めることだった。
親戚やご近所、親の人間関係の愚痴を私は傾聴した。時には一緒に悪口で友達のようにも盛り上がった。

しかし、【大人】と【子供】は親の都合の良いように使い分けて求められた。
【大人】として求められたと思えば、【子供】でいることを求められ、そうでなければ疎まれた。

今までは、ふざけるのが好きな【子供】の私ちゃんでいればよかった。

でも急に【大人】の私を求められた。
でもずっと【大人】でいてもだめだった。

(書いてておもうんだけど、そもそも親子関係で子が親に求めらる自分であろうとするのってヤバいしおかしいよね。親から離れて数年の今ならわかる。)


【大人】と【子供】の私で私は苦しんでいた。
でも私はもう成人した大人だ。
小学生じゃない。
当たり前のことを、私は先生の言葉で認識した。


診察が終って、帰宅した自分の部屋で私は先生の言葉を反芻していた。

そして気がついたのだ。



私の中から11歳の私が消えていた。





この時のことはまだよく覚えている。
悲しくて悲しくて、自分の皮膚を剥がれたような気持ちだった。

今まで自覚したことすらなかった。
けれど確かにそこに11歳の私はいた。
何年一緒にいてくれたのか。
いつから側にいてくれたのか。
今日まで気がついてはいなかった。
けれど26歳の私の中に少女の私がいた。
一緒に戦ってくれていた。
守ってくれていた。
私はひとりになってしまっていた。
これからはひとりで生きていくことになったのだという不安と、彼女を思ってその夜はただただ泣いていた。


そこから数年が経った今夜、ふと彼女のことを思い出して彼女との別れを書いた。

書いて吐き出したことで、私の中から彼女は記憶としてもなくなっていくのかもしれない。

なんとなく、11歳のもう一人の私は確かにいたことを誰かに聞いてほしかった。


おしまーい

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