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飛ぶ男


飛ぶ男
/安部公房


 とある中学教師のもとに掛かってきた、弟を名乗る人物からの謎の電話。月明かりに現れた飛ぶ男。そして飛ぶ男を空気銃で狙撃した女性。奇妙な邂逅を果たした三人の行く末や如何に……?

 安部公房は小説の執筆にワープロを利用した最初期の一人で、未完の遺作『飛ぶ男』がフロッピーディスクのなかから発見されたことでも有名である。中古で単行本を入手済みではあったのだけど生誕百年記念で文庫化されたのでこの機会に購入。同じく未完でモチーフに共通点のある『さまざまな父』を同時収録している。

 弟を名乗る飛ぶ男と空気銃を持った女性が部屋に乗り込んでくる……という筋立てだけならファンタジックなサスペンスなのだけど、本作の特徴はその脱線の凄まじさであろう。本筋をそっちのけで周囲にある「情報」へと意識が飛んでいく。謎の電話もそっちのけでブリーフだのシトロエンだのブランデンブルグ協奏曲だのが割り込んでくる。空気銃の女性が家探しをする場面では、彼女の部屋と中学教師の部屋に関する情報が異様な密度とリアリティでもって十四頁にも渡ってびっちり詰め込まれている。具体的かつ詳細に……或いは過敏かつ偏執的に描き出される、まるでゴミ屋敷のような「情報」過多な世界を、謎だらけで得体の知れない自称弟だけが軽やかに空中浮遊している。この強引な均衡状態が本作をかろうじて物語の枠組みに押し留めている。

 未完なこともあって著しく奇態な作品ではあるのだけど……これがまた結構面白いのだ。遺作だからって作者の衰えは全くない。安部公房の圧倒的な「情報」量はそれだけでも愉快な娯楽になり得るし、飛ぶ男を巡る豪快な風呂敷の広げっぷりは本作は未完であることが惜しまれるぐらいである。また当時としては新しかったが故に際立つ「情報」の古めかしさは、本作の普遍性を歪める弱点でもあるけれど、同時にその得体の知れなさを良い意味で助長してもいる。未完成だからこそ、戦後日本文学の最高峰たる安部公房……の名前をそこまで気にせずに読める作品であるかも知れない。

 一方で同時収録の『さまざまな父』は、モチーフこそ共通しているが表題作に比べて「情報」量がとても薄い。むしろ淡々とした語り口でもって「透明になった父」という不気味で悪夢的な物語が展開していくのである。この二つの未完の作品はまさに裏と表になっていて、いずれは一つの名作へと繋がっていったはずなのだけれど……

★★★★★★★★☆☆
9784101121253 新潮文庫


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