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invisible holidays (2020.09.21~09.31)


 2020年9月21日

 無事に朝六時に起床した。座ったままラジオ体操して、使い捨てじゃなくて、ちょっとお高いポリウレタン製のマスクを装着して出発。今日の京浜東北線は天井がめこめこしている。大宮駅で七時半の高崎線に乗車。ボックスシートの窓側を確保して、おば様達が大人の休日倶楽部のこととか、ゴルフのこととかをべらべら喋ってるのをBGMにしながらうとうする。熊谷でおば様達が降りたので眼が覚めた。余裕のある前寄り五両に乗っていたので、籠原で一旦降りて、空いてるボックスシートを求めて後方の車両まで駆け足で乗り換えた。最初は静かに車窓を眺めてたけれど、向かいのボックスシートに鉄道大好き一家が流れ込んで騒ぎ始めたので、私の旅程はそう簡単には安息を得られないみたいだ。田圃はまだうっすら黄色いだけで刈取りの季節ではない。近郊農業の景色、冬野菜を植え始める季節の景色は初々しさすら感じる。新しいBGMにWilcoのYankee Hotel Foxtrot。不安定にブレながら続く確かな優しさが、すっかり緑色が強くなってしまった閑静な景色の平和には丁度良い。天気は薄ら雲をぺったり重ねながら概ね晴れ。世界が地面の高さにある。みんな腰を据えて草原の合間に座っていて、空を目指したりしない世界。高崎線は簡単に終わってしまった。九時前には高崎駅に到着、高崎駅は結構混んでいて、上州舞茸弁当を購入、9時25分発の上信鉄道を待ちながらベンチで食べる。ああ、これ、生きてるって感じ、なんて悦に入ってたら電車が遣って来て、慌てて胃袋にかっ込んだからお腹が重たい。座席には普通に座れた。向こうのホームで撮り鉄達がずっと何かを待っている。何を待っているのだろう。のろのろと、恐る恐る揺れながら、大きなカーブで何度も傾きながら、雑草茂る低い低い街並みを走るローカル線にはWilcoが最高に合う。まだ秋に茂みが殺される季節ではない。電車の側面から風が吹き出ていて、駅で停まると線路端の雑草がぶおんぶおんと煽られて揺れる。野花がカラフルに街に巻き付いている。ここは随分明るくて優しい。畑にはお爺さんやお婆さんがしゃがんでいる。無人駅では先頭の扉だけが開く。両脇を山影に挟まれた、葛に覆われた茂みと田圃だらけのローカル線に揺られていると、地元のえちぜん鉄道の景色を思い出す。でもこっちのほうが見通しが明るいのは、北陸と関東の違いだろうか? 富岡は、死んだように静かな地方都市だった。駅舎だけが立派で、駅前の通りも観光地というにはひっそりしている。絵入りのすだればかりが私達を出迎える。諏訪神社を経由して富岡製糸場へ。周辺の商店街は、観光地化が完全に進んでなくて、半分廃れて半分新しいから、そういうチグハグさを他人事のように愛でることは出来るかもしれない。そして富岡製糸場である。正面のモダンな煉瓦造りの東置繭所が美しい。内部はありがちな展示スペースで埋められていたけれど、二階は空のまま残されている。窓、そうか、この建物は窓の多さが特徴なんだ。西置繭所は緑がかっててよりスマートな建物だ。内部は正式公開されてなくて、限定公開も完全予約制で午前中は既に全滅してたので諦めた。四連休だけあって観光客も多くて賑やかだ。でも外国人観光客は流石にいない。社宅群から正面に戻ってきて繰糸所へ向かう。繰糸所には昭和時代の比較的新しい機械が残っている。外光を取り込んで自然に明るい、広大な空間がずっと向こうまで続いていて、明るさの底を埋めるようにジグザグとしたもう使われない機械の行列だけが鈍重に動きを止めたまま残されている様子は厳つい迫力があった。敷地内には他にも煉瓦と白塗りのモダンな近代建築が幾つも残っているのだけど、殆んどが立入禁止区画になっていて、中に入ることは出来なかった。正午近くになるとすっかり暑くなった。沢山の蜻蛉が乾いた敷地のなかを飛び交い始めた。巨大な煙突が青空の隙間に聳えている。鏑川は透き通って日差しをちらちら纏っている。メモを纏めるために一旦ベンチで休憩する。外見だけで充分参考資料としては抜群なので写真を撮りまくったけど、容量大丈夫かな。正午頃になると人気が増えて賑やかになってきた。神奈川の友達は新穂高に行ってるそうだ。御昼御飯にお蕎麦屋さんに寄ったけど、混雑しててなかなか料理が出てこない。群馬料理のおきりこみ、あと舞茸のてんぷら。具材たっぷりで麺が平べったい。ほうとうと違ってここの場合は醤油味、あと里芋が入ってた。次の目的地は……一之宮貫前神社。国道254号沿いに歩いていけば一時間程度で辿り着けるはず、だったのだけど、そうそう上手く行くはずもない。道中は想像以上に暑かった。半袖では冷えるかな、と心配してたけど普通に蝉が鳴きまくる夏の日差しだ。工女の墓がある龍光寺、その隣の永心寺に立ち寄った。それから、地図を頼りに蛇宮神社の方面に逸れた。蛇宮神社は広い境内がひっそりと静寂を湛えていて、疎らに散らばった木陰が涼しかった。七日市藩陣屋敷は見付からなかった。衝動に駆られて坂道をくねくね、鏑川沿いまで降りた。涼しい風が吹き抜ける。清らかに鏑川が流れ、巨大な流木が立入禁止の河原の真ん中に平気で転がっている。鏑川沿いの道が途切れたので、また坂道を駆け上がったら再び蛇宮神社の後ろに戻ってきてしまった。国道に戻って、単線の踏切を過ぎたところで一峰公園という看板を発見する。どうせ何もないんだろうなぁ、と苦笑しながら私は当然のように坂道を登った。特に何もない、枯れ葉に埋もれてすっかり寂れた公園と、やたら巨大な平和記念碑を巡った。峰のうえに引かれた桜並木の……季節がまるで違うけれど……景色のいい尾根道を歩いて、突き当たりを降りていけばやっと地図にあった一ノ宮の交差点である。もう二時間近くは歩き詰めて、やっと私は一之宮貫前神社の鳥居に辿り着いた。そこからぐねっととぐろを巻いて斜面を這い上がっていく坂道を登れば楼門がある。楼門を潜れば下り宮が現れる。下り宮、つまり社殿が参道の階段を下ったところにあるという、非常に珍しい構造なのだ。社殿が視界の下方にある、これは間違いなく初めて目撃する光景である。本殿の装飾も豪華で、本殿を真後ろから観られるルートが用意されてるのもいい。さて、想像以上に何度も坂道を登り降りして二時間も歩きっぱなしは流石に疲れた。一先ず休憩所でここまでの行程を記録した。蝉の声が涼しい。もう午後三時半、三十分は予定が遅れている。電池のほうが心許なくなってきたし、ここから丹生湖まで約四キロ、無駄な寄り道をせずに無事に辿り着けるだろうか? 駅前で貰った地図にあった「神社入口」が、実は大型車両用道路で、楼門の正面にちゃんと真っ直ぐ登って真っ直ぐ降りるための参道があることを今更になって知った。そっか、こっちを登って降りてこそ本来の下り宮の感動だったのだ。何か変だなとは思っていたけれど。まぁこんな間違いだって旅の醍醐味としよう。千葉の友達には怒られたけど。道中あちこちで金木犀の香りがする。次の目的地は丹生湖。引き続き駅前で貰った地図に依れば、表参道に面した道路をひたすら歩き続けて、とある横道に逸れたところにあるのだけど、その横道の具体的な目印などは記されていない。このあたりは……直感で行こう。道中は友達とグループLINEで各々の旅の持論を主張し合いながら、本来ならは私達が出会う必要のない地方の一県道をただひたすら歩き続ける。途中で宮崎公園・旧茂木家住宅方面との分岐点があってふと悩んでしまった。でも初志貫徹して丹生湖方面に進んだ。この県道に殊更特徴という程のものを見出だす必要もない、これは「繋ぎ」の景色だ。ただ正面に妙義山らしき奇妙なシルエットが聳えているのが観えるのでちょっと楽しい。富岡製糸場から結構な長丁場なので、こまめに自販機で水分補給する。コンビニすら潰れている。だらだら田舎の県道の景色を歩き続けて、ゴルフ場に案内する大きな縦看板に、一緒に丹生湖と書いてあるのを発見する。これ幸いと横道に折れてみたものの、縮尺が大き過ぎる地図ではいまいち自分の位置が掴めない。田圃道を歩いて、桑畑を過ぎて丘のようなものを登ると、季節外れですっかり背丈の縮んだ向日葵畑がある。向日葵畑を過ぎたらやっと丹生湖だった……丹生湖? 湖だって? まさか。私が目撃したのは、深い深い、びっちり地面を覆い尽くした藪だけだった。ああ、そうだ、まるで岡崎京子のリバーズ・エッジにあったような、死体の一つ二つ平気で懐に隠していそうな人知を拒む水辺の藪。右手奥にはまだかろうじて湖が残っているみたいだけど、管理棟のある付近はほぼ完全に干上がっていて、間違いなく釣りもボートも不可能だ。管理棟は原型を留めていたけれど、湖に面したボート乗り場は朽ちて蜘蛛の巣窟になり、湖に突き出した東屋は雑草に浮かぶ難破船になり、もう跡形もない菖蒲園に張り巡らされたウッドデッキは封鎖され、まるで放棄された廃墟のような荒れっぶりである。はて、季節外れで説明するには観光地としての整備が全くなされていない。そもそも、これじゃ湖じゃない。後で友達が調べてくれたけど、耐震工事に伴う調査のためにわざと水位を下げているらしかった。2017年の九月で釣り場が封鎖されているらしいから、なんと丸三年だ。三年もあれば景色はここまで塗り変わる。
https://www.sankei.com/region/news/170915/rgn1709150048-n1.html
既に太陽が山影に接して、間もなく夜が襲い掛かってくる恐怖を背負いながら、私の湖を外周するコースを歩き出した。といっても、藪が深くて湖は殆んど観えず、観えたって草原があるだけ、野鳥が鳴き叫び、蝉が日暮を告げ、かろうじて河のせせらぎだけを頼りにくねくね折れ曲がる周回コースを……というかただの山道をせっせと歩くのだ。それでも、あちこちに突然張り出してくる巨大な蜘蛛の巣が道中を封鎖したりはしなかったので、きっと今でも最小限の人通りはあるのだろう、一度だけウォーキング中の夫婦と擦れ違ったし、バイクが一台無理矢理乗り込んできたりもした。丹生湖は形がかなり凸凹してるので外周コースも結構長い。姫路の時に比べれば体調がいいとはいえ、本日の総歩行距離は十キロをとう越えている。写真を録ろうとすると虻が寄ってくるので迂闊に立ち止まることも出来ない。水鳥が浮かんだ湖面が垣間見える位置まできたら、景色にゆらっと明かりが灯ったけれど、でも脚を留める余裕はなかった。私は日暮までにこの山道を歩き切らねばならないのだ。道が崩れてガードレールが崩落している。森を抜けた。湖の堤防沿いに、車道を潰して歩道にした奇妙な一本道があって、そこから眺めた夕暮れを反射した丹生湖の湖面は、美しいといえば、美しかった。湖にも寿命があって、これは、死に掛けた動物の、末期の静けさのような平穏だろう。一周完了。もう駄目だ。当初の行程ならばもう少し散策するつもりだったけど、夜が景色をぼやかし始めたし、何より歩き過ぎてすっかり疲れた。最初に泊まる予定だった宿は管理棟の真向かいにあった。良かった、こんな朽ち果てた湖の真向かいに泊まるなんて、半ばホラーのようなものだもの。友達曰く、湖の観光客ではなくゴルフ場の客で埋まったんだろうとの見立てだった。刈田の懐かしい臭いが吹いてきた。午後六時の時点で県道はすっかり夜だ。この時間に丹生神社に立ち寄っても街灯すらなく暗いだけだった。バス停も調べてみたのだけど、午後七時まで来ないみたいだし、新しいルートを開拓するには時間的にリスクが高過ぎて、仕方ないから私は上州一ノ宮駅まで元来た道を歩き直すことにした。ろくに街灯すらなく、逃げ込むコンビニすらなく、写真は撮れず、坂道で丘を越えねばならず、歩道が途切れると自動車が危険なのでビニール傘を少し高く掲げて歩き、突然犬は激しく吠え、中華料理屋さんや焼肉屋さんに灯が点り、私はまだ晩飯にすらありつけていない。四十分ぐらい視界の悪い夜道をぼけっっと歩き続けて、ようやく一之宮貫前神社の参道入口を越えたあたりでセブンイレブンを発見した。ああ、無事に帰って来れたんだとほっとした。上州一ノ宮駅から高崎駅へ、その間千葉の友達と途中見つけた廃道らしきものについて談義した。神奈川の友達はずっと渋滞に引っ掛かっていた。電車はとてもゆっくり進む。挙動の可笑しなお婆さんが座席に膝立ちして真っ暗な車窓を見ている。高崎駅到着が八時十分前、チェックインが八時だったので、最後の追い討ち、私は夜の高崎を息を切らして走り回ってしまった。やっと自分のベッドを確保したものの、電池は充電しなきゃならない、丹生湖が楽し過ぎて写真を撮りまくったから容量があと1GBしかないから非常用にUSB買ってこなきゃならない、この時節の地方の祝日の夜なんて大抵店が閉まっている、商業ビルの上階にあるレストランにラストオーダー寸前に滑り込む、地元の食材を使った照り焼き丼、三食連続で舞茸、そして焼きまんじゅうの大きさが可笑しい、夜中に焼きまんじゅうなんて頼んだ私を許さない、喉乾いた、お風呂入りたい、というか寝たい、コンセントがベッドの近くにない、テレビは視るに値しない、自由に観れる映画コンテンツも数が少なくて微妙なものばかり、自棄で買ったベルギービールどうしよう、みたいな感じで、ひたすら初めての土地でわたわたしてたらベッドで寝落ちてしまった。深夜二時過ぎに、渋滞に殺され掛けてた神奈川の友達がやっと帰宅して送ってきたLINE通知で眼を覚ました。そのまま深夜四時までこの日記を書いている。今晩は文字入力が下手糞で困る。思ったより体が冷えてしまった。ルームライト・スイッチ……ルームキーを差し込むと部屋の電機が点灯するシステムには驚いた。明日の朝食券がゴミ箱から出て来て肝を冷やした。ベルギービールだけ頑張って呑まなければ。閉店間際の成城石井でフェダーチーズのセミドライトマトマリネなんて買ってしまったけど、これ、完全に苦手の塊じゃん。ビールも苦手だし。苦手と苦手をぶつければ何とかいける、理論で両方とも半分ほどかっ込んだところでギブアップした。私の旅、泊まり掛けでもやっぱりこんなぐだぐだなのね。でもマース ピルスは呑みやすかったよ。お休み


 2020年9月22日

 午前八時起床だったけど、昨日の午前二時から午前四時までの変則的夜更かしのために酷く眠くてベッドから動けない。何とか朝食に滑り込んでチェックアウト、のんびり高崎駅まで向かったら09:23発の信越本線をあと一分のところで乗り逃した。しかも見事に一時間一本のローカル路線である。行程になかったホテルの朝食を足したのが完全に裏目に出た。高崎美術館も十時からだし無理。一時間暇になってしまったので、適当に駅前通りをだらだら歩いて、高崎市庁と高崎城跡のお堀を観て、高崎シティギャラリーという施設にふらっと立ち寄って、何もないことを確認した。何もない。展示場とコンサートホールがあるけど全て空いている。空いているのに、祝日の八時半から律儀に玄関を開けて、受付には白髪のおばさんが座っているのである。これは物語になりそうだ、丹生湖と絡めて何か思い付かないかな? 信越本線の電車は十分前からホームに停まっていた。車内に乗り込んで朝の日記を書く。今日も心地好く雲の散らばった晴れ、日向は暑いぐらい。景色の傾向に大きな違いはないはずだけど、車両の速度が上信鉄道と比べて段違いだから、ひゅんひゅんと景気良く地方の平穏が車窓を流れていく。今となってみれば、上信鉄道と信越本線との間には山脈が最低一本走っているのだから、最初の想定みたいに丹生湖から磯部まで歩くという無謀な計画が破綻したのは幸いだった。高崎のホテルで大正解だったのだ。紙の地図は土地を分断してる山脈なんて書いてくれない。安中駅からは山の斜面いっぱいに工場が建ち並ぶ景色が観えた。下車してしっかり眺めたかったけど、途中下車したら一時間だぞ、私。行程が遅れたせいで磯部では次の電車までの一時間しか使えなかった。赤城神社から恵みの湯へ、温泉は十分で上がって……いい湯だぁ、露天で流れる雲を眺めながら浸かってたらいつまでもいられる。一時間行程をずらして温泉優先する可能性もあったけど、今回は断腸の思いで諦める。せんべいストリートを下って碓氷川眺めて、概ね満足したので磯部煎餅をおやつに買って駅に戻った。温泉街の周辺は傷んだ空き家が目立つ。温泉地としては健在でも、温泉街としては寂れているのかもしれない。駅の反対側には工場が建っている。だから温泉地の面影はない。松井田駅を過ぎたところで車窓に妙義山のざくざくしたシルエットがはっきりと見えた。妙義山は紅葉の季節に取っておこう。いよいよ電車は山間に飛び込んでいく。谷の斜面は森に覆われて、森の合間になお絶えることなく民家が並び、自動車が線路と並走してから谷底に消えていった。横川駅に辿り着いた。駅前で売ってたおぎのやの釜飯食べた。美味しかったけど、今日はうっすら食欲の限界を感じる。明らかに昨日の疲れが残っている。天気は今のところ良好。傘は磯部に置いてきた(忘れた)から、突如雨でも降り出したなら大変なことになる。今回の主役は、横川駅から熊ノ平まで名所を巡りながら歩く片道六キロのアプトの道。特に赤煉瓦の近代遺産を拝むのが目的だ。線路の痕跡が、駅から駐車場を横切って鉄道文化むらへと入っていくのを見付ける。鉄道文化むらは今回は回避した。アプトの道からでも園内に並べられた車両の群れを垣間観れたので良しとしよう。行程早々、アプトの道から外れた碓氷関所を見付けるのに手間取ってしまう。今回も観光案内所で貰った手書きイラストの碓氷峠マップが唯一の頼み。関所から斜面のうえの八幡様から望むと、崖壁が厳しくそそりたつ雄々しい山並みの迫力が素晴らしい。鉄道文化むらの敷地から線路が二本延びている。片方はそのまま鉄道の路線として残されていて、そしてたった柵一つを挟んで並走しているもう片方は、銅色のレールが地面に埋まった状態で、歩道としてアプトの道に接続されている。頭上には架線が張ってあるし、まるで線路のレールのうえを歩いてるような気分だ。線路のレールのうえを何処までも歩く、なんて結構な人間が知らず知らずのうちに抱いてる憧れだと思う。地面に頭を出した二本の銅色のレールは両脇に迫る草木の賑やかさに囲われながら、ずっとずっと真っ直ぐに延びている。これは、とてもいい。今日は多少日向が暑くなる程度で過ごしやすい気温だ。草花も元気に栄えている。蝶々が飛び交っている。蜘蛛の巣が強い。群馬は蜘蛛がデカくて強いのだ。度々上流から降りてくる観光客と擦れ違うけど、老若男女様々、どころか、犬やベビーカーとまで擦れ違う。まさか犬や赤ん坊を連れて往復十二キロを踏破しちゃったんだろうか。それとも途中で引き返してきたとか、バスで上流まで登ってから降りて来たんだろうか。銅色のレールに導かれて、まずは旧丸山変電所。重要文化財である。二棟並んだ赤煉瓦造りの洋風近代建築で、山間を縫って走る線路沿いにどうも素っ気なく置かれているわりには、腰が座って重厚で、四角四面に堅牢である。手付かずな力強さというか、例えば富岡製糸場の置繭所のように、外観だけ残して中身や周囲をすっかり観光地化したりもしない、赤煉瓦の装甲だけで現代まで生き延びてきたような安定感。程好く古くて、程好く新しい、そのバランスが格好良い、そんなモダンの魅力を体現したような非常にいい文化財だと思う。折角なので裏手に回ろうとしたら地面が酷くぬかるんでしまっていた。無理に押し通ろうとしてスニーカーを汚してしまった。でもこの程度で落ち込む私じゃない。子供達を乗せた観光電車が、アプトの道と並走する線路をのろのろと這い上がってきた。旧丸山変電所前に駅が用意されていて、子供達が飛び降りてくる。私はアプトの道を再び登り始める。私を乗せたまま、何処までも山の向こうまでも続きそう、だったけど、峠の湯のところで線路が途切れて雑草に埋まってしまった。まだ登りの途中なのに本日二度目の温泉である。今回はゆっくり涼しい空気を浴びながらのんびり。二日間の日焼けが湯に滲みた。ラムネ飲んで休憩を挟みながら、調神社とその前後の写真200枚をUSBに移す。これであと300枚は余裕が出来たはず。ふう、最近写真の管理に追われてばかり。私は窓から観光電車を眺める。駅に停まって、暫くしてからまたのろのろと戻っていく。日記を纏めてたら一時間もゆっくりしてしまった。もうすぐ午後三時だ、出発しよう。まだ細身の薄がふわっと穂を揺らしている。少し天候が曇ってきたみたい。そのせいなのか、急に虫が増えたような気がする。アプトの道に十個ある煉瓦のトンネルは、所々欠けたり雑草が生えたり補強を入れたりしながら、現在も頑強なまま残っていた。二つ目のトンネルを抜けたところで、アプトの道と接している車道に降りていくと、碓氷湖がある。そう、そうなのだ、昨日私が想定していた湖ってのは、こういうもの! たっぷり水を湛え、湖面にふつふつ何か小さな波紋があちこちに浮かび、釣人がいて、ボートが浮かんでいて、湖面にはぼやけた山影が輪郭を歪めながらじっとしている。赤い橋が二つ掛かっていて湖面に楕円を作る。坂本ダムの壁を流れる薄い流水が矢印型の紋様を作っていて美しい。観光客にカヌーかカヤックか……私にはいまいち区別がつかない……をレクチャーしている御姉さんは、細身のボートのうえに立ったまま器用に湖面に浮いていて、一際大きな声で観光案内をしている。湖の一周はたったの1.2キロ。ちゃんと整備されていて、これが本物の湖なんだなぁ、湖底は雑草に没してないし、施設は廃墟になってないし、遊歩道は崩れてないし……多分、常人は抱かないようなそんな感慨に浸りながら歩いた。再びアプトの道に戻り、五つ目のトンネルを越えるとめがね橋がある。碓氷第三橋梁、煉瓦造りの巨大なアーチを持つ重要文化財。でも橋のうえからじゃアーチが見えない。下方を走る車道に人影が屯してるので、多分降りるルートがあると思うのだけど……トンネル脇にかろうじて筋が残る獣道があって、滑り落ちそうになりながら無理矢理降りてみたのだけど、本当は六番目のトンネルの手前に階段があった。それにしても、圧巻の存在感を誇る近代建築である。真下から見上げるとその巨大さに圧倒される。急な谷を跨ぐ橋なので橋脚は長さが一定ではなく、めがね橋とは呼ばれるけど全くシンメトリーが成立していない武骨さ、なかでも、谷底に根を降ろす脚の巨大さと堅牢さが一際眼を引く。それで深く繁った山林のなかにどーんと聳えているのがいい。現代建築が合理的な魔法の産物なら、これはまだ近代の、新しいけども不合理な人工の産物なのだろう。そういう洗練されてない武骨さがいいのだ。ただ悲しいことに、手の届く橋脚の表面に、残酷なほどはっきりと落書きが掘り込まれてしまっている。重要文化財レベルの物件でここまで酷い落書きがあるのを目撃したのは初めてかもしれない。「残る」という価値に「残る」という罪を重ねる愚行は、どうすれば撲滅出来るんだろうか。お婆さんに声を掛けられて、私ははっと眼を覚ました。高崎ですよ、とお婆さんは出口を指した。私は御礼を言いながら慌てて電車から飛び降りた。ああ、危なかった、下手したら折り返し電車に残されて、再び何処かの駅で一時間待ちになるところだった。私はメモ帳を開いたままスマホを握っていた。でも寝落ちた瞬間の記憶が全くない。ええ、私は記憶を失いながら何をしてたんだ? めがね橋から終点までは煉瓦造りのトンネルが連続して続く。標高が高いからなのかトンネルのなかは随分と涼しい。湿って水滴がぼちゃんぽちゃんと何処かに落ちている。つらら注意の看板がある。あちこち崩れないように補修を受けているけど、概ね保存状態は良好。すなわち、結構怖い。壁面には間隔を開けてアーチ門形の穴が掘られていて、岩壁が剥き出しになっているのだけど、照明があっても穴のなかは暗くて見えないので、ここに何か化物が隠れていても、さもなくば本当に何処か異世界に続く穴が混じっていても、私は気付かないだろうと思う。赤煉瓦が赤い涙を流していた。一番長い六番目のトンネルは、観光案内所で手に入れた地図に依れば五百メートル以上あって、何重にもうねりながら歩いても歩いても出口の光が見えてこないので私は段々と怖くなった。入口があれば出口もあるなんて、私達の当たり前の常識が、いつまでも間違いなく続く保証なんてあるのだろうか? 一方で、直線上に短いトンネルが近距離で並んでいると、照明で白黒の縞模様になった穴が二つ繋がって遠くの出口の明かりまで真っ直ぐ続いていて風通しがいい。換気のためにアーチ門型の穴が直接外に繋がっているものもある。アプトの道の終点である熊ノ平には、山の斜面に四つもトンネルが空いている。一つはアプトの道だ。端っこの一つは突然現れて、先が続かない。そして二つは旧信越本線の線路だろう。私達は一度峠の湯の手前で別れたはずの路線と再度合流して、架線の真下、線路の間、つまり線路のうえを歩いているあの感動を取り戻すのである。左手には白色の廃墟がある。時代的には近代遺産というより現代遺産のはずなのだけど、全て引っ括めてここから先は文化遺産なので立入禁止、の紐が引かれていたのは興味深かった。歴史的価値には乏しくても、横川駅からここまでの鉄道の歴史を語るうえでは、このボロボロの廃墟も欠かせないものだ。線路はそのまま私達が二度と知り得ないトンネルの向こうへ飲み込まれて消滅した。私は階段を降りて、異様に急カーブな車道の内側に設けられた特に何もない駐車場の端に立って、ようやく真面目に時計を見た。午後四時半。写真を撮るのに忙し過ぎて時間を喰い過ぎてしまった。既にスマホの容量は悲鳴を挙げていて、空模様も一瞬間違えば雨が降る可能性はなくもない程度の曇り空。流石にここをゴールと呼んではなるまい。友達はバスがあると言ってたけど、何となく、私は私の衰えた健脚の底力を見せねばならないような気がしてきた。ヨーイ、ドン、と呟いて私は元来た道を、立ち止まらず、写真も撮らず、脇目も振らずに引き返した。途中でしっかり装備を着込んだ中年の御夫婦が物凄い速度で下り坂を降りていくのに克ち合った。不味い、これはベテランのハイカーだ。でも私は私がまだ何とか二十代であることを示すために、健脚の御夫婦を追い抜いた。心肺はそこまでつらくない。問題は脚の筋肉痛、そして膝だ。視線を落とさず、ちゃんと景色に正面から向き合って歩こうと決めたのに、やはり脚が痛んでくると視線が落ちてきてしまう。でも視線を挙げて正面から挑む下りのトンネルは違う迫力があっていい。若干ペースを落としながら碓氷湖を抜けた。うん、非常に良いペース、もしかして六キロ下り坂を一時間踏破も可能かもしれない、と、一番目のトンネルを抜けたところで、先程気になってた坂本宿方面に逸れる案内板を見付けてしまった。私は当たり前のように斜面を登って車道に合流してしまった。新しい景色が現れたら、写真を撮りたい欲求は止まらないわけで、良さげなカーブとか廃墟とか神社とか、峠の湯に折れる看板とか、中山道坂本宿の案内板とかに出会ってはいちいち立ち止まってスマホを構えてしまった。坂本宿はそこまで当時の面影を残しているわけではないのだけど、当時の屋号の木板だけが、普通に民家に改築されていてもなお正面に目立つように掲げられているのには驚いた。これが、この通りに生まれ育った人々特有の、彼等なりの歴史の守り方なのだ。日暮が一気に迫ってきていた。ジグザグの山並みが日暮てしまった曇り空の手前に張り出している。白鬚神社に立ち寄り、急カーブが絡み合った坂道を下り、やっと碓氷関所の付近まで歩き切ったところでスマホの容量も100MBを切った。SDカードに保存してた五枚のアルバムのうち三枚を消して、代わりに艦これのスクショを400枚ぐらい移動させた。そうして最後に遥々到着した横川駅の証明写真が撮れた。ほぼ午後六時。遠回りに寄り道で一時間二十分。すっかり夜である。電車は五十分まで余裕があるけど、地方の観光地にとって午後六時は既に手遅れの時間だ。八割方諦めつつ駅前の飲食店を探したら、有り難いことにごくこじんまりした定食屋さんが一件だけまだ営業中だった。既にお店の自転車を店内に閉まっていて、かなり迷惑な滑り込みだったと思うけど、御丁寧に接客して貰えたので良かった。群馬のソースカツ丼を頂いて本日の旅は締め。御味噌汁には茄子が入ってた。うちの実家でもたまに入ってた。午後六時五十分、横川駅出発。高崎で運良く上野行きのアーバン快速に乗れた。電池も限界だったので久々に電池式の充電池を使った。日記を書ける元気は流石に残ってなくて、でも眠るには意識が冴えてしまって、友達にLINEで旅行の報告をしたりしながら暗い車窓の時間を遣り過ごす。浦和駅で京浜東北線に乗り換え、部屋に辿り着いたのが午後九時半。二日で二十五キロ歩いたのに筋肉痛が「まだ来てない」恐怖をアラサー仲間同士で分かち合う。日記を書いて、お風呂入って、軽いストレッチを試みて、私は遅れて遣ってくるかもしれない筋肉痛への恐怖を抱きながら眠るのだろうと思う。そういえば、お土産は買わなかった。姫路のお土産を前回置いてったばかりだし、何より十キロ以上を歩き回るには、お土産って結構嵩張って重いのだ……


 2020年9月23日

 寸前で忘れてしまった。眠気が酷い。筋肉痛が確実に脚に来たので歩くのが億劫だ。今日は半袖では肌寒い。昨日までの疲れで一日中眠気が酷くて、何度も立ったまま意識が怪しくなった。脚も痛くて速度が出せないし、職場ではずっと省力モードで過ごす。快活でゆるキャン△のアニメを観た。私達が山梨旅行で立ち寄った、ほったらかし温泉をモデルにした場所が登場して、夜景の底を電車が走る軌道を友達と指差し合っていたのを思い出した。ところで今日の快活は、隣人は突然笑い出す、奇声が背後から飛んでくる。リクライニングで寛ぐには環境がいまいち微妙だ。また傘を無くしてしまった。快活には無かったから多分、秋葉原でミートソース食べたときか、或いは電車のなかだろうか。眠さに痙攣し始めた。眠さに抗い続けても脳細胞死ぬだけだし、日記だけ無理矢理書いて、眠気堪えて吐き気までし、あぐっ、みずうみのなま


 2020年9月24日

 その建物の窓……細長くてグッドラックの親指のようにうえのほうが更に細くなる……を横切る柱の位置が大事らしい。何故それが大事なのか肝心なところを忘れてしまった。今日は酷く寒い。寒くて天気が悪くて、先日の疲れが残ってて眠気までするから、今日は安定の低調、余り無理をしないでのろのろと動いた。昨日は丹生湖の旅行を物語風にアレンジした、荒川行みたいな小説の書き出しを試してみたのだけど、致命的な眠気に襲われて丹生湖という名前すら思い出せなかったらしい。そういえば昨日は、ベテランの同僚さんが今年一杯で退社して地元に帰ることが決まって、部屋を引き払うまでに時間があるから何処かがっつりと旅行したい、長期滞在の旅行をするなら何処がいいだろう、という話をした。京都や奈良をがっつり観光するも良し、18切符で日本海側を攻めるも良し、小笠原諸島にまで脚を伸ばすも良し。私なら、仮に一週間貰えたなら、富士山一周の旅に出るのだけど、静岡出身の方だから富士山は流石に飽きてるだろう。旅の話がお好きな方だったので、また職場が寂しくなる。壁にびっちり張り付いた霜の塊で冷凍庫の扉が上手く閉まらなくなった。先日冷凍庫を閉め損ねたせいで霜の壁が一部溶けて、溶けた霜を足掛かりにして更に分厚い霜の壁が出来て、霜の壁で冷凍庫の閉まりが悪くなって更に霜が成長して、みたいな悪循環の結果のようだ。職場に持って行き忘れてたわさび味のKitKatの箱が霜の壁に潰されている。私は包丁を持ってきて手前のほうに張り出した霜の壁を削り剥がした。剥がした霜の塊が散らばるので手鍋で受け止めたら手鍋が氷の塊でいっぱいになった。一先ず扉が普通に閉まるまで。今日は気力の重心が下がり過ぎて持ち上がらない。今週は艦これを控える。筆プランや「一理ある」問題、パカル王の石棺、あと一つ何だっけ、見事にど忘れしちゃった。ちょっとした屁理屈を捏ねる用意はあるのだけど、今日は殊更低調がどっしり眉間に来てるので早めに寝ようと思う。安物のホワイトホースのロックにいつものスモークタン。旅行を挟んだだけなのに随分久し振りのウイスキーな気分がする。そして納豆御飯は本当に久し振りだった。


 2020年9月25日

 文化財の管理の仕事を割り振られたはずなのに私はろくに仕事もしないで文化財の観光に勤しんでいる、で、それがどうしたという部分は軒並み忘れた。喉は乾いたし、朝から酷く首が痛い。学校で連続殺人が起きている。急遽クラス会が開かれて、情報を持ってる人間は名乗り出なさい、と先生が怖い顔で張り切ってしまったせいでクラスがぴりぴりしている。早朝に登校していた日直の二人が呼び出される。実は私は死体を目撃していたような気がするのだ。死体は俯せになり、理科の雑誌を持っていた。だけど私はそれを夢だと思ったのか、誰にも伝えずに一度家に帰ってしまった。私は日記にそれを書いていた。私はだんまりを決め込んだ。私の日記は、黒色のレジのスキャナーのような形をしていて、何故か今日に限って同級生達がちょっかい掛けてきて、その日記を奪おうとするから私は必死で取り返す。いずれ露見しそうなだんまりは酷く神経を疲れさせる。同級生の一人は楽曲のコーラスのメロディを考えている。 恐る恐る廊下に出ると、本棚が窓のしたに並んでいる。私達の陰気なクラス会は先生の厄介な思い付きを挟みながら突然終わった。真っ青なタイツに全身顔まで覆われた怪人が学校に現れたのだ。学校一の武術の使い手である先生が攻撃するが効かない。しかし青いタイツの効果が切れたのか、怪人は取り押さえられた。同級生の一人が窓の桟に乗っかって危ない姿勢で学校の外を確認している。学校の先生達が、生徒達のために遅れた昼食の手配をしている。コンビニから出たら傘立てに同じような黒柄の透明傘が何本も並んでいる。はて、私の傘はどれだ? 幾つか開いてみたけど、似たような大きさ、似たようなボロさで区別がつかない。一番それっぽいのを選んで出てきたのだけど、重さとか、芯の傷み方とか、多分別の傘を選んでしまった気がする。まさか、傘の取り間違いで後ろから追い掛けられることもなかろうけど、私は牛丼屋であさり汁を啜りながら内心びくびくしている。ところで昨日は気分が低調だったので、頭のなかで勝手に自分の好きな漫画レビューが始まり、突然、私って少女終末旅行のレビュー書いたっけ? と過去に書いた文章系をおんぼろ外付けハードディスクから移動させたUSBをスマホに繋いでみたのだけど、機能の問題で変なポップアップは出るわ、ファイルが壊れて開けません、なんて表示が出るわ、私の人生から垢と一緒に散らかった落書きもいつまでも残っていてアクセス可能なわけではないのだな、なんてゾッとしてから寝たのだった。私は、自分の小説は微笑ましく読み直せるし、普通に何度も読み返せるほど好きなものもあるのだけど、レビューとか批評とかの類いに関しては、本当に自分の文章の拙さが気になって読み返せない。物語はそこで終わり、永久に羽化しない繭になって私の血肉とは切り離される。でも私が、私の言葉として書いた諸々については、私と地続きに、この瞬間まで続く物語の一部なのである。そして私が断続的に変わり続けるが故に、私は、私と私の致命的な不一致が気持ち悪くて仕方ないのだ。ではこの日記はどうだろう。数年後、私は私のかつての日記の文体に突然憤ったりするのだろうか。私は、私の物語を愛でて、私の言葉に嫌悪する。最近また寝床の相性が崩れ始めた。一日中首筋の筋肉が張っていて頭が重たい。持って帰っていいよと休憩室に置かれていた洒落たデザインのクリップは、どれも実用性に乏し過ぎて使えそうになかった。


 2020年9月26日

 非常に厄介な客が、棚どころか足元の地面から商品を掘り出してきて喚いている。私はどうやって難局を乗り越えたのだっけ。また私は、寸前で本筋の冒険の顛末をごっそり忘れてしまっている。ほんの一分前まで私はその風景を知っていたはずなのに。昨日の夜は洋楽の紹介サイトなんか漁っていたら、本格的に首が限界を迎えて痙攣のような症状が出たので、久し振りにタオルごと首にサポーターを巻き付けて重装備で寝た。少女は歌詞のなかに仕込まれた暗号を簡単に読み解いてしまえる才能がある。歌詞のなかにある星空に関する無茶苦茶な表現について、実際に線を引いて検証してみる番組が流れている。バイクを駆る侵略者達が現れたけれど兵隊達は余りヤル気がない。部屋のトイレは外側から引っこ抜かれて工事中である。ゲームの各面を攻略すると格好いいムービーが始まる。私達は敵の本拠地、といっても民家に乗り込んで、かつて世話になったはずの人達から身を隠しつつ儀式が行われる小部屋を見つけ出して……忘れてしまって、だから今日の私にはもう何もない。磯辺煎餅を食べたらどんどんと身が崩れてしまった。気温の低下と雨模様で、本格的に布団から動けない。立ち上がろうとすると軽くふらつく。でも自棄に喉は乾く。起きては倒れて、起きては倒れて、運動の後のような心身の疲労感に息切れしながらやっと動けるようになったのは午後七時だった。ホームセンターで洗剤とか丼とか買って、コメダ珈琲店。今日はすっかり寒くて半袖が厳しいぐらいなのに、艦これで月末恒例の勲章集めをしてたらついストロベリーシェイクまで頼んでしまう。突然咳が止まらなくなる。危ない危ない。家計簿も日記すらも億劫な気分だし、今夜は最後まで駄目な日ということで、何もしないでだらだらしよう。寝る前にパイプハイターを各所に撒き散らした。久々に半分壊れたDVDプレーヤーを起動させたらヴぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 2020年9月27日

 壮絶に寒い。先日までのノリで薄着で出勤したら悪寒が凄まじくて、当たり前のように胃腸を壊した。電車のなかの微かに流れる空気すら体温を奪う。昼頃には寒さも体調も落ち着いたものの、後輩の仕事振りに一人で勝手に苛々して、外に出れば駅前で騒音ががなってて一人で勝手に腹を立てる。絞めるような頭痛がする。退屈をどうにか遣りきって退勤したのだけど、具合が悪いとかえって素直に部屋に帰る元気がなく、ユニオンが10%引きだっていうからまたCD買っちゃって、今月一段と厳しいのに、頭痛は酷くなるし、交差点の落ち葉踏んで転びそうになし、そういえば退勤時間で街はすっかり暗くて、夏は死んだけど、秋はいつまで耐えられる? 雨の降り出した秋葉原は微かに下水臭かった。眼の焦点すら合わなくなってきた。例の如く電車で寝落ちて最寄り駅で飛び起きたら、貧血だか逆上せだかすら分からないけど、本格的に動悸が乱れて酷い頭痛になってきた。動画の音声だけ聞きながら命からがら部屋に戻ってきて私は廊下に荷物を放り出して布団に着の身着のまま倒れた。眼を閉じると閃光が罅割れていた。室内のほうが些か寒い。眼玉がぐりぐりと痛い。


 2020年9月28日

 最近は酷く忘れっぽくていけない。少女は投げ込まれて……布団を蹴飛ばして、寒さで早朝に眼を覚ます。昨日の頭痛は殆んど解消されたようだ。大学寮は細長くて白い建物で、私は慌てて硝子窓から廊下に入ろうとするけど狭くて体が通らない。その廃墟のようなデパートの家電売り場フロアは存在してはいけないもので、ウルトラマン達が乗り込んでずらっと並んで光線で吹っ飛ばすのだけど、敵の親玉であるホームレスのような爺さんの能力でウルトラマン達の動きが止められてしまった。何故か私が爺さんと肉弾戦することになってしまった。結果的に、ウルトラマンが駄目ならということで仮面ライダー達がやって来て、爺さんをぼこぼこにした。空が真っ青なのは嬉しい。相変わらず寒いけれど。その男性キャラは、原作では酷く弱いキャラだったのに、この物語ではかなり強くなっていて、しかも主人公のピンチで味方側に翻ってくれた。体育館で戦闘が始まる。戦闘の詳細はもう忘れてしまった。主人公は敵の一人に捕まり、眼前で煽られながら左手の各所の骨を破壊されるけれど、最後まで声も挙げずに耐え切ったので解放された。彼の左手はあちこち青痣が出来て甲の部分が変形していた。私の何かのお祝い事をするために、一家で海外旅行に行くことになった。私はその前に学校で試験を終わらせなきゃならなくて、私は制服を着て、久し振りに懐かしい知人達と会う。懐かしい顔の一人はもう子供を連れている。懐かしい顔は突然に私の背中に乗っかってきたりする。私はアジアの何処かの国に来ていて、私は母親達を先に行かせて、一繋がりではなく、幾つかの独立した建物を並べて両翼を大きく見せている建築物を駆け足で写真に納めた。重厚に観えて結構すかすかな木造建築だ、でもこのハッタリがいい、と、この脱線が原因か分からないけど、次の目的地へのバスを乗り過ごしてしまったらしい。兄が頑張ってバス停にいる人達と英語で喋っている。荷物はバスに預けてあったから、出来れば追い付きたいのだけど、海外なので勝手が分からない。親族一同で集まって地図を確認しながら相談する。次の目的地は物凄く遠い。湾を挟んで向こう側だ。電車はどうか、フェリー使えないか、などと話し合いながら……おや全く関係のない職場の社員さんまで混ざって地図を指差しているぞ……父親は、折角地元の知り合いが向こうで待ってるのにと呟き、祖父は珍しく明日の旅程のことを気にしている。ところで私は未だに何のお祝い事なのかも目的地の読み方も今回の旅程も何も知らないのだった。部屋の気温は遂に24℃まで落ちた。富士山はまだ見えない。駅前の郵便ポストで職人さんがペンキの塗り替えをしている。〒のマーク一つ塗るのも職人芸なんだろうな、と思う。今朝は寝起きから疲労感が凄かった。最近はまともに電気を消して寝れた試しがない。首回りは痛いし、やたら喉が乾く、そう、最近やたら喉が乾くのだ。牛丼屋に秋刀魚焼き定食が追加されていた。暇な時間に新しいプロットをメモ帳に書き進めた。彼女達の思い出の倉庫は文化財になってしまった。同級生達が倉庫の歴史を調べて倉庫の一階で対外向けのプレゼンに協力しているのを、彼女はちょっと受け入れられない。彼女の従姉が働いている市民センターでは何の催し物も遣っていない。従姉はかつて絵が得意で、東京の芸術系の大学に進んだけど途中で退学してしまった。従姉は絵を辞めて公務員になった。従姉の絵はまだ彼女の実家に何枚か飾られている。彼女と従姉は、水を塞き止められて死に絶えた湖に自動車に乗って行く。従姉は煙草を吸う。彼女が自分も吸ってみたいと声を掛けたら、好きな漫画家さんがさ、禁煙キャンペーンのグッズ作ってさ、私達の健康を破壊する害虫どもをこの街から追い出そう、なんてTwitterで呟いててさ、思わずコミック全部捨てちゃったよね、と従姉は諭した。倉庫は国の文化財に登録されて記念式典が開かれ、市民センターは立て替えてで封鎖になった。彼女は自分の記憶がコンクリートで塗り潰されるような気分になる。従姉は行方不明になった。彼女は導かれるようにバスで湖に向かった。向日葵はもう咲いていない。蜘蛛の巣の張ったボート乗り場から階段が延びていて、その下の地面に藪に隠れたすのこの道があった。今にも沈みそうなすのこを渡っていくと、水溜まりに上半身を埋めた人間の下半身があった。この服は従姉が着ていたものだ。すのこの道はなおも藪の奥に延びていた。彼女は、このまま進めば多分自分の死体を見付けるだろう、と思いながら、引くことも進むことも出来ずに水鳥の鳴き声にじっと耳を澄ませていた。電車のなかで壁に凭れてたら段々気分が悪くなってきて、何とか部屋まで歩き切って玄関を開けて手荷物を廊下に放り出して布団に倒れた。息が切れて呼吸がしんどくて、頭痛がするし軽いふらつきと吐き気がある。このまま寝込んで意識失ってでは昨日と同じだ。私は久々に眩暈・立ち眩みに効くという苓桂朮甘湯を引っ張り出して飲んでみた。苓桂朮甘湯は下手なタイミングで飲むとかえって頭痛になるから控えてたのだけど、今回はドンピシャリだったみたいで体調が落ち着いて、白米とインスタント味噌汁を用意出来るぐらいには回復した。苓桂朮甘湯は体内の水分の巡りを良くして水毒を解消する漢方で、効能は眩暈、ふらつき、立ち眩み、頭痛、耳鳴り、動悸、息切れ、神経症、尿量減少、その他諸々。なんか見事に私の症状に直撃してる気がする。鳩尾で水がちゃぷちゃぶ言うようになったら処方の目安らしいけど、あんまり胃に水が溜まってる自覚はないのだよね。

ただし漢方に使われる甘草を取り過ぎると副作用で偽性アルドステロン症が起こる可能性もあるので気を付けること。

久々にボウモア12年のロック。問答無用で磯臭くて安心する。


 2020年9月29日

 薄暗くて複雑な商業施設の廊下で同級生達と合流した。私達はあそこで何を探していたんだろう。或いは絶好の撮影スポットを探して山道を登っている。詳しい経緯は忘れてしまった。いつの間にか私達はサッカーの試合に参加していた。例の如く、上手くボールに脚が当たらない。無駄に個性豊かな面子が派手に叫びながらサッカーをしてるなかで、私は酷くやるせない気持ちで駆け回っている。山間に置かれたコンクリート製の旅館のような、でも中に入ると広くて暗くて、映画館や飲食店や休憩スペースを設置した複合施設があった。私は飲食店エリアのあたりをうろうろして何かを窺っている。何を狙ってたのだろう。ウイスキーだろうか? 休憩スペースで連れ合いだったおじさんが通話を始める。施設には若い客が沢山いた。映画の予告編が始まり、着物の女性がクナイで狼藉者の額を撃ち抜いた。私達は隣接するお高いスーパーに行く。お高いので私は何も買わないけど、連れ合いは肉と野菜を買ってレジに持っていく。レジには鉄板があって、店員さんが肉とチーズを焼いてくれる。飲食スペースのほうに文芸部のM君が座っていて、美味しそうな肉をナイフとフォークで食べていた。そうだ、彼は産まれ育ちはいいものなぁ、と思いながら私は声を掛けずに隠れた。飲食スペースの奥のほうに連れ合い達が集まっている。私は手持ちのお菓子を引っ張り出したけど、明らかに古そうなレーズン入りの袋菓子は同級生に止められた。親戚のおばさんが、何か忘れてしまったようだ。私達は文化財に指定された海外のとある白塗りの木造駅舎の前に来ていた。マシンガンを構えた迷彩服の兵士が警備している。物々しい国の文化財のようだ。駅舎のホームには巨大なドングリのようなものがあった。眼が痒い。角膜潰瘍起こした手前、眼が痒いと怖い。ちょっとだけ残っていた眼薬を差したら治まったけど、明日眼科に行っておくべきだろうか。寝起きから例の疲労感と首の痛みがあったので軽く体操をしたら、見事に寝違えた。背中が攣って、首が左と後ろに倒れない。枕も買おうかな、整体行ったほうがいいのかな、でもお金と時間が……電車では子供が奇声を挙げて、座椅子から落っこちて泣きじゃくる。背中の痛みは何時間経っても全く治る様子がなく、どちらかと言えば悪化していて、迂闊な角度に曲げようものなら首がもげそうになる。何か危ういものがズレるような痛み。私は本気の寝違えを舐めていた。最早ただ立ってるだけで両肩が張って神経に棘が刺さる。普通に業務に支障が出てしまうから、いつもの六割ぐらいの速度でのろのろと働く。食事は食べられるし、手足の痺れなどはないけど、筋肉どころか骨や神経にダメージが入ってる可能性すらあるし、明日は形成外科に行くことも考えておかなきゃ。富岡旅行以来、一度として体調がまともに戻らない。これはどうしたものだろう。机を虫が這っている。出勤の時には揚羽の幼虫がアスファルトを這っていた。私は見ない振りをして立ち上がった。結局仕事終わりまで寝違えが回復することはなかった。寝違えを暖めるのは逆な気もするけど、銭湯に寄って肩を暖めたら最悪の状態からは脱した。いつもよりちょっとお高い湿布を買って貼る。タオル巻いてサポーター巻いて首を固定。これで明日の朝までにちょっとでも楽になればいいけれど。首が曲がらないので布団から上手く立ち上がれない。首が回らないので嗽やアイボンが上手く出来ない。


 2020年9月30日

 一体何の施設だったのだろう、兎も角、私達は遠足か何かでとある建物のなかを見学している。私達は廊下を歩いている。小柄なお爺さんが案内をしている。同級生達はうどんのようなものを作る小さな機械を勝手に触ったりしている。教室のような待合室で、何か始まったみたいなのだけど、さてこのあたりの記憶は曖昧だ。私は地元の道をのろのろ歩いている。バスは行ってしまった。私は崩れ落ちた。連れ合いは先に行ってしまったし、私は何処かに置き去りにしてしまったリュックサックを探すため道を引き返した。遠方の山影に雷が落ちている。まるでメラゾーマみたいな白色の柱が何本も、挙げ句真横にすら飛び交いながら確実にこちらに近付いている。雷鳴はそこまで大きくないけれど、かえって雷鳴より早く光線の束がこちらに近付いてきたから私は怖くなって走り出した。図書館は閉まっていたけれど、市民会館はまだ開いていた。モスラ対ペギラ、なんて映画あったっけ。明るく透き通った玄関ホールにはテレビが置かれていて、旅番組の美味しそうな料理が移っている。付属の飲食店は丁度営業終了したようだ。私はリュックサックをなくしたのでポケットに数百円しかない。憎たらしい程の青空なのに、私は昨日の寝違えが治らなくて、布団から起き上がれなかった。この街のATMは正面になくて、民家の裏手の奥まった場所にある。あれ、ゆうちょ銀行じゃなくて別の銀行のATMを探してたのに。狭いところに大人達が並んでいる。私はその民家にするっと入り込む。そこには、何か厄介事を抱えた二人組が、幾つも重ねて積まれた布団に倒れ込んでいる。どうやら神様から特殊な能力を貰った青年が、その能力を使って面倒なことを起こしているらしい。それなら、この二人は神様本人か、その部下なのだろうか。褐色気味の痩せた女の子が突然飛び込んでくる。そして、私達がいる暗くて狭い部屋の隅で一旦裸になってから、あっという間に着替えて飛び出して行った。私達は呆然とそれを見送って、何も見なかったように会話を続けた。結局、何か事件は起きたらしい。でも事件のあらましはもう覚えてない。事件が一段落して、それに巻き込まれたホームレスのおじさんが、事件の舞台となった市民ホールのような建物の駐車場から、気持ちを新たにしていつもより綺麗な格好で歩き出したところで物語は終わる。世界の法則を書き換えてしまえる特別な能力を持った二人組がいる。最近自由に浮遊出来る能力を試してみたけど、あんまり寝心地が良くないらしい。その強大な能力ゆえに質素な和民家で……以前はもう少し装飾してたけど飽きてしまった……隠遁生活を送る二人にとって睡眠は大事なファクターなのである。食事は時々様子を見に来る女の子が作ってくれるらしい。一緒にいた少年が醤油を溢してしまった。昔は便利だと思ってたけどそうでもないよなぁ、と少年の服や畳に溢れた染みを手でなぞって消しているうちに突然ジリリリリと警報が鳴り響いた。新聞記事、カメラを撮ることで被写体を殺すことが出来る連続殺人犯の登場である……私はとある玄関先にいる。河を挟んで向こう、斜面の底のゴミ捨て場のしたに散水ホースがあって、そこからストレートの水が河を越えて玄関先のコンクリにまで届いている。蛇口を閉めに行くには遠いし、ゴミ捨て場が汚い。玄関先が勝手に洗われてるから、まぁよしとしようかなと思う。父親が遣ってきて小言を言った。実家の洗面台に据え置かれている冷凍庫がジャリジャリの氷で一杯になっていた。これではなかの物が取れないから、別の容器に移さねばならない。排水口が詰まっているのか洗面台から水が溢れ出している。隣では、祖父母が何か険悪そうに喋っている。オーストリアでは珍スポーツ大会が開かれていて、ぺんぎんの被り物をして膝立ちで走るスポーツとか、高台から投げた野球ボールをキャッチするスポーツとかを遣っている。後者はそれほど変なスポーツではないけど、投げる役のお爺さんが歴戦のピッチャーで、速度は遅いのに凄まじいカーブを描いたボールが降ってくる。挑戦者は二人いて交互にキャッチするのだけど、こちらもとんでもない身体能力でダイビングキャッチしていた。今日は寝て、起きて、寝違えが痛くて、布団から起き上がれなくて寝て、を何度も繰り返して、まともに布団から脱出出来た頃には既に青空は夜に喰われていた。眼科か形成外科、或いは新しい枕を買いに行く、という予定も寝違えの痛みに喰われた。月末なので3-5で勲章回収してたのだけど、今回は余りにも大破撤退が多過ぎて一日掛かってしまった。ともかく、一日部屋から一歩も出ず、完全に寝転がりモードに徹したお陰で、人生最悪レベルの寝違えの痛みも大分和らいできた。左には大分余裕を持って曲がる。まだ後ろには曲がらないけど、日常生活に支障をきたす程じゃない。私の九月は読書も執筆も作業も特に何をすることもなく、平穏な停滞の底に終わる。平穏なだけマシだったとしよう。艦これは久々に開発で遊んで装備を整理した。納豆ご飯美味しい。長らく忘れてた屁理屈のテーマを思い出した。そうだ、需要の話だ。夜中に雨が降って関節に響く。日記の頁を改める。



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