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ころぶところがる


ころぶところがる
/黒田硫黄


 ロードレースを題材にした『アンダルシアの夏』という短編漫画がある。茄子というワンテーマから無茶苦茶に想像力が飛躍していく黒田硫黄の怪作『茄子』のなかでも屈指の名作で、アニメ映画化されたことでも知られる。

 本作はその黒田硫黄が、己の自転車趣味を全開にして自転車雑誌に連載していた「自転車漫画」を収録した作品集だ。主にディープでマニアック過ぎる自転車エッセイ、三蔵法師がトラブルに見舞われながら自転車に乗って天竺を目指す『西遊記』シリーズ、火星の自転車屋と火星人の幽霊の奇妙な交流を描く『火星のカナタ』シリーズから成っている。

 うん、鬼才と名高い黒田硫黄なのだ。そう一筋縄でいくわけがない。破天荒でシュールな展開が連発する「西遊記×自転車ファンタジー」と、寂れた辺境の生温い日々に不可思議を散りばめた「火星×自転車SF」がさも平然と同時並行してるのも無茶苦茶だし、一般人には全く分からないマニアックな趣味を垂れ流し続けるエッセイ漫画の天衣無縫っぷりも尋常ではない。筆と墨で大胆に表現される物語世界はダイナミックにごちゃごちゃと散らかっていて、下手をすれば酷く取っ付きにくいサブカル漫画になりかねないところを、天才的なストーリーテリングとゆるっとした独特の空気感でもって普通に面白く読ませてしまうのだから恐ろしい。

 黒田硫黄のフリーハンドを強調した大雑把な描線とベタ塗りは、突飛な世界観も滑稽な展開も生温い会話劇もぎっちり詰め込まれた趣味語りやメカニック描写もあらゆるものを「フラット」に均してしまう。馴染みやすい手作りの感触というか、あらゆる想像力を大雑把に受け入れてしまえるしなやかで柔軟な絵柄だ。そんな「フラット」な世界で、登場人物達は肩の力を抜いて、好き勝手に自分のペースで生きている。個性が濃過ぎるようでいて実は平坦で淡々とした空気が物語全体に漂っている。けれどこの「フラット」な物語は、自由自在なアングルや独特の間を産み出す演出、そしてわざと読み味を狂わせてくるような緻密なコマ割りのテンポなどの卓越した漫画技術によって、読者を退屈させることなく活き活きと駆動している。

 ペダルを強く踏み込んで、広大な未開の平原をひたすら突っ切っていく。自転車というワンテーマから雪崩落ちてくる吹っ飛んだ想像力とディープ過ぎる趣味が、軽快なエンターテイメントとしてしなやかに転がり続けていく傑作である。

★★★★★★★★★☆
●9874098526611 小学館


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