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invisible holidays (2020.10.01~10.10)

 2020年10月01日

 立入禁止の竹竿が右手の風景をずうっと塞いでいる。お地蔵様で有名な神社があるのだけど近所に駐車場がない。仕方ないので寂れた商店街の片隅に車を停めて父親が残って、私と兄が歩いていくことにする。私は兄とはぐれて一人で神社に辿り着く。神社の境内にはゲームのキャラクターみたいな神様達が結集していて、季節の歪みのような何かを修正するために各々凄まじい力を発揮したので、一帯が人知を越えた有り様になった。回転したり膨らんだり吹っ飛んだりしているうちに、季節はちょっとだけ秋に近付いたらしかった。車が私を探してこちらに流れて来る。兄は既に車に乗っている。私達が車に残って父を神社に行かせることも出来たけど、父は構うことなく車を発進させてしまった。道端にお地蔵様がずらっと並んでいる。かつては、後々有名になるであろう天才達が一ヶ所に集まってたりしてたんだよなぁ、などと私は思う。とあるゲームのキャラクターが、神社だか寺院だか目掛けてマップをうえを突撃している。その内部ではお婆さんが壺を投げ付けて階段のアイコンを消している。ダンジョンではモンスターがうろうろしている。そのキャラクターは直接攻撃が出来ないので、豆のような弾丸を指で床に押し付けて弾いて敵を撃退する。背後から龍のような巨大な頭の影。薄暗い和室で時代劇に出てきそうな格好の二人の男性が話している。隣には新しい御得意様の看板が置かれている。二人はこの神社だか寺院だかの関係者で、これまでの御得意様とは縁を切ろうという話をしている。この神社だか寺院だかとの契約を切られたら、相手方は潰れてしまうだろう。男性の一人が階段を下っていく。そのうち真っ赤な頭の百眼小僧と一緒になる。不思議な歌が流れてきて、百眼男が増え、男性が水瓶で顔を洗ったら彼もまた百眼男になってしまった。明らかに挙動が可笑しいおばさんに、他の宇宙に生物っていないと思うんですよね、と言われた。その時は、それは科学者の見解次第ですねぇ、などと適当に答えたけど、本当は確率の問題なのだ。玩具の部品を箱に入れて、適当に振り回して玩具が出来上がる可能性はゼロではない。つまりこの無限にも続きかねない宇宙に散らばった、例えば地球と同じような惑星という箱に特定の部品さえ生じれば、あとは生物が組み上がるかは確率の問題である。そしてそのような部品が自然発生可能な「地球のような惑星」だけでも宇宙の規模を考えれば相当数あるはずだから、私達はその可能性を否定出来ない、というわけだ。ところで貴方の先程の判断は、一体何を根拠にしていますか? 最早形而上的な「語り得ぬこと」に属しかねない宇宙の営みを、たった貴方の迂闊な感想で決められる程に、この世界は容易じゃありませんよ、ねぇ? なんて、流石にそんな挑発を言い返して事態をややこしくする私ではない。さてはて、今日の私は何をしたのだっけ。寝違えは業務に支障が出ない程度にほぼ治った。九月でクールビスが終わってしまったから、今日からは出勤前に一手間が増える。秋刀魚定食は売り切れていた。右下の犬歯のあたりが痛い。そろそろ職場の担当替えがあるだろうけど、私の担当はまだ暫くは据え置きだろう。百円玉を危うく間違えそうになった。私の生活は、私の記憶よりも随分と薄い。明日は修羅場だろう。やれやれ、休みたいものです。忘れていたこと。セブンイレブンのおでん。金木犀。金木犀は確か、富岡旅行でも嗅いだはずだった。今日のバレンタイン12年のロックはやたら酔いが回る。


 2020年10月02日

 同級生達と連れ立って小学校のグラウンドで商品券の給付を貰いに行った。私達が並んでた頃はそうでもなかったけれど、暫くしたらグラウンド一杯に行列が溢れ返っていた。同級生は巨大で特殊な構造のカメラを抱えていた。家族の手伝いがあるからということで私達は駄菓子屋の前で別れた。誰かの自動車の後部座席でぼんやり呆けていたら、私は他の同級生達とも別の用事を入れていたらしくて、自転車に乗った同級生達が私に向かって合図を送って来た。私はちょっと予定を遅らせてしまったようだ。私達は駄菓子屋から出発して、下流のほうに降りていく……私達は何処に向かったのだろう。テレビではかなりフランクに皇族達の日常が紹介されている。受験前で疲れた表情をした子供を連れて自動車に乗り込んだり、五人か六人程並んで腰掛けて、好きな言葉のインタビューを受けていたり。皇族の住居の簡単な修理まで自分達で遣っている、という話題から、舞台は立派な洋風建築のロビーに移っていた。あれ、確か、ロビーで待っていたのは私の家族じゃなかったっけ。ここでは皇族の皆様も闘いの心得がある。その手の世界では有名な女性が隣にテーブルに座り、いざこざが始まった。女性の連れ合いの貧弱な少年がとばっちりを受けた。みんなぞろぞろと部屋の外に出ていく。何処に出ていったのだっけ。イヤホンは断音していて、耳に当てると世界の音が消える。とある女性が意味ありげにこちらを見ている。まだ闘いは続いているらしい。今日は幼稚園が賑やかで、子供達がきゃーきゃー騒いでいて、引率の先生がマイクで指示をしている。清々しい青空。最近は寒さでお腹を壊さないよう、温かいお茶を買っている。コンビニの駐車場で、厳つい配線を覗かせた銀色の箱をおじさん達がトラックに乗っけて、緩衝材を挟んでロープで括り付けていた。どうでいい景色ではあるけれど、今日の私はこんなことも徒然に残しておこうと思う。私の生活の核心は、どうせ言葉になどならぬままに消費されるのだし。牛丼屋の秋刀魚定食、二度しか食べてないのに、もう終わってしまった。何気に値上げしてるし。職場は地獄忙しかった。上半身でマラソン大会を遣ってるようなものだった。イレギュラーが殆んどなかっただけ幸いだったけど、終わらない、終わらない。そういう日でも営業さんは遣ってくる。オペレーションを幾つか切り詰めて速度を挙げても、最近増えた別のオペレーションの負担が大きくて口が回らない。喉は枯れるし、肩は痛いし、ふっと集中が切れると反射が追い付かない。みんなが同じものを買っていく。つまりそれは、みんなが同じ記憶を共有するということで、記憶は記録になり、語り継がれるのだろう。それは、この記憶の共有がほどかれたバラバラの時代においては非常に凄いことなのだし、私達の鎹として、楔として、ずっとあるのだろう。でもそれにしても売れ過ぎである。ふざけんなよ。売れ過ぎて我々の呼吸が毎回危なくなるんや。部屋に帰ったらどうせバタンキューで御飯なんて作ってられないからつけ麺を食べた。電車は妙に混んでいた。ゆるキャン△第二期が一月からだそうだ。是非ともリアルタイムで観賞したい。もう気になるアニメを追い掛ける元気も薄れてしまった。神経過敏が悪化してもう一年以上が経過して、文芸活動もずっと停滞著しく、挙げ句にTwitterから事実上の離脱状態になってどれぐらい経っただろう。Twitterが私達のものではなくなってからどれだけの月日が経っただろう。Twitterで挙げるために変わった買い物をしたりYouTubeで音楽探したりしてた頃が懐かしく感じる。気合いを入れ直すために久々にTwitter復帰してみようかな、と軽く覗いてみたけど、また我々皆外道畜生を思い知るばかりで神経の具合が悪くなってしまった。Twitterはもう私達のものではない。慎重に世界に防音壁を用意してからでないと、また私は部屋のなかで悲鳴を挙げることになるだろう。生きるだけで精一杯な私は、何を為す前に精魂尽き果ててすっからかんに干からびて死ぬだろう。私のミイラのような死骸に何の御利益があろうか? 私の全身全霊の孤独は間もなく冬である。セブンイレブンでおでんを買う。フォース橋にペンキを塗る。

マンネリズムの語源としてのマニエリスム。盛期ルネサンス様式の模倣そのものが目的化し、更にその様式の極端な歪曲や誇張までが行われてしまったもの。それは型に嵌まったマンネリズムであると同時に、古典主義から逸脱した独自の特徴……原理の抽象化、歪んだ空間、曲がりくねる人体……をすら持ち得る。因みに有名どころではエル・グレコもマニエリスムの巨匠の一人。特定の完成された崇拝対象を模倣した結果、それをねじ曲げて自分達特有の「気味の悪いもの」を産み出してしまう、そんなマンネリズムが持つグロテスクな創造力というものは、何か他の分野に適応可能なものだろうか?

今日はオールドパー12年にドライパイナップル。昔のように、風味を言語化しようと焦ってた時期からすると、安直に消化し過ぎてる気もするけど、氷が溶けるに連れて大人しくなっていく風味の動きの大きさはやっぱり面白い。隙を見付けてはInstagramに曽我梅林の写真を挙げてるので2GB程余裕が出来た。でもTwitterを再度インストールして本格的に活動を再開しようにも、呟く内容の殆んどが今のところ日記で事足りてしまっている。本垢で呟く内容ならば、需要の話、一理ある話、パカル王の石棺の話、マニエリスムの話と、四つ程ストックしてるネタはあるけれど、どうせ長い話になるから面倒だ。酔いが回れば眠くなる。今日も特に何も出来なかった。


 2020年10月03日

 私達は旅をしている。私達はあちこち回って、今は池の畔にいる。池の輪郭に沿ってセメントの用水路が走っている。職場のTさんが、この用水路は水が冷たいから、それに適した動物が住んでるはず、と果敢にも水中に飛び込んだ。Tさんは暫く用水路に潜っていたけれど、私はTさんの行方を見失った。しかも突然に夜が深くなって水中が良く見えない。私達は慌て始めた。池に巨大なワニが現れたのだ。でっぷりと大きな胴体を揺らしながら、ワニは池の角のところで陸に登っては降りてを敏捷に繰り返している。池を取り巻く狭い歩道で行列が行き詰まって、私達はこの場から逃げられない。女の子が行列に押し出されて池に滑り落ちそうになっている。歩道の最後尾には丸っこい体格のか弱い女性がいて、私は彼女を盾に出来るような位置でワニの動向を窺っている。私はワニとTさんの行方を確認するために照明を池に向けたのだけど、馬鹿野郎、ワニが来るだろと誰かに怒鳴られた。池の対岸で誰か命からがら斜面を這い上がっている。あれがTさんであったことを心から祈る。乾燥して鼻が詰まって仕方ない。首も膠着してるし、頭も痛い。私はお城のお堀のような場所の傍らに置かれたレジに立っている。私の読者だという奇特な男性と文学フリマの話をしていたら、切られた。土曜日の朝から運動服を着た自転車の行列がずらっとバス停前を横切っていく。土曜日だけど電車のなかには制服の高校生が多い。今日は頭が回らない日。頭が回らないのに客達が……私達ではなく……朝っぱらからバタバタしていて、午前中の貧血じみた体調もあって気分が落ち込んでしまうから適度に逃げ腰で過ごす。眠気覚ましに珈琲を飲むけどカフェインを摂取すると御手洗いが近くなるから面倒臭い。はて、そういえば、便秘でトイレに籠って大変なことになったのは何日前だっけ。そんなことすら日記に書き忘れているのだがら呑気なものだ。私の生活は言葉になり損ねたままバタバタしている。秋葉原駅前のツクモが閉店していた。ヤマダ電機のLABIだったはずがいつの間にか屋号が変わり、そして潰れた。秋葉原も変わっていくなぁ、なんて呟いて、秋葉原に慣れてしまった自分に苦笑いする。今日は土曜日だから街に女の子が溢れる。女の子達の横を、カップルが通り過ぎていく。秋葉原にはカップルがわりと歩いている。秋葉原という街は、私には知れない不気味な業で動いている。駅前の快活でDAZNが観れたので、千葉の友達が勧めてたアメリカンフットボールをちょっと鑑賞してみた。野球みたいなもん、と友達は言ってたけど、確かに、プレーの進行が連続的で攻守の入れ替わりがシームレスなサッカーやラグビーとはまるでルールが違っている。攻撃回と守備回が明確に別れ、小刻みに小刻みにプレーを途切らせながら得点ゾーンに向かって前進し、ファールのような攻撃失敗もあれば、エラーのような致命的な取り零しや、ホームランのような華麗な一撃もある。確かに野球っぽかった。ゆるキャン△のアニメも一通り観終えた。女の子達が至極健康的に笑顔で趣味を楽しむだけの健全な物語は観ていて疲れないからいい。作画の負担を上手くいなすような丁寧な演出も好印象だし、何よりキャンプの蘊蓄、キャンプの道具、キャンプの料理、キャンプ場の情景といった一番肝心な「趣味」の面白さ・楽しさの表現に手を抜かない誠実さがとても良かった。原作の漫画も二巻まで読んだ。神奈川の友達が、来月の頭ぐらいに日本海側へ温泉旅行に行かないかと誘ってくれたのだけど、文学フリマのことや年末年始の予定も考えなきゃいけない十一月初頭という時期に新幹線と宿泊費で五万、六万も出費するのは危険過ぎる、ということで今回は辞退することにした。財布の事情はどうしようもないのだ。夜中の歩道橋からぞろぞろと、二十人か三十人ぐらいの一団がぞろぞろ降りてくる。小学校の庭の木々がぱたぱた鳴き始める。ぱらぱら雨が降ってきた。傘を持ってきてないから私は走って帰った。ゆるキャン△みたいな良作アニメを鑑賞してしまうと、以前から構想だけ立ててた二人旅の物語を一度試してみたい気分になってきた。それで試験的に姫路城を舞台にした簡単な短編を書き始めてみたけど、我ながら相変わらず遅筆っぷりが酷い。折角興味深い舞台を用意したはずなのに拙速に過ぎる、もっと、人間の動きを丁寧に確実に追い掛けるべきなのに、私達は必要最小限の言葉で最大限の無駄を繰り返してしまうから、詰まる所、私達はとても優しくなんてなれやしなかった。私が目指すものはこんな不健康な言葉の重圧ではなかったつもりなのに、はて、私は私自身のこの詰まらなさを何処まで書き直すことが出来るだろう? 創作は疲労の溜まりが激しい。眠さを押して文字を書き続けるとまた言葉が壊れて脳細胞が死んでしまうから、洗濯物だけ干して、今日は寝よう。脚のあちこちが急に痒くなったので洗浄綿で拭く。


 2020年10月04日

 取り敢えず最後に二十人か三十人ほどどどどってやって来た。首の膠着が限界を迎えて早朝に眼を覚ました。また電気つけっぱなし。寝床を整えずに寝ると大抵首を痛める。そしてごっそりと忘れた。ちょっと出掛ける算段もあったけど、寝起きの調子が悪過ぎて諦めた。昨晩はInstagramに挙げた写真のキャプションが全部「曽我梅園」になってたの気付いて、片っ端から「曽我梅林」に書き換える作業をしていた。そしたら余りに連続で書き換えたせいで編集制限が掛かってしまった。今日もまだ制限は解除されていなかった。姫路城の短編も進まないし、部屋で寝込んで「オデッセイ TOKIO」で検索掛けてへらへらしてるのも無駄な時間だから、一先ず駅前まで出ようと思ったのだけど、昨日買って忘れてた大根サラダを食べたら胃腸に突き刺さって更に一時間倒れた。最近また眼が痒くなることが増えたので、コンタクトレンズは控えて新しい眼鏡で出掛けたら度数がキツ過ぎて眼が回る。駅前までちょっと歩いただけで息切れして血の気が巡らない。駅前のmister Donutで季節限定のさつまいもドーナツとか食べながら、三分の一ぐらい死んだ意識で1997年アルバニア暴動の記事とか読んでいたら、通りすがりのお婆さんが、東京の感染者数は何人ですかと唐突に尋ねてきた。108人ですと私が答えたら、お婆さんは今度は別の客に、東京は108人ですよ、108人、と無差別に声を掛け始めた。可哀想な認知症のお婆さんにとっても大変な時節なんだなぁ、としみじみと思う。因みにここは埼玉県である。

夜道を歩くには度の低い眼鏡では事が足りない。度数の高い眼鏡を掛けたままふらふらしと駅前の百貨店に寄ってみた。はて、一階フロアの食品フロアが丸ごと改装されてスーパーマーケットになっている。店内は綺麗に整っていて、品揃えも趣味がいい。こうなると無駄に買い物してしまうのが私の悪いところで、THE Chocolateブランドのブラジル・ベネズエラ・ドミニカ産カカオの新シリーズに釣られたのを皮切りにして、イタリアチーズのアソートとか、ライ麦パンとか、ウイスキーの小瓶とか、挙げ句につぶ貝の燻製なんてものまで買ってしまった。つぶ貝なんて一体いつ食べるんだ? 百貨店の上階にうちの職場と同じ系列店舗が入ってるので久し振りに立ち寄ってみた。日曜の夜という時間が悪いのかもしれないけど、やっぱり客足が乏しくて物寂しい。POPや看板はちゃんと凝ってるし、明るくて広々とした空間は印象も悪くない。でもこういう空間的な余裕は、閑散とした時間帯には逆効果を産むこともある。因みに私が職場で担当してるジャンルは、なかなか過激に凹んだり抜けたり荒れたりしていた。恐らく長時間棚の整理が入ってないし、商品のロケーションも整頓されてるとは言えない。私ならばまず棚の凹みを片っ端から修正、空いてるスペースはじゃんじゃん商品を補充して厚みをつけて、配置が分断されている同系列の商材を一ヶ所に纏めて統一感を出して、フェア台の陳列も全部見直して薄くなってるところを積めるだけ積んで……なんて、これはきっと私の事情だから可能なことなのだ。多分予算とか人手とか、このお店の事情では、この状態が維持出来る限界なのかもしれない。でも一日だけでも私に自由に棚を触らせてくれないかな、気に入らないところを全部片っ端から修正してやるのに……なんて妄想を企てながら、私は下手に場違いな場所で長居し過ぎて不審者と思われてないか周囲を窺ったりしていたのだった。部屋に帰ったら体調不良がいよいよ悪化して寝込んでしまった。心身の一切合切が抜け落ちて無為に歪んだ布団に倒れる。私は最後の気力を振り絞って切り札の苓桂朮甘湯を飲んだ。運良く効能が効いたみたいで、夕食を用意出来るぐらいには回復した。部屋が暑くなって扇風機まで引っ張り出す。心身の寒暖が乱高下して危険だ。多少は回復したけど、執筆や読書や作業をする程の元気はないので、角ハイボール、ライ麦パン、イタリアチーズのアソートで細やかな贅沢を堪能する。ライ麦パンがいい。石窯ライ麦粒のパン、タカキベーカリー。角ハイやチーズに負けないしっかりした麦の風味の強さがある。角ハイは一対二で割るぐらいが味が殺されなくていい。でも慎重に飲まないとまた急性に襲われて死ぬ。さて問題は、イタリアチーズの三種アソートだ。タレッジョ、ゴルゴンゾーラ・ピッカンテ、パルミジャーノ・レッジャーノの三種類なのだけど、どのチーズがどれなのか分からないのである。一つは硬くてかっちり四角四面なチーズで、濃厚、なかに何かガリガリする粒が混じっている。一つはとろっと柔らかくて黒いものが混じるチーズ、瞬間的なエグみが強いけど余り尾を引かない。もう一つはさらにとろっとしてて皮ごとカップに入れられてるチーズ、まろやか、微かに塩っぽい。三つともワンピースずつお手頃なサイズで、ちょくちょく海外製のチーズに手を出しては食べ切れない私にも優しい。あとどんなチーズの風味も豪胆に受け入れてしまうライ麦パンが強い。


 2020年10月05日

 学校の先生達が生徒達に、今朝の川口さんのニュースには気を付けてねと注意を促している。川口さんは海外で拉致の被害に遭ったらしいのだけど、警察とメディアが何か特殊な報道をしていて、私達のリテラシーが問われているらしい。バスに乗り込んで、今回の旅程……地図は山合を登っていく……を確認していたら他の教師達がぞろぞろとバスに乗り込んで来てしまった。同級生達は地べたに座ってカードゲームを広げている。等身大のホログラムが現れるゲームで、少女が相手と相討ちで……合計ダメージ数は同じだけど別の基準で勝っていたので……勝利して、レアカードを獲得した。私はその妙に巨大なカードをぎこちなく懐に抱えた少女の写真を撮った。私達は海辺の町に来ている。とある伝統を守っている町らしい。浅瀬に波が打ち寄せている。浅瀬に沿って歩いていけば、向こうの崖のしたまで行けそうだ。この町の焼けた肌の少年達が喋っている。少年の一人は、クラゲのような容器に入った、不思議な粘つく液体を飲んでいた。お腹を冷やしたわけでもないのに昼間にお腹を壊した。恒常的に疲労感と脱力感があって気力が出ない。季節の変わり目のダメージかどんどんと蓄積されている。久々に同僚さんに仕事の愚痴を溢した。愚痴を溢せる同僚さんが一人でもいるのは有り難いことだけど、先輩一人にばかり頼り過ぎてもいけないとは思う……職場近くの蕎麦屋が潰れて、代わりに新しい焼肉屋が出来た。気になってはいたのだけど、遂に満を辞して期間限定税抜き600円の一人焼肉に挑んだ。本調子なら物足りない量だけど、恒常的に弱った私にはこれぐらいが良い。御馳走様でした。風景の焦点が合わなくて、眼がちかちかする。電車で寝落ちると血の気が引いてしまう。国勢調査のネット回答を滑り込みで済ませる。寝床の周りを簡単に掃除して、部屋のペットボトルを片っ端から片付けて、一日早いけど溜まってた段ボールも纏めてしまって、それで今日の私はお終い。生活から一歩も先に踏み出せない。生活が限界で、生活すら、沸かしたお湯を取りに行くことさえ出来ない。私は筋肉の内側で腐っている。筋肉の内側でどろどろに溶けて淀んでいる。せめて吐き出せ。でなければ筋肉が腐るまで私は吐き気のなかで眼を回し続けるだろう。膠着している。痺れている。痙攣している。世界はこんなに息苦しい。呪術廻戦が気になって、例の如くWikipediaでやたら詳細な粗筋と設定を読んで楽しんだ。Wikipediaの粗筋と設定だけで面白い漫画がある。時々Wikipediaの粗筋と設定のほうが面白い漫画もある。ももは藪に隠れた階段を降りていく。そこには学校の廃墟と集団住宅の廃墟がある。集団住宅の廃墟の階段に隠れるようにまどがいる。まどは既に傷付いている。二人は最後の会話を交わす。そう、とももは冷淡な顔で笑った。私は最初からあんたの事が大嫌いだったよ。ももはまどを撃ち殺した。ライトアップです! と、まどから鍾乳洞の写真が送られてきた。避暑を通り越して風邪引きそうな寒さやで、娑婆の太陽が懐かしい、とだらだら喋り始めたので、よしそのまま雪崩に巻き込まれて生き埋めになれ、と端的に送り返してももは再びバス停に向けて歩き出した。眠る寸前に軽く執筆の調子が起きてしまって二日連続で五時間睡眠の危機。夜食のチキンラーメンで胃が張って痛い。


 2020年10月06日

 はて、私はどんな厄介事に巻き込まれたのだっけ、と失われた記憶を手探りしていたら34.6℃と出た。流石に低体温過ぎるので計り直したら35.2℃。それでも随分と低い。左の人差し指には腫れ物が出来ているし、背中の調子は悪化の一途を辿っている。今朝は鱗雲。満員電車。満員電車で朝から消耗する。最寄り駅では58分発より56分発のほうが空いているけれど、荒川を越えるあたりではどちらも同じようなものだ。最近荒川で確実に艦これが猫る。すっかり昼間には胃痛が起こる体質に逆戻りしてしまった。それで唐揚げ定食なんかばりばり食べるのだ。何かがポロンと落っこちて、瞬間嫌な臭いがして、いなくなった。喉に何か詰まった感じがある。後輩の後始末もしなければならないし、本日も憂鬱である。間歇的に頭が痛む。慢性的な疲労感と、こめかみと眉間を繋いだラインがじりじり絞まるような不快感がある。下手に何処かに避難しても無駄に出費するだけだし、それなら成城石井で千円ほど使って部屋の装備を充実させたほうがマシだ。不快で歪んだ埼玉の夜道で、久し振りにTwitterアプリを落として、本垢だけでも再開させたほうがええんかな、なんて考えてみる。でもこの半年の私達の呟きが、接着剤で仮面貼りつけたきごちなくて気味の悪い敬語か、さもなくば骨が露出するほど地面に額叩き付けて奇声吐いてるかどっちかで、悲惨、頭が抉れてきた、下手な復帰は病状のリバウンドを起こしかねないとなかなか踏ん切りがつかない。私は不愉快に眉間に皺を寄せながら復帰後の一言目を考えてみる。ああ、駄目だ、頭痛の不快感のなかで、壊れた仮面で下手くそな演技に走る私の醜態しか見えてこない。私は思ったより重症で、思ったより危篤だ。ジム・ビームのロック。久し振りのバーボン。バーボンは辛い。刺すように、でない。じゃあどんな辛さなんだ?


 2020年10月07日

 私は今日も旅行をしている。どんな場所を旅したのだっけ。灰色の街路の一瞬を覚えているだけだ。スーパーの駐車場で家族の自動車から降りて荷物を探す。向こうに置いてきたでしょと母親に言われる。良かった、電池は少ないけどスマホはある。スーパーの裏手に歩いていくと打ち上げ花火が夜空に踊っていた。夜空を埋め尽くす程に明るかった。キャラクター花火も盛んに飛んでいて、月吠えのキャラまで夜空に浮かんでいた。花火というか、ぐねぐね曲線を描く光線でキャラを描画する、理屈の分からないものまであった。スマホで写真を撮りながら歩く。河原には観客が集まっていて、土手のしたから法被を着た憎たらしい顔の子供達がだだだっと登ってきて観客の前に並んだ。これから多分踊りでも始めるのだろう。私の記憶は改竄されていて、私達は宿泊施設の裏口から花火を見に行ったことになっていた。金田一少年が不良から逃げていた。ラーメン屋、だろうか、コの字型のカウンターに座っていたら、若い女性が二人、私の背後で別の衣装に着替え始めた。そんな格好、寒かろうに。どうやらこの狭い店内で一曲遣るらしくて、カウンターに座っているファン達が、どの曲がいいか楽しそうに相談していた。今朝は酷く寒くて、布団がはだけると風邪を引きそうになる。背中が慢性的に痛くて苛々する。私はホテルの部屋から出られない。髪の毛が金髪に染まったり、白髪のおじさんが謎のアドバイスを持ってきたり、ガキどもが部屋に乗り込んで配線の隙間に潜ってしまったり、相部屋で知らない夫婦が泊まってたり、照明の暗いお風呂の扉が閉まってなくて湯船に誰か入ってたり、怪盗が現れたり、女将が別の部屋を都合してくれると約束してくれたり、窓の外では雨が降り、チェックアウトの時間は迫り、眩暈のために部屋のドアにすら辿り着けず、私はこのホテルの部屋から出るために金縛りに合いながら必死で寝返りを続け、勢いベッドから転がり落ちてみたり、何度も何度も愚かなリスタートを繰り返しながら不安定に針が行って戻ってする幾つかの時計と競争をする。挙げ句が私の実家のベッドだ。私は遂に脱出の糸口を見付ける。私は荷物で脚の踏み場もない部屋を歩く。今日の私は出掛けるはずなのだ。余り寝てもいられないのだ。私は再び眼を覚まし、私は私の部屋の景色に呆然とする。
湘南新宿ラインに乗れば乗り換え一回だったのに、特に何も調べないで埼京線のホームに乗り込んでしまった。埼京線は湘南新宿ラインを追い越して、新宿で乗り換える。今日もいまいち血が頭に回らない。渋谷駅は工事中の白板に覆われていて、京王井の頭線までいまいち自分の位置が分からない回廊を歩いて、出発寸前の電車にふわふわっと乗り込んだ。駒場東大前駅で雨が降り始めた。東大駒場キャンパスは感染症のため関係者以外立入禁止だ。東大前から線路に沿って歩いていく。東大のお膝元だけど、閑静な住宅街で、地味な場所ではあるけれど、閑静に馴染むように上品に飾った民間が並んでいて、私には都合のない場所だな、なんて思う。今日の目的地は駒場公園。旧前田家本邸の和館は一階が開放されていて、整った和室から眺める日本庭園の侘びがいい。入口で額検温。もうなんだか慣れてしまった。今日なんて平日だし観光客も少ないだろうから、受付のおじいさんがこの端正な日本建築の主なのだと思う。今回の本命は、重要文化財に指定されている旧前田家本邸だ。和館から少し進むと洋館の側面が森のなかに現れる。タイル貼りの重厚な建物に出会うと、それを「図書館のような」と思ってしまうのは何故だろう。私は洋館の正面まで歩く。厚みのある車止めと薄緑の三角屋根、ベージュがかった茶色いタイルの洋館が聳えている。旧古河庭園の洋館は黒と白、明と暗のコントラストが強かったけれど、こちらは落ち着いた装いに纏まっていて、重厚な装飾を纏いつつも大人しい軽さがある。ただ車止めの真っ赤なカラーコーンだけが子供の悪戯のように景観の邪魔をしている。内部は、これは私が経験したなかでもずば抜けて豪奢で、真っ赤な縦断と黒の大理石、そして何より黒地に金紋様の重厚なカーテンに出迎えられてちょっとたじろいてしまった。2018年にリニューアル・オープン、当時の内装をより正確に再現したということで、歴史的建造物でありながら隅々まで新鮮な豪華さが保たれている。カーテン、絨毯、壁紙、シャンデリア、シャンデリアの根本の天井紋様、マントルピース……暖炉の意匠……更に絨毯の隙間から垣間見える寄木モザイクの床板まで、各部屋ごとに意匠が異なっていて飽きさせない。至るところ細部まで装飾を分厚く積み重ねていく重厚な絢爛さはやはり洋館の醍醐味だと思う……例えば神社の本殿など絢爛な造りではあるけれど、そういう絢爛さは聖域として隔離されたもので、居住区として絢爛さのなかに生活することを前提としない。それこそ和館と洋館が見事に対照を為している……それでも、そんな絢爛さのなかに、火災報知器、コンセントの差し口、お手を触れないで下さい、そしてエレベーターのボタン、そういう現代の必要が空間に紛れてしまわねばならないのを、私はどう評価したものか未だに分からない。どんなに当時の絢爛を再現してもなお、当時には戻ることの出来ない決定的な痕跡。中庭には、一本の塔が建てられていて、補強用に金属製の紫色の梁がくっついている。中庭を中心に、建物のなかを本当に「一周」してしまう構造もこの洋館の面白さだと思う。旧古河庭園の洋館もそうだったけど、これ等の洋館は「正面」が複数あるのだ。私には絶対似合わない過剰な豪奢さに程々満足してから、私は洋館のもう一つの「正面」を探して芝生広場のほうに向かった。芝生広場、といっても靴が隠れそうな程の雑草が繁っていて、乱暴に勢力を伸ばした車前草の一群を踏み荒らすのはちょっと気が引けた。広場を囲む桜の樹には花見客向けの注意書がぶら下がっている。そんな雑草の広場を見下ろして高級なシンメトリーのテラスとベランダが聳えている。羽根つき獅子がテラスの角を守護している。立入禁止の真っ赤なカラーコーンが再度私達の行く手を塞ぐ。公園の入口には球技禁止の看板があったけれど、それ故に、余計に私は、野球のボールがベランダの二階に飛び込む瞬間を想像してしまう。写真を撮るために周辺をうろうろしていたら尖った細い切り株に脚を引っ掛けて転びそうになった。石造りの鉢の一つがドクダミに占拠されていた。さて、私は概ね満足したので洋館を後にして、一度公園の正門のあたりを簡単に確認して……隣接する前田育徳会、尊経閣文庫の建物は一般公開されていなかった……続いて公園内にある日本近代文学館に立ち寄った。コンクリートの壁を大胆に露出させて、平面性を際立たせつつ入口付近に凹み、階段、テラスが凹凸を作ってバランスを取る。うーん、和館、洋館に続いて、この外観はモダニズム建築の部類なのだろうか、簡単にGoogleで調べても余り建物のほうの情報が出てこない。『日本をゆさぶった翻訳 ー明治から現代まで』展が開かれていた。文学館の展示はどうしても作品の展示ではなく資料の展示になってしまうので物足りない部分はあるのだけど、このあたりは比較文学専修としてそれなりに興味深くフロアを回ることが出来たと思う。現代まで続く、最新の海外文化・思想・社会の受容と咀嚼、かつ日本文化・思想・社会の確立と発信の「尖兵」としての文学。しかし文化・思想・社会を海外列強と同レベルに引き上げるための「尖兵」としての役割は、現代では最早文学の領域ではない……当時は絵画や演劇や音楽すら文学者が大いに受容を担っていた範疇だったのだろうけど……となれば尚更に文学は現代において如何なる役割を持つのだろう。必然啓蒙的かつ国民的にならざるを得なかった近代文学から、如何にして現代文学を切り離して確立させることが出来るのだろう? 閲覧室は恐れ多くて入れなかったので、喫茶店BUNDANで休憩しつつ日記を途中まで書き進める。仄暗い店内に積み重ねられた書籍の壁、作家や作品をイメージして作られたメニュー。村上春樹のハードボイルド・ワンダーランドに登場する最後の晩餐を再現したものとかあって物凄く惹かれたけれど、朝食メニューだった。珈琲のAKUTAGWAを頼んで閉館ギリギリまで粘った。外は雨が降っていた。もう午後四時半、このまま駅に直行でもいいけれど、折角なので東大駒場キャンパスの外周を一周してみることにする。ああ、東京の一等地だ。通りに沿って建ち並ぶ洒落たビル、洒落た店舗、通りは高架に登っていき、インターナショナルスクールがあり、柱のモニュメントが屹立し、薄い境界を隔てて東京の一等地に接するキャンパスから蔦がはみ出して勝手に侵食する。猛烈にトイレに行きたくなった。珈琲を飲むと尿意に襲われる分かりやすい体質なのだ。カメラを構えるために立ち止まっただけで危険、尿意に焦りながら私はふらっと横道に逸れて見事にキャンパスの外周を覆うフェンスを発見し、そのまま飾らない穏当な商店街を突っ切って最短で駅を発見、しかし駒場車庫前駅の構内にトイレが見付からない。よりによって反対側の改札口のしかも改札外にあるらしい。渋谷駅行きの電車が来てしまったので、私は一先ず乗っかって、隣の神泉駅で飛び降りて何とか御手洗いを発見して事なきを得た。折角の寄り道だったのに焦ってまともに観察出来なかった。ももが窓の外を見ると、中庭の塔から女の子が首を括っている。別の面から見たら女の子が補強用の梁のうえに立っている。別の面から見たら女の子が梯子を登っている。一階に降りて窓をみたら中庭の煉瓦の小屋の天井に女の子が立っている。次は何処にいるだろう? ももは最大限に警戒しながら玄関から屋外に出た。女の子は何処にも現れなかった。ほっと胸を撫で下ろして隣の公園に行ったら、日本語ではない言葉を喋る、古い海外映画に出てきそうな学校の男性達が、公園の真ん中まで運び出されたまだ首に縄をぶら下げたままの女の子の死体から服を剥ぎ取って辱しめていた。ももは公園の芝生のなかに脚を踏み入れないように気を付けながら、立入禁止のカラーコーンが無様な洋館のテラスとベランダを写真に納めてまどに送り付けた。神泉駅はホームが地下鉄のように平たい天井に覆われていて、踏切を一つだけ挟んで直ぐにトンネルに入る。つくづく東京は土地の高低が落ち着かない。井の頭線渋谷駅からJR渋谷駅までは工事の関係で動線が変わっているらしくて、ああ、昼間には気が付かなかったけど、岡本太郎の大作だ。明日の神話。私は我が身の位置を見失って人間が行き来する歪な箱のなかを右往左往する。私はゆうちょのATMでお金をおろして適当に地上に降りた。池袋も新宿も未だに理屈の分からない街だけど、渋谷の理屈はもっと難解で、そのうえ他の二つより更に若々しく、ポップで、挑発的だ。殊更埼玉から離れる渋谷の地図は全く頭に入っていない。109のネオンが輝くスクランブル交差点があるのを知っているだけ。でも私はふらっと雨が降る夜の渋谷を歩き出した。あ、私の拙い記憶が正しければ、MARUZEN & ジュンク堂書店の渋谷店があの東急の百貨店のなかにあるはずだ。私はエレベーターで七階まで昇る。百貨店のワンフロアを占める程の大型書店、勿論棚のレイアウトも大胆不敵で文芸関係も質が高くて、しかも文具フロアの品揃えからして私にはまるで及びも付かない高級志向。文学は私達のものではなく、高級な百貨店に飾られるものなのかもしれない。時代の先端を走る尖兵は今やこんな場所でふんぞり返る。まぁ、それはともかく、普通の書店では比べ物にならない芸術棚や文芸棚の充実ぶりは楽しい、楽しいけど頭のカロリーが足りなくて情報量に即刻疲れて頭がぼんやりしてきた。八階のレストラン階は私達の常識の二倍から三倍の御値段だった。芸術と文学はこうやって私達を見下すのだ。因みに名前しか知らなかった渋谷のBunkamuraはこの百貨店と繋がっているらしいのだけど、連絡通路を見付けられなかったので諦めて外に出た。私はお手頃な御値段のお蕎麦屋さんで胃袋を満たして、スクランブル交差点渡って、最強と名高い埼京線の帰宅ラッシュに飲まれながら赤羽に辿り着いて、そこまで最強じゃない京浜東北線で埼玉まで帰った。日記は書けたけど今日はそれが限界。何かの切っ掛けで角川春樹のWikipediaを開いてしまって、ああ、この世の平凡は強し、高々天才の一人や二人を私達は平気で嘲笑えるのだ、なんて苦笑いをする。また写真を一杯撮ったのでスマホの容量が限界だ。Twitterのアプリをインストールするのはまだ先だね。作者の気持ちを答えよ、を実際見たことがないことについて、或いは語り手について。寝る前に、ライ麦パンとイタリアチーズのアソートを夜食にする。チーズは元々保存食だからまだ大丈夫だろうけど、パンの消費期限が迫ってきている。黒いものか混じってたエグみのあるチーズ、黒いものの面積が増えてたので、やっぱり黴系のチーズかもしれない。でもこのエグみがわりと尾を引かなくて舌に優しいのか好印象。ヤオコーで買った二袋が終わったので、成城石井で買ってきた10%引きのカンパーニュのスライス……つまりライ麦パン……を開けたのだけど、こちらはちょっと硬くて夜食には重たい。デュワーズのノンエイジ小瓶を開けてロックにする。舌に滑らかにピートが染みてから、間を置いて喉の手前でじっくり追い討ちがくるタイプ。ただし氷が溶けて水気が増えると苦味が雑になる。このあたりは安価なノンエイジの限界なんだろうか。確かに値段が張ったウイスキーは氷が溶けても雑にならないものな……でもツインアルプスも値段のわりに氷が溶けてから雑になるな……ロックとの相性は微妙だけど、ストレートなら咥内で根強く根気強く残る香りを存分に味わえるので、このあたりは最適な呑み方を模索するべきなんだろう。久々に真面目にウイスキーの感想書いてたらまた夜更かし。黒眼揺れて、酔うて乾きの蛍光灯。夜更かししてまでラジオ体操。


 2020年10月08日

 目覚ましの片方を忘れて、遅刻し掛けて飛び起きたから大抵全て忘れてしまった。憎たらしい程の雨だ。雨が強ければバス停が混み、バス停が混めばバスは遅れる。沢山の濡れた傘が床に突き刺さる。昨日の夜は寝床の相性が限界まで最悪で全く眠れなくて、また首にサポーター巻き付けて無理矢理眠った。サポーターのまま眠ると眠りは安定するのだけど寝違えのリスクが高まるから怖い。満員バスからの満員電車、でも四時間睡眠のわりには、頭の調子はそんなに酷くなかった。コンビニの喫煙室には昼休憩のおじさん達とおばさん達が行列を作っている。職場の休憩室では同僚さん達が埼玉が地味なことについて喋っている。メモ帳が結構進んだ。今日も帰りに快活に寄ってへやキャン△を観賞しつつ、曽我梅林の写真をTwitterに挙げる。それからDAZNでアメフトの試合を流して意味不明な英語の解説をBGMにしながら原作のゆるキャン△を読みつつ十月の寒い雨の日にアイスをカップ二杯平らげるという、三時間1090円のちょっと間違った贅沢を堪能した。ゆるキャン△はアニメも漫画も旅行欲や創作欲を掻き立ててくれるとても良い作品だ。ところで、私は一体何故、快活の窮屈な個室なんかに座ってだらだらしているんだろう? みたいな疑問が鎌首をもたげるけど、一先ず気にしないことにする。キャンプは下準備が大切で、万全の装備を整えて楽しむものなのだけど、私のような思い立ったが吉日、最寄り駅だけ調べて旅程は現地で決定、寄り道大好き迷子上等アクシデント歓迎(は、してない)みたいな人間には、キャンプは間違いなく向いてない趣味である。ハイキングなんかもそうだ。お金は掛かる、荷物も嵩張る、手間も多い、幾ら憧れても相性の悪いジャンルはあるもので、だから私はゆるキャン△を適度な距離感を意識しながら楽しむことにする。ならば私は、私の絶対に他人には勧められない旅徒然を上手く物語に落とし込み研究をしなければならない。「私達の街」シリーズとはまた違うアプローチで、私が軽蔑される程に旅先の魅力が際立つような、そんな。雨のなかを歩いて帰宅、部屋が露骨に寒い。余り信頼置けないマイペースな気温計が21℃まで落ち込んだのだから本格的に防寒を心掛けなきゃならない。今日はフェイマス グレイスのロックにセブンのササミ。以前簡単に調べたら、低価格帯のノンエイジにしては比較的評判が良かった。実際わりと平気で700nl瓶を着実に呑み進められているので、私の味覚ともそこそこ相性はいいのだろう。注意して呑めば安っぽい雑味は微かにある。けれど、多少氷が溶けたぐらいでは崩れない、舌を痺れさせるような筋の通った苦味、それに絡む淡い辛味がちゃんと個性を主張している。アルコールを摂取したら急に眠くなってきた。風邪を引いてはいけないので毛布を一枚引っ張り出して補強、寒さの元凶の一つである窓は改めて段ボールで覆う。電気毛布は早計だろうけど、この冷たい天候が続くなら考えなくてはなるまい。ああ、何ヵ月ぶりの感覚だろう、これは私の人生を台無しにしてきた最悪の身体的感覚、つまり「脚が冷える」じゃないか……


 2020年10月09日

 兄の運転する車に乗って何処に行ったのだっけ。母親も乗っていたと思う。自動車は渋滞を掻き分けるように進んで、それから私達はどんな厄介に首を突っ込んだのだっけ。とある漫画のとても肉感的な女性キャラクターが、好きな男性との逢引の計画に失敗して、結果別の男性達と乳繰りあっている。名簿には苦手にしてる人達のペンネームが書かれている。店員が天丼のセットを間違えて配膳する。私の前に座ってるおじさんは島田紳助似である。窮屈で思わず首サポーターを外したら、吐き気にも似た背中の不調が悪化して私は独りのたうつ。バラエティ番組の一幕だか、私達の本当の冒険だか分からぬ。バスに乗ったら道中には祠や地蔵がいっぱいあって、途中下車したいな、と思いながら地図を開くと、この街一番の神社から奇妙な斑の帯が伸びている。とある学者のお爺さんが知識クイズをしている。小刻みに水中から白くて小さい花や蔓を伸ばしては引っ込める植物を、ゲンノショウと言い当てる……そんな植物はないのだ。黄色い花を水面に散らばらせて口を突き出す食虫植物なんて……狭い路地を歩くと学習参考書がずらっと並んでる小屋がある。有名なお笑い芸人が登場すると、大きなプールいっぱいに集まった同じ水泳キャップを被ったエキストラが歓声を挙げる。プールサイドで猫が怪獣に食べられる合成映像のメイキング。余りにも猫の合成が下手だ。女の子が武器を持って敵を皆殺しにしていくのだけどデフォルメが効き過ぎてなんのこっちゃか分からない。私は母方の親戚の薄ら暗い部屋にいて、リモコンで番組表を弄る。夜中にテレビを観てたはずなのにもう午前十時で遅刻してしまいそうだ。他にも、もっと脈絡のない冒険があった。脈絡のない記憶に翻弄された私は脈絡もない感情を育てながら脈絡もなく旅を続ける。それ等全て、誰の経験なのか、私には知れぬ。部屋が妙に暗いのは昨日窓という窓を段ボールで塞いだからで、なのに部屋のなかは凄く寒くて冷気が床の高さに溜まって関節に染みる。学校のあちこちで私達は飲み食いをしている。お祭り、なのだけど、一体何の祭りなのだろう。最初は室内で宴会ぐらいの規模だったのが、いつの間にか溢れて屋外で、懐かしい顔がちらほらあちこちで騒いでいる。理科系の大学で資格を取ったのに医科系の大学で仕事してるんだよと、ととある友達が言っている。私は職場の同僚さんに平泳ぎで勝ち、同級生が二人、白くて細長い皿を互いに打ち合わせながらグラウンドを一周する。私は殆んど誰にも聴こえない高い歌を歌いながら、ぐるっと会場を回って先に帰宅する。夜の街路を歩いてたら途中で揚げ物の屋台があって、でもお金がなくて諦めた。私は家に帰り、何故か蔵の、秘蔵の壺を開けてしまって、壺のなかで液体にぼっぷり浸かった豆腐のような白い塊を摘まんでちょっと食べてしまった。時間の感覚が分からない、朝だか夜だか昼だか? 私は自分の年齢すら良く分からなくなってしまった。味が染みてる。どうしよう、一度出してしまった塊の壺への戻し方が分からない。私は無理矢理壺を閉めて、バレないか冷や冷やしながら蔵を出ると、母屋で物音がした。祖父母の部屋は何ともなかった。何故か従弟が炬燵に座っている。玄関では母が掃除をしていた。気温が下がって雨が降る、台風も近い、ずっと街が暗いから頭が半分ずっと寝たままで、体調や具合が悪いというより神経の調子がまるで上がらなくて、端的に言えばヤル気が出ない。雨で職場も暇だし今日はずっとふらふらと意味のない往復を繰り返して時間が過ぎるのを待つ。ノーベル文学賞が発表されていた。米国の詩人は完全な不勉強だ。村上春樹受賞ならず、を強調するのも安易なミーハーだけど、村上春樹ばかり五月蝿い、村上春樹が取るわけがない、挙げ句が陰謀論だの不要説だの、Twitterで低レベルな逆を張ってマウントの取り合いを始める連中もどうせ同レベルの無様なミーハーに過ぎなくて、それなりにノーベル文学賞に興味があるとアピールしたいのなら、せめて小川洋子や多和田葉子の名前が一緒に挙がらないこととか、地域格差を気にするノーベル文学賞なのに今回はボブ・ディランから然程間を置かずに米国人が受賞したことか、でも米国は小説分野の受賞者が強いから今回詩人を取り上げてバランスを取ったのかもしれないとか、サリンジャーとロスは死んでしまったけどピンチョンやオースターも厳しそうだなぁとか、そういうもう一歩ぐらい踏み込んだ話題で盛り上がれよ、なんて機嫌を悪くしてしまったら私もTwitterに屯して「一理ある」ゲームに溺れる下劣な連中と同レベルになってしまうから、私は自分の倫理を守るために静かに黙ってふらふらしていることにした。ノーベル文学賞はお前ら如きのものではないよ、なんて、それなら私のものでもないのだから。神経が鈍麻してるから無数にだらだらっと流れ込んでくる他人の身勝手な呟きが頭に障って仕方がない。Twitterは言葉を集積する。連中は、みんなバラバラのまま、知らぬ間に群れて言葉の塊を作って私達にのし掛かる、それで彼等は一人として自分の責任を取ったりはしない。私も然りである。こんな心身ではTwitter復帰はまだまだ厳しそうだ。血管は淀み、言葉は穴だらけになり、神経だけ過敏になって血の色をした溜め息を吐く、私は私の無際限の苛立ちを殴って抑える。私は私の饒舌に歯軋りをする。みんな死んでしまえばいいんだ。昼休憩に苓桂朮甘湯飲んで仕事したら、無気力が消えた代わりに脱力感が襲ってきて、そのくせ突然客がわらっと増えてきて、文字通り息も絶え絶えで仕事をしたからちょっと倒れそうになった。苓桂朮甘湯は嵌まると有効だけどタイミングを間違うと副作用が酷い。まだ無駄に複雑化したオペレーションに頭が付いてこない。今日の私はレベル7ぐらいの素人、あんまり無理をさせないでくれ。猛烈な脱力感が幾分か抜けたら、今度は猛烈に苛々してきた。無差別極まりない苛々。恒常的な苛々。あらゆるものに苛々するのに、散々不審な動きをした挙げ句に店内の棚の影に隠れて服を着替え始める変人まで現れるからどうしたものだ。体調も優れないままだし苛々。社員は変なところで声を掛けてくるし苛々。苛々する。苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々ところで某駅構内のNEWDAYSの店員さんが、レジ打ちながら明らかにスマホでゲームをしてるのである。こっそりならともかく、普通に眼の前の客からスマホの画面が見えるような場所で平気な顔してゲームしてる。これ、然るべきところに訴えたら一発で解雇やん、などと思いながら気が付かない振りをしている私はまだまだ修行が足りないみたいだ。電車に乗ったら座ってるおじさんに脛を蹴られた。お前ら、私の突発性苛々症候群が治まってて良かったな、一時間前ならば惨劇だった。


 2020年10月10日

 田圃の向こう、山の斜面をちょっとだけ登って開けた場所まで弁当を持っていく。神社の境内だろうか。田舎なので日が沈むのが早い。私は田圃の真ん中で、斜面のほうに引き返すか、諦めて帰るか悩んで右往左往している。帰り道は白っぽい現代的な建物を境にくねっと二股に別れていて、一つは登っていくほう、一つは……ええと、どんな道だっけ。台風が接近してるから今日は完全に引き籠る一日。気圧低下で全く動けなくなる可能性も考慮してちゃんと食料も備蓄しておいたのだけど、問題は気圧じゃなくて寒さだった。底冷えが凄い。心身を麻痺させるには充分な寒さ。脚が冷える。そう、私の最も恐れていた「脚が冷える」季節が遣ってきたのだ。体温が下がると何も出来ない体質なので、何もしないことにした。寒いので布団に潜って寝たり寝なかったりした。別に台風のせいで一日何も出来ないのは構わないのだけど、冬場になるとこの「何も出来ない」が常態化し始めるんだろう、そうなるとまた半年私の活動が死ぬ。せめて文学フリマ東京までは気温が安定してくれるとありがたいのだけど……電気毛布どうしよう。体感的には電気毛布出さないと風邪を引きそうなのだけど。艦これは任務消化で3-3、4-2、4-3、5-1を何度も飽きるほど大破撤退しながらなんとか周回したのだけど、4-2と4-3は別に回る必要なかった。貴重なバケツと鋼材を相当削ってしまった。そして気が付いたら午前四時目前。四時間睡眠は切った。ここまで行くと一種の不眠症なんだのと思う。でも絶望する元気もない。今日の私は檻のなかで動かなくなった痩せた豚だ。一度も外出すらしなかった。変な時間に緑のたぬきとか大根ミックスとか食べて胃腸がつらくなる。オールドパー12年、やはり安価帯のウイスキーに比べると呑みやすさが違うね。結局電気毛布は出しました。寒気が低いところに溜まるのはどうしようもないけど、脚が冷えるの抑えるぐらいの効能はある。日記の頁を改める。

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