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invisible holidays(2020.12.01~12.10)


 2020年12月01日

 だだっ広い公園を行ったり来たりしていたと思う。何かの催しに参加していたと思う。催しが終わり、私は夕暮れた建物のなかを、忘れ物を落としてないかうろうろする。私は今日は何も持たずにここに来たようだ。帰りに何処かの食品量販店のウィスキー棚を覗いたら全然知らないウィスキーが並んでいたと思う。例の如く記憶が曖昧だ。ただ漠然と奥行きだけがあって中身がない。誰かに誉められたような気もするのだけど……また下手に寝落ちてせいで足元は寒いし首回りがカチカチに痛い。電気消してないし眼鏡も外してない。最近は殊更に寝床に入るのが下手になった。


 2020年12月02日

 ちょっとでも河に入れば手足に真っ黒くて丸い虫が沢山吸い付く。吸い付かれると痛いけど、集めれば食べられる。紹介してるお兄さんは百匹集めようと言っている。机のうえには収穫された虫。写真の手前にマグカップ。Twitterで朝から痛い気持ちになったと誰かが呟いていた。昨日は一日調子が低めだった。最近また体がずんと重い。夜はひたすら艦これのE-2攻略していた。攻略サイトは見ちゃったけど無事乙難度を主力温存して攻略成功。でも今回は兎に角ドロップに恵まれない。既に獲得済みのリシュリューさんを一体拾ったのみ。五時間睡眠だから今日もしんどい。殆んど痴呆に両脚を突っ込んだお婆さんと一時間ばかりも格闘する羽目になった。何かを勘違いしているのは確実なのだ。しかし、別の店舗と勘違いしてるのか、店員の性別を勘違いしてるのか、案内の内容を勝手に改竄して勘違いしてるのか、案内された商品の記憶を改竄して勘違いしてるのか、或いは何もかも勘違いしてるのか、兎に角一体何を勘違いしてるのかを特定することが出来ないから厄介なのだ。既に解答は確実に失われている。出題者が解答を紛失しているのに、通りすがりの私が正しい答えを導くなんて不可能なのだ……何故なら仮に私が運良く正解を提示したとしても正解にならないのだから……コミュニケーションは既に破綻しているのに、私はただそこに居合わせたというだけで一時間ばかりも破綻の底に破綻を掘り進むような馬鹿をする羽目になる。結論から言えば、そんなスタッフはいないのだ。そんな商品も存在しなかったのだ。私はこの世に存在しない幽霊を探して出勤してる店員に片っ端から証言を求めねばならなかった。そのジャンルに一番詳しい店員が改めて案内し直そうとしても、お婆さんは存在しないスタッフが、存在しない案内をした、存在しない商品を探せ、と強情に繰り返し続けて、私は最早幽霊としか喋れなくなったお婆さんに向かって延々とそんな幽霊はいないのだと苛々しながら説明し続ける。幽霊としか喋れなくなった人間に幽霊の存在を説明するなんて、根本的に不可能なのだと知る。私達に出来ることといえば、お婆さんを幽霊の世界に安置して、こちら側にふらっと歩き出さないようににこっと笑ってその言葉を受け流すことぐらいなのだけど、しかし仕事中ではそうもいかない。夜中に日記を書くため本日の理不尽を改めて思い出してむしゃくしゃした苛立ちで眠気が飛んでしまう。私は生きている人間だ。幽霊とのお喋りは病院か墓場だけにしてくれ。小柳さんが遂にほんだちゃんを殴り飛ばした。やっとここまで来たんだ、と私は一人こっそり楽しい気分になった。湯沸かしポットではセブンイレブンのレトルト御飯の湯煎が不充分になる。気温と水道水が冷たくなり過ぎて、以前のように温まらないのだ。昨日はそれで猫まんまにする羽目になったので、別の会社のレトルト御飯を買うことになる。艦これの掘りは相当酷い。ビスマルクさんが落ちたけど、それだけ。ああ痛烈な眠気。言葉はとっくに壊れている。私の言葉を信用しないで下さい、背中を痙攣して布団で跳ねながらなんのことばが、ことば、ことば、ことば、寒い、まどちゃんとももちゃんの旅小説は冒頭の書き直しだけで一日が終わってしまった。書き進んでいるけどうむく。いからなたまわはな、のやまらすべて私のことばに、な、な、る、えう、はねはねはねはねはねね、るるる書き進んでいるだけマシなのどさやら、はなほんとうちおもしろくなるのだろうかにねねなねなねねねへねひねはねねねねねねね死ぬほど眠たくても人間は眠る前にちゃんと寝床を整えねばならない。さもなくば私は凍え死ぬことになるのだから。しかし無理やり立っていても意識失って後ろにひっくり倒れそうな殺人的な眠気のせいで危うくファブリーズを口に吹き掛けてしまいそうだった。インスタントの味噌汁を作って飲む。身体が精神とともに前と後ろでぺきっと裂けてしまいそうなこの悪魔的な眠気は心地好くない、そう、眠気はもっと心地好いものであるべきだと思う。


 2020年12月03日

 あれ、電車じゃなかったっけ? 駅に滑り込んでくる白と緑の快速電車が停車するのを待っていた記憶があるけれど、ともかく私は、何かの催し物が終わって帰りのバスに乗り込んだ。おじさんが前方の席で喋り散らしている。どうもそれで迷惑している女性がいるらしくて、私はその女性とおじさんの間の席ぐらいに陣取る。おじさんは、この世には意味のない幼稚な物語が溢れている、と酷く幼稚なことを偉そうに宣っていたので、私は真っ向からおじさんに反論を試みた。おじさんは正面から反論されると余り強くないらしい。周りの人達を巻き込んで私達は妙に真面目な声色で議論を始めた。


 2020年12月04日

  最初はルイージみたいなのがアスレチックのうえで敵と混戦するアクション・バトルだったのに、突然マリオみたいなのを操作してシューティング・ゲームを遣らねばならなくなった。青い眼玉が逃げ切る前に撃ち落とさなくてはならない。何度もリトライしてやっと撃ち落とした。それは幽霊の本体で、彼女は一度クッパのような厳つい顔を見せた後、恨み言を残してから溶けてドロッと地面に広がった。彼女の婚約者が、山や街や河をごっそり乗っけた長方形の島のような船を引っ張って遣ってきた。しかし既に彼の婚約者は死んでいる。彼は悲観に暮れながら、とある洞窟に辿り着く。そこで先行して洞窟に潜っていた怪しい細長い男から肘まである赤い手袋を片方だけ奪った。この手袋を使えば、洞窟の底で再生する婚約者を引き揚げることが出来る。しかし手袋が片方しかないために婚約者は救い出しても直ぐに死んでしまう。しかも洞窟では彼の記憶にある既に亡くなった親しい人々……婚約者本人をも含めて……が妨害してくるので、それ等を殺して進まねばならない。彼は何度も洞窟に潜り、死者を救うために死者を何度も殺し、救い出した死者の死にまた直面しなくてはならない。彼は次第に精神を病んでしまい、とある落ち目の科学者の甘言に乗って彼女に機械の体を与えることにする。彼女は歪な在り方で目覚める。私は寝落ちて電車を乗り過ごした。電車は既に県境を跨いで山際を走っている。線路の真ん中に薄い桃色の紫陽花が枯れかけて残っていて、電車のしたを潜り抜けた。こんな季節なのに紫陽花がまだ残ってるんだ。折角県境跨いだのだし、以前訪れた紫陽花の名所に行ってみよう、紫陽花はともかく紅葉が観られるかもしれないとスマホで検索しようとするのだけど上手く文字が打ち込めない。挙げ句に隣に学生達が座って騒ぎ始めた。この電車は京浜東北線だろう。あれ、京浜東北線はこんな渓谷に沿った山際を走っただろうか。私の記憶にある電車の風景は……駅から直ぐにある大きな御寺の境内の風景は……もう遠くなってしまった最初の記憶で私は黄ばんだ駅舎を歩いていた。宣言が発令されました、と構内放送が流れて俄かに人々が慌て始めた。実家に帰ると畑のほうで親戚のおばさんが何か背の高い植物を括っていた。地元の同級生だか文芸部の仲間達だか曖昧な面子で集まって、互いに自分の人生などについて語り始める。私は久々にN君を目撃する。私は電車に乗っていて上中里で降りた、まさか、上中里を通る京浜東北線はあんな商店街の脇を抜けるカーブを走らないし、上中里の駅前にこんなスッキリした広場だってあるわけがない。私はその広場で眩暈を起こして、見覚えのある民家の畳のうえに寝転んでいる。あの廊下の硝子は母方の祖母の家のものだ。私の遠い記憶は歯抜けなどころか順番すら間違っている可能性が高い。私は午後四時過ぎになってようやく、布団から抜け出すための格闘を始めた。昨日はどうだったっけ。埼玉でも夜中に息が白くなったから、十二月だなぁと感心した記憶はあるのだけど。一日中やたら眠かった。天気が悪くなると体調も一緒に落ちていく。例のお婆さんは来なかった。わざわざ休憩時間も外に出ないで休憩室に待機してたのに。部屋に帰ってfleet機能で無駄話をして寝た。ぬじまさんの怪異と乙女と神隠しという漫画が、無難な怪奇ものの皮を被ってフェチズムを多分に爆発させようとするアンバランスさが面白い拾い物だったとかそんな話をした。怪奇ものとフェチズムは元々相性良かったはずだけど、それが何処かで分離されて、ライトで無難な怪奇もののフォーマットが出来てからまた無理やりにフェチズムを接続したような違和感が面白い、と説明出来る程に怪奇ものに詳しくはないのだけども。後は自分の過去作読み直して自画自賛したり。でも確かに私のDummyは良い短編集ですよ。さて夕方になって動き出してみたものの、部屋は凄まじく寒くて布団から出る気合いが足りぬ。信用に足りない温度計が16℃まで落ちていた。外気温は10℃だそうだけど、これから一気に冷え込むだろう。今日は職場が大変なことになってるはずだけどお休みで良かった。最近眠気が強かったし、外出は控えて睡眠時間を稼いでおこう、という予定は終わったので、さてどうしたものだろうか。
近所の銭湯が休みなので、いっそのこと歩いて隣駅のスーパー銭湯まで行くことにした。途中すき家に寄ったのだけどしじみ汁しかない。何故かすき家はあさり汁を常駐させてくれない。RaNi Musicを聴きながら夜中の寒い産業道路をずうっと歩いていく。イオンに折れる交差点を更に突っ切って、コーナンに曲がる用水路すら越えるともう何年も通っていない場所である。多分、引っ越してまもなく、住所変更か何かで川口警察署まで行ったとき以来だ。私は全く記憶にない街をじろじろ眺めながら歩いて、そして、特に何の景色を覚えることもなく忘れていくのだろう。でもこの歩道橋は覚えている。当時、自転車で上手く交差点を渡れなくて困ったからだ。私はラジオで流れていた粉雪を一緒になって小さく叫びながら歩道橋を渡った。この道をどう私は言葉にすればいいのだろう。飽きるほど見慣れたベッドタウンの角ばった世界。マリリン・モンローの巨大な像。夜に響く信号機の灯り。色んなものを見て、色んな生活を通り過ぎて、色んなものを忘れる。荒井由実のひこうき雲が流れてきて、妙義山をモデルにした小説の何かの取っ掛かりを見付けたような気がする。まどちゃんとももちゃんの物語はやっばり一旦御蔵入りにしよう。だって書ける気がしないのだもの。駅前のイルミネーションを折れて、暫く歩いたら目的地のスーパー銭湯があった。午後八時半。歩いて三十分ぐらいだろうか。スーパー銭湯というよりも、鉄筋コンクリート製のビルと一体化した地方の遅れた温泉宿のような雰囲気で、照明が暗いものだから何か間違えた場所に来てしまった気持ちになる。埼玉土産まで置いてあるし。私は恐る恐るハンモックに乗っかって日記を書いている。ハンモックは余り寝心地が良くない。結局首回りが硬いと落ち着かないのだ。割安な二時間コースで頼んだのであんまりぐーたらもしていられない。温泉は珍しく黒湯だった。子供達が手摺に登って飛び降りたりしていたから気が気ではなかった。温泉には満足したけど、二時間では風呂上がりにだらけてもいられぬ、外に出たら丁度駅前までの送迎バスに乗れた。スヌーピーのぬいぐるみが座席の間隔を確保している。駅前のBOOKOFFに寄って漫画を買った。部屋に帰ってからだらだら漫画を読んでいたら四時間睡眠コースになってしまった。やれやれ、折角休日に睡眠時間稼いだのに、また不用意に使い果たしてしまうのか。ファイアパンチの最終巻とか、トロール教授の怪しい授業とかに頭が揺さぶられているところで迂闊に嫌なものを目撃してしまったから、夜中に嫌に頭が回って眠れない。Twitterには神経を破壊するための猛毒が非常に巧妙な手口で隠されている。私達は愚かであり、愚かに、傲岸に、身勝手に他人に迷惑を掛けることを人生の命題としている。それは文学の命題にはなり得るが文学の役目でない、ならば私達は何故愚かなままに文学を読み文学を書こうとするのだ? 私が無力なのは私の怠慢であろうが、私達が揃って無力であるならば、私達は何故醜く非生産的に百足が壁を這うような気味の悪い身動ぎで足掻き続けるのだ? 私は私個人の無力を諦めとともに納得する、しかしそれ故に、私達が無力であること、私達が、醜く愚かであることに猛烈な絶望を覚える。私達はまともであってくれねばならないのだ。それが私の諦念を救ってくれる唯一の希望なのだから。私は私の範疇しか語ることが出来ない、私達は、私達は、私達は、私達は


 2020年12月05日

 頭強打した。スポンジのクッションが貼られていなかったら重症だっただろう。お陰で眠気がドンと覚めて、代わりに呼吸が落ち着かない。昨日は凄かったらしい。昨日が休みで良かった。今日も昨日の余波で随分と忙しい。今日もまた危ないのに当たった。開いてないレジに押し込んでくる、急かしてくるくせにころころ気紛れに指示を変える、クレジット暗証番号欲しいの? とか斬新な質問をしてくる、取り置きを命じておいて名前も言わず帰ろうとする、先程これの場所を案内しろと言っておいて勝手に帰ろうとする、身勝手というより自分の言動すらまともに制御出来ていないのだから、まぁそういう病気なんだろう。買い物の内容的に恐らく子持ちのお母さんなのだろう。それもそこそこ小金を持った。しかし、こんな母親のしたに産まれた子供はさぞかし大変だろうなぁ、と不憫に思ってしまう。自分の制御すら出来ない人間に自分の幼年時代を制御されるということ、少なくとも、自分の制御が出来なくて、他人に迷惑を掛ける自分の親を見て育つということ。そんな母親に反抗しても不幸だし、仮にそんな母親のように育ってもなおのこと不幸だ。そういう意味で、私の母親はとてもまともだった。それはとても運の良いことなのだと思う。私は不幸ではあったけれどまともだった母に最大限の敬意を払うために、最期までまともでなければならないのだ。そうだ、最期まで。


 2020年12月06日

 気色の違うデジモンのようなアニメを観ている。味方の小柄で黒っぽいモンスターは、土地の地面を食べることで土地に適した能力を得られるらしい。水辺で敵と戦っている。敵は見えないが、水面の揺れで敵を判別して次々と倒していく。アニメを観終わった頃にはすっかり出勤時間を過ぎていて、こんな時間じゃ間に合わない、とぼんやり動揺しながら、あれ、いつも何時に家を出てるんだっけと首を傾げて台所で歯を磨いた。実家の裏手の道を、カラフルな塗装をした海外の歯磨き粉の宣伝車が登っていく。大丈夫、まだ目覚ましは鳴っていない。昨日はまた寝落ちて電気消してないし、眼鏡すら外していないのだ。3Dシューティング・ゲームはエキストラ・ステージへと進んだらしくて、飛行場の真ん中にあるアイテムを取ればいいはずなのだけど、茶色くて巨大な敵の飛行機がぐるぐると旋回していて近付けない。ゲームには何かストーリーがあったと思うのだけど、どうだったっけな。大雨が降って商店街は水没していた。お寿司屋さんは店内まで水没してしまっている。私達はこの商店街を二度訪れた。二度目も道が冠水してたけど、前回程の被害じゃなかった。二度の記憶が混在しているけれど、何かの打ち上げだったらしい。文芸関係か、大学時代の集まりなのか。私は座れる場所を探して屋台の間をうろうろしていた。でも私は人見知りなので、打ち上げが終わって帰る時間になっても道連れを見付けることが出来ない。私はみんなが各々喋ってるのを横目に寂しい気持ちになっている。私達はモノレールで帰る。多分大学寮のあるほうへ。駅の向こうにはグラウンドがあって、打ち上げにいた一人が隅っこで何かの楽器を演奏していて……前回も彼は同じ場所で何かを披露していたような気がする……サッカー部が気の抜けた準備体操をしている。別の部活の顧問の先生が校舎のほうで何か怒鳴っていた。キーパーの二人だけ、じゃんけんを使って反射神経を鍛える練習をしていた。昨日は職場で大量のThe chocolateを配っていた。本部から賞味期限近いものが段ボール箱一杯に送られてきたのだという。私は袋一杯に貰って帰った。ついでに林檎も貰った。星乃珈琲で、文学部だか文芸部だかの青年達が文学について喋っているのの感想をTwitterに呟いてたら電池が無くなってしまった。作業が諸々溜まっている。部屋だと寒くてヤル気になれない。窓に施した封印がちょっとでも緩むと寝床に冷気の通り道が出来てしまう。それでしっかり窓を封印して、布団に潜り込んだらうっかり寝落ちて首を痛める。艦これは、今回は異様にドロップ運が悪い。やっとタシュケントさんがE-2ボス手前のマスで落ちた。E-2ボスのドロップが壊滅的に酷い。そのうえS勝利が続いたかと思えば、突然乱数が悪いほうに傾いてA勝利が続いたりする。卯月さんと明石さんが各三体も落ちたけどそこに運を回したくはないんだ。牛丼屋で子供達が延々と叫んでいる。ポケモンだいすきー、をもう十五回ぐらい連呼している。一体何のために、子供達は、両親すらも諦めて無視してるような同じ事を十五回も二十回も叫ぶのだろう? コミュニケーションの謎だ。633円に653円を渡したら20円飲まれた。自動釣り銭機は読み込みに時間が掛かるので店員が結局金額手打ちして、結果的にこういうミスが起こる。まぁ20円追求しても詮なきことだし諦めた。騒がしい子供が自動ドアを開けっ放しにしてまだ騒いでいる。


 2020年12月07日

 同人誌即売会の後の懇親会で互いの本を紹介しあってたり、エコバックにもなるマスクを作ったクリエイターがいたり、これは買っとかないと駄目ですよ、と新しく刊行された日本史の参考書を強く勧められたりしていたはずだった。一体何処で怪獣が現れたのだろう……もう記憶が曖昧で思い出せない。建物のなかを登ったり降りたりした記憶が、漠然とあるだけだ。屋上には登っている。集合場所だったのだっけ。多分最初にそこで怪獣に気付いたはずだ。私は何かを見捨てたり、何かを放り出したりしたかもしれない。私は高い木造の建物を見上げて、建物の硝子は既に吹っ飛んでいて、私はもう戻れないんだと濡れた地面を駆け出した、ような気がする。ともかく怪獣が現れたのだ。それも何体も現れた。私はたった一人で必死で逃げた。ここは地元の谷間の土地だ。谷間の下流に怪獣の巨大な下半身が見える。思ったよりもずっと近い。これじゃ追い付かれてしまう。人々は下流方向に逃げていたけれど、私は雲を割って突き出した武骨な怪獣の脚から逃れるため、上流に向かって枯れた段々の田圃を必死で駆け上がり始めた。しかし怪獣は上流方向にも二体現れた。土偶のような怪獣、人形の銀色の怪獣。怪獣達は光線飛ばしながら戦い始めた。世界が揺れる。眼が回る。一体何処に走れば私は生き延びれるのだろう。何処に逃げれば助かるんだろう。絶体が絶命で私は混乱してしまう。私は蜘蛛の巣が張った樹木を乗り越えて、西方向の山を登る方向に走り出した。山の麓には大きな御寺がある。とても広い墓地があって、鉄筋コンクリートの平たいビルが斜面に何層か並んでいる。そうだ、この墓地の合間を登って、山に分け行っていくルートがあったはずだ。子供の頃に何度か登った山道、そのまま向こうへ越えてしまいたかった道。黒ずんだ看板に従って斜面登っていくと石造りの置物に囲まれた駐車場に新しい車が停まり、呑気な女の子達が見晴らしのいい場所でへらへら喋っている。私も下界を見下ろした。私達の田舎の風景にもう怪獣は見えなかった、長閑で美しい夕方の田園風景があるだけだ。しかし私は逃げねばならなかった。山は簡単に越えることが出来た。海側にあるはずの新しい土地に出た。私は通りすがりの背の低い少年と一緒に歩いた。振り返ると夕暮れの隙間に様々な怪獣のシルエットが垣間見える気がした。田園の合間には小さな町があって、駅舎を線路が挟んでいて両方の踏切が降りる。ええと、めがばち駅? かなり珍しい駅名だ。山の向こうにも怪獣はいるのだろうか。少年は何と言っていたっけ。これからどうするのか尋ねられたから、最悪電車乗って帰ります、お金はありますから、と答えた。私は知らぬ町に来て写真を撮らない。私は旅に来たのではなく、怪獣から逃れてここに来たのだから。同人誌即売会の終わり、怪獣が現れるまでの顛末が思い出せなくて、私は後ろめたい気分になっている。私は何かを見捨てたような気がする。私は何を仕出かしたのだろう……腹筋がやたら疲れている。そんなに無理して走ったのか、私は。人生で初めてSuicaを部屋に忘れてしまった。バスのなかで手提げを引っくり返しても出てこない。滅茶苦茶に溜まったレシート。食べ掛けのおにぎり。財布の残額はギリギリ。切符を買うにはお金卸さなきゃいけないから、慌てて駅前の銀行に寄ったら昼間だしATM並んでいる。それで間違って両替機に進んでしまって並び直した。駆け足で電車に飛び込む。職場に着く前に異様に疲れている。苛々してるのに頭重たいし腹筋が疲れている。昨日は……何があったっけ。久々にTwitterでがやがや呟いたけど、それぐらいだったかな。職場は年末に向けて忙しくなる。言動の可笑しな客はもういつものことだ。部屋が寒いと眠気が酷くなる。体が冬眠状態になっている。もうあと四ヶ月ぐらいは何も出来ないだろう。人間が落ちてくる。人間が落ちてきて地面で潰れて彼女は夜に逃げ出す……コンビニでイートインしたら、焼きそばのお湯を捨てているうちに席を奪われて、仕方なく12月の店外のテーブルで立ち食いすることになった。ちゃんと消費税10%払ってるんだけど、あれ、店外追い出された場合どうなるんだろ……今日はつくづく星の巡りが悪い。立ってるのがしんどい体調だし、また嫌なニュースも目撃してしまったし。


 2020年12月08日

 この記憶を忘れぬように急いで記録しておかねば、と私は何度も何度も手元のメモ帳に記憶を書き込むのだけど、その行為が記録されぬ記憶であって、私がようやく本物の記録に向き合ったときには記憶は殆んど何処かに行ってしまう。兄が何故か私と同じ職場で働いていて、やっぱり合わないと自動車のなかで愚痴っている。親族一同で何処かの土地を旅行して、私達は土産を買うためにあっちこっち歩いている。巨大で真っ暗な四角い窪みに沿って木製の遊歩道が巡らせてあって、親戚のお婆ちゃん達がそこを歩いている。私は田園が広がる場所を、バスか、或いは電車で駆け抜けていて、小学校の頃の先生が調子良さそうに喋っていたけれど、ああ、このひとは思い出してはいけない先生じゃないか。近所の公園で子供が何かを蹴り上げる動作をした。それに合わせるように烏が私の頭上を飛び去った。ああ、マッチ・カットみたいだ。今日は銀行に行ってNISAの解約をしなければならない。今年で非課税期間が終わるのと、ATM手数料無料などのサービス条件が変更になって、NISAの口座を持ってる意味がなくなっていたからだ。最寄りの支店が封鎖してしまったので二駅先の支店に行かねばならない。しかし窓口は十五時までしか開いていない。今日も昼まで寝過ごしたせいでギリギリの時間になってしまって、しかも京浜東北線は十分も遅延して、閉店数分前に何とか辿り着いたら窓口の行列がお店の外にまで伸びているではないか。整理券は貰えたので受付には間に合ったのだけど、眼の前に並んでる女性がクソババアクソババア死ねばいいのにと連呼していてつらい。私達は社会の通念を覆すものとして愚かさを肯定する。しかし大抵の愚かさはもっと弱い存在に向かって、例えば銀行の行員とか、偶然後ろに並んだだけの一般人とかに向かうばかりで、通念を覆すどころか社会の生き難さを嵩増しするだけだ、それでも私達は何処まで愚かさを肯定出来るのだろうか? 一旦離れたと思ったらまた近い座席で宝くじとパチンコの話を始めた。相方の男性は、もうちょっとまともそうだけど、ごく身近に愚かさを振り撒く(恐らく相当な)嫌われ者の人間がいることの環境的な損失は、きっと結構なものだろうなと思う。NISA解約窓口は空いていて手続きもスムーズに終わった。これで年末にちょっと豪華な旅行が出来るはずだ。CoCo壱でチーズカレーを食べる……地元の田舎にもCoCo壱があった。テナントが長続きしない立地にあったわりに比較的長持ちしたけど、もう今は閉店してしまったはずだ。私にとってCoCo壱は、私達の街の外に出ていく分岐点、国道沿いのカーブの手前、あの何処か無機質な静けさと結び付いている。それから駅前の図書館に寄ったのだけど、時節が時節なので、使用可能な座席がせいぜい二割か三割ぐらいしかなかった。Twitterに伊豆旅行の写真を挙げたところで気分が悪くなってきた。血の巡りが悪い。作業を進めようにも頭が動かない。電池の減りも随分と早くなってきた。最寄り駅前の快活に移って、PC画面で艦これしてるのだけど頭が痛いものだから何をヤル気もならない。鼾が五月蝿い。深夜帯はまだしも、まだ午後七時でこれは酷い、と思っていたら店員に注意されていた。しかも三度目らしい。しかも注意されても意識が曖昧でまともに返事もしなくて、店員が困って上司に相談している。某喫茶店で学生達が話してたことについての呟きを削除した。文学好きはどう深く読んだかよりも、どれをどれだけ読んだかでマウントを取りたがる、という指摘は身につまされるけど、それは結局個人の性格としか言いようがない。その手の教養エリート主義的なマウント取りというのは映画でも漫画でもSFでもミステリでも同様に起こることだ。文学の「深み」を文章の情報量の圧縮力に見出だすあたりは私も同感なのだけど、逆に「深く読ませる」には細かい描写を積み重ねてぼんやりふんわり曖昧に表現すればいいのだ、と短絡してしまった結果、純文学などは物語性を捨ててどんどん詰まらなくなっていった側面もあるから、ここは気を付けなくてはならない。難解なものを読むストラテジーは、文学部的には、ちゃんと存在する。私は上手く出来なかったけど。ただ文学部が要求する「理解」は文学だけに限らず、物語に接するうえでの一面に過ぎなくて、私達はその世界を「体験」しているのだと考えれば、大事なのは自分の体験の数を自慢することではなく、その体験における己の動揺の多寡を適切に語ること、またその体験をもたらしたのがどのような特別な環境だったのかを説明してみることなのだと思う。あと「難解」にも色々あって、実は大抵が「難読」であったり、文化や用語の壁に過ぎなかったりすることもあるし、何より文学→難解という短絡は実はそこまで重要ではないのだ。センター試験の現代文を解くのに必要な読解力以上の何かを求めてくる作品なんてそんなにない。むしろ「難解」という問題を考えるなら、例えば名探偵コナンの主題歌、謎、という歌の冒頭サビの歌詞の「意味の分かりにくさ」などを検討してみたほうが面白い。何を「忘れない」のか? 何が「謎」なのか? 「この世」という言葉が出てくる理由は? 全ての歌詞を読んでも良く分からない。この歌詞の「難解」さの理由は、目的語=「何を」が全然出てこないことに起因する。だから歌詞に登場する動詞がどれもこれも宙に浮いてしまって説得力がない。

けれど、私達はこの歌詞を「難解」だとは思わない。むしろ歌詞が曖昧で具体性を欠いているがために、ありきたりな動詞が散りばめられた、分かりやすく単純な歌詞だと思いすらするだろう。結局のところ私達は「分かる」をそこまで重視していない。謎、という歌が私達にもたらす「体験」の核心はまた別のところにある。ところで鼾が止まった。追い出されたのか、眼を覚ましたのか。頭痛もちょっと収まったけど過去のTwitterの内容を纏めるのが限界だ。あと、わざわざ古代ギリシャ建築の柱の形を世界史で勉強する理由について。かつて古代ギリシャの範囲が植民市という形で地中海各地に広がっていた。つまり地中海各地で発掘された遺跡の建築様式は、当時の西洋史の横の広がりを読み解くうえで大きな手掛かりになり得る。また古代ギリシャ建築は考古学的な発見に触発されて近代に到って再び模倣の対象になったため、古代ギリシャ建築「風」の建造物は現代でもまだ目撃する可能性があるということ。日本の国会議事堂も世界七不思議の一つ、マウソロス霊廟の模倣であるとされている。


 2020年12月09日

 皿がパリンと割れた。私は眠たい。昨日はずっとサボっていた一日一呟を一気に十一個も消化するのに夜更かししてしまった。電気を消しても全然眠れなかった。四時間ぐらいしか寝てない。この世界では十分毎に誰かが大型トラックに轢かれて死んでいるのだという。彼女の場合は大型バスだった。彼女は暗く乾いた部屋の片隅へと戻ってきた。彼女は、或いはこの街で平凡に暮らし、或いは貧しい集落の片隅で骨と皮になって暮らしている。彼女はやっと貯金を貯めて飛行機を乗り継ぎ、彼女を見つけ出す。彼女は彼女を彼女の街に連れ帰る。彼女は大型バスに気を付けて生きる。さっきから、外でお弁当を売ってる女性が窓越しにちらちらこちらを覗いている。擦れ違った世界を繋ぐ部屋について。分裂した彼女について。彼は文系だから時系列を並べるのに随分と苦労したようだ。彼女は彼女を刺そうとする。だから、と彼は息を切らしながら後ろから彼女を引き止める。だから、いつも詰めが甘いって言われるんだよ。彼女は彼女がかつて、自分の代わりにそこに居合わせたのだということに気付くだろう。彼女は和解するだろう。彼は疲れたように別れるだろう。まぁ、きっと詰めが甘いだろうこっちも忠告しておくよ。あの二人、入れ替わってるぜ。デイヴィッド・コパフィールドにはなりたくないなぁ、デイヴィッド・コパフィールドにはなりたくないなぁ、と私は開店準備中からそんな奇妙なフレーズに節を付けて口ずさんでいた。デイヴィッド・コパフィールドにはなりなくないなぁ、デイヴィッド・コパフィールドにはなりたくないなぁ、私はデイヴィッド・コパフィールドを読んでいないけれど。音程も忘れたしもう二度と歌えそうもない。今日は一日中眠気と頭痛に襲われ続けた。頭痛がいけない。死を想ってしまう。寝不足に伴う胃痛、職場も年末に向けて忙しくなるし、反動で変な出費したり、アパートの契約更新とか、火災保険の振り込みとか、払ったはずの住民税の擦れ違い催促状は来るし、確実に神経の磨耗が進行して自棄になって二千円出して保有枠広げたり、E-3の第一ゲージを削ってたら深夜を過ぎてしまったし、白い息を吐きながら冷えた体で夜を歩き、部屋の寒さにもちょっと心身が弱っている。心身が弱ってると不埒な話ばかりを思い付くからいけない。ねぇお姉さん、と彼女はとても爛漫とした顔でこちらの顔を覗き込んだ。あいつとセックスしないの? ところで月に吠えたんねえの単行本発売が来月に決まったのだけど、応援のために職権濫用するにはちょっと発売時期が早過ぎた。さてどうしようかな。E-3は無事に最短を見付けられたので第二ゲージまでは順調に行きそう。あと何だっけ、もう寝なきゃいけないから、私は私の記憶を投げ捨ててしまう。よゐこの動画観たり、なめこの味噌汁が熱過ぎたり、最近は部屋が寒くて落ち着かないから、ウィスキーを呑めてないなぁと思ったりした。


 2020年12月10日

 父親に命じられて小部屋で待つ。浴室で待つ。何か儀式が始まるらしい。私は抜け出さねばならぬ。今日も朝から酷く寒くて首が痛い。電車は直ぐに座れたけれど、眠気が嫌な気分の悪さになって胃に響いてる。とある後輩君の酷い体臭が戻ってきた。最近は気にならなかったのに。別の後輩君はいまいち責任感がなくて、一度こちらからのフォローを一切止めて、自分の遣るべき仕事の範囲を理解してもらわねばならない気がする……しかし私がフォローを止めたら惨状になりそうで怖いのだ……とうとうとある社員の非常識な振る舞いを店長に報告してしまった。本人、別に悪意があって遣ってるわけじゃないのだけども、スタッフを統括する側の社員がそれを遣っちゃ駄目だろということをあれこれ遣らかしていて、今回遂に私の鬱憤が破裂してしまった。私が迷惑するなら渋々耐えられるけど、今回ばかりはお客様に失礼だから。しかし私は臆病者なので後輩を指導したり上司に報告したりみたいなのが苦手だ。ただぼんやりとした不満ばかり頭のなかで渦巻く。鳩尾がつらい。部屋に帰って布団に潜ってたら寝落ちた。三時間ぐらいだろうか。E-3の第二輸送ゲージ突破、第三戦力ゲージ突入。乙難度ですら遣ることが多くて、攻略サイトを確認しつつ編成を組み替えていく。制空取って弾着か連撃、といういつものところに落ち着くのだけど、特攻艦をちゃんと用意出来ないから、また異様に硬いボスの装甲を削りき切れない……夜中に寒い寒いと身悶えしながら寝不足気味にふらふらしてると、今日上司に上司のことを報告したことが気になってきて不安になる。私は間違ってはいないのに。寒い。床から冷気が上がってくる。寝床に横になると息がちょっとだけ白くなってる。場所にも依るのだろうけど、特に冷気が溜まる低い位置ではきっと気温一桁度だ。寝落ちを挟んだとはいえ、五時間睡眠確定はまた神経に鈍く響く。私はギリギリで生きている。私には余裕がないから電気毛布にしがみ付き続ける。今日は寒過ぎてお湯を沸かせなかったので、ひたすら備蓄の貰い物のチョコレートを齧り続けた。日記の頁を改める。


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