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invisible holidays(2020.07.11~07.20)


 2020年07月11日

 ごくローカルな屋外イベントが開催されていたのだけど、突如大雨が降ってしまった。みんなびしょびしょだし、きっとイベントは中止になるだろう。私は屋根のある広い待機所でだらだらしている。同級生が二人、大声で喧嘩を始めたので、横槍を入れたらあんたは何もしてないくせにと怒鳴り返された。確かに、みんなが忙しそうに出店の準備などしている間、私は特に何もしていなかった。私は、私だってあれやこれやはサポートはしたのだし、と言い訳じみた理由をつけて自分を無理に納得させたけど、やっぱり後ろめたさはある。懐かしい顔が幾つかあって、私は懐かしい顔を横目に、特に何もしなかったのだった。電車を運転するゲームを遣っている。下手に操作したので電車が脱線して、車両が分解して線路のうえでくるくると回り始めた。私は、私には些か場違いなホテルに他の親族と一緒に招待された。私達は食堂にいる。会議室のように細長いロの字になった座席で、真向かいには知らないおじさん達が座って、変なことを喋っていて、若い人達が私の横に何人か座っている。何か事件が起きたようだ。スライドが流され、謎解きが始まり、各々が気取ったように意見を口にする。私達は一度外に出て薄暗い市街地の河沿いを歩く。見覚えがあるような、やっぱり無いような街である。戻ってきたら食堂は遠足か修学旅行の子供達で埋め尽くされていた。事件の真相は明らかになった、らしい。私の記憶は相当に錯綜している。そこそこ私もこの謎解きに積極的に参加していたような気もする。最後は探偵役が電話で推理を披露して、大事な情報を持っていたらしい若い男性が一人冷や汗を流していた。本当ならホテルに一泊して帰るはずが今日はお開きになってしまった。食堂はいつの間にか教室になっていて、子供達が残されたお菓子や料理やお土産を物色している。私も一つ二つ拝借して、廊下で擦れ違った理科の先生に確認を取る。道の向こうの駐車場に母親が自動車で迎えに来てくれていた。私はそれに乗り込んだ。職場の休憩室で先輩のスタッフさんが紙の束を読んでいる。昇格のための試験の勉強らしくて、他の先輩スタッフさんに分からないところを質問していたのだけど、私も聞いたことのないオペレーションのこととかも知ってなくてはならないらしくて、どうしよう、あと四日なんですと苦笑いしていた。また見事に寝落ちてしまった。そこそこ睡眠時間は取れたのだけど寝床を整えずに寝るとまた首回りがカチコチになってしまう。スマホの充電すら繋いでなかった。流石に昨日のふらつきや痙攣は回復したていた。眼科に行ったら、土曜日だから子供が沢山いて五月蝿い。なかなか名前を呼ばれないものだから、ただ喧しさばかりが募る。白い濁りは若干残ってしまってはいるものの回復は順調で、あと一週間もすればコンタクトレンズを解禁しても良い、ということだった。でも眼鏡の作成には事前の予約が必要だったようで来週後半になってしまった。すると来週まで仕事中は眼帯マスクのままということになってしまう。問題は火曜日の国立西洋美術館だ。流石に眼帯マスクで美術品鑑賞なんて嫌だから、この日ばかりはこっそりコンタクトレンズを使うべきだろうか。眼帯マスクは明らかに物事の判断力を低下させる。片眼が封じられただけでここまで意識が散漫になるとは思ってもいなかった。ビル風が凄まじい。ビル風の合間、硬い地面で、私には想像も付かないような高層マンションに暮らすような子供達がはしゃいでいる。思い通りに事が運ばないと、お金を使って発散しようとするのが本当に私の悪い癖で、例の新しく見付けた黄色い酒屋でオールドパー12年を購入してしまった。傾いても倒れないらしい。このルートを帰るのはこれで二度目だけれど、眼帯で世界が半分閉ざされていると新鮮味も薄れてしまうようだった。近所の茂みの脇に小汚ない喫茶店がある。ずっと営業している気配がなかったから、とっくに潰れているものと思い込んでいたけれど、今日ふと前を通ったら営業中の札が出ている。営業中の札は割れてテープで無理やり補強してあるし、店内も真っ暗で思わずなかを覗いてみたら真っ白な格好のお婆さんがぼんやり玄関脇に座っていて私は怖くなってその場から逃げてしまった。この街もまだ底知れない。今度こそ勇気を出して立ち寄ってみたいと思う。オールドパー12年。何気に初めて箱入りのウイスキーを買った。床に斜めに置いてみたら一回で成功した。スマホの容量が危ないのでInstagramに写真を挙げる作業と、溜まりに溜まった艦これのスクショをTwitterに挙げる作業を始めたら、それだけで休日が丸ごと潰れてしまった。艦これのスクショを整理してて艦これが遣れないのでは本末が転倒している。調子に乗って本垢で呟いてしまった。前回は本垢で酷く錯乱したことを呟いてしまったけど、今日は角膜潰瘍に罹りました、程度の差し障りのないことを呟けて良かった。気紛れに日記の文字カウントをしてみたら、この二ヶ月で10万字ぐらい日記を書いてることが明らかになって我ながらゾッとした、と、日記に私は書き込むわけである。オールドパー12年。ロックで始めてみる。最初の一口を含んだら、そうだ、これがスコッチだ、ってぐらい、薬草じみた複雑な風味が咥内のあちこちに襲い掛かってくる。最近は呑み易いウイスキーに頼り過ぎていた、やっぱりスコッチはこれぐらい面倒でなくちゃ。しかし氷が溶けてくると今度は驚くほどに大人しく節度を守った風味に落ち着いていく。この態度の急変が面白い。お供にはロッテ、ガーナ ストロベリー、暑さにふやけてるけど期待通りに甘酸っぱい。今日は酔いの回りが激しい。一杯で神経が鈍くなって、眠気と紙一重の脱力感に襲われる。艦これのスクショを大胆に処分して結構な容量の空きを作った。眼科に傘を忘れてしまったのを思い出した。我ながら傘とボールペンを呆れる程に頻繁に失くすのは、もうこれは半分病気かもしれない。酔いが強過ぎて足腰の関節が痺れてきた。動悸が強まったせいが喉にまで刺さる。今日は無難なところでとっとと寝てしまったほうが良さそうだ。


 2020年7月12日

 学校祭のイベントが校庭で開かれている。何故か私も壇上に居なければならなくて、目立ちたくない人間だからこっそり抜け出したりまた戻ったりを繰り返している。内容は殆んど忘れてしまった。私が夜闇に紛れて学校の裏手の斜面に逃げているうちに、ライトアップされた校庭では、声優業をやっていたという同級生が自分の苦しい心境について喋っていた。そんな同級生、私の周りにいたっけな。ここは酷く天候が変わりやすくて、突然大雨が降って中断しては、突然晴れて再開する。二度目に大雨が降ったときは、大人がこれはもう中止だろうと校舎の影で呟いていたので、そのうち直ぐ晴れるんですよ、と言ったら本当に凄い勢いで空が晴れた。イベントが一段落した校庭では、上半身裸の男子達が、自分達の出店の宣伝に凄まじくむさ苦しい躍りを始める。まるでプロレスラーみたいな男性が私に突如問答を仕掛けてきた、海には行ったか! と言われたので、行きました、と叫び返した。おみくじは引いたか! と言われたので、引いてません、と叫び返したら、何故か頭突きを喰らった。この頭突きが恐ろしい威力で確実に私の首が壊れた。テレビのバラエティー番組で、とある有名演歌歌手の持ち物にあった青色の合羽が話題になっていた。これは以前、とある番組で、記念にその歌手の衣装を貰った代わりに、歌手が見返りとしてスタッフの備品から持っていった合羽だった。酔って横になっていたら見事に寝落ちた。三日連続で寝落ちた。最近は過眠に傾いているらしい。不眠よりは余程マシだと思いつつ、せめて電気ぐらいは消すべきだ。寝起きからシャワー浴びて、今日も眼帯マスクの不審者モードで出勤。眼帯をするとつくづく読み書きするのが億劫で、コンビニで立ち読みする気力すら沸かない。今日の仕事は普通に終わった。普通に、仕事の優先順位を間違えてる同僚さんへの指導に思い悩み、頭のおかしい爺いが二人ぐらいみんなの手間を取らせただけだった。電車に乗ったら日曜日の夜だから客は少ないのにガヤガヤ五月蝿い。挙げ句に、足元に粘つく液体が撒かれてて三度も座席を変えたり、車両を跨ぐドアを開けっ放しにしていく乗客がやたら続いて私がいちいち閉めねばならなかったりした。天気予報は雨ばかり。もう七月も半ばなのだというのに。職場は売上が悪いものだからみんなの雰囲気も落ち込みがちだし、梅雨なんて、気が付いたら始まっていて、気が付いたら終わってるものではなかったのか? 帰宅してから艦これのE-4を進める。薄着で扇風機を浴びてただけで胃腸を壊した。最近は無茶な食事はしてないし、むしろ山芋とかオクラとか粘り気のあるものを食べて胃腸に優しくしているはずなのに、夜中の扇風機一発で壊れるんだからどれだけ弱いんだ、私の胃腸。胃薬を飲んだけどまだ痛い。七月の半ばに上着一枚足して、暑い暑いと呟きながら扇風機を止める奇妙な事態である。スマホの充電は異様に進まないし、脚には汗疹が出来るし、胃腸も気分も優れなくなってまた横に倒れる。DMMのメンテナンスで深夜帯はログイン出来ないらしいから、夜更かしで進めるわけにも行かないし。遣るべきことは溜まってるのに、体調が優れなくて何も出来なくて結果的に退屈という悪循環。何もかも雨とマスクと眼帯が悪い。もっと生活は軽くなければ、けれど、梅雨が過ぎれば重たい重たい炎天下が始まるし、私達に健康に過ごせる季節なんてないんだ。寝る前に目薬を差して、意地でオールドパー12年をロックで、セブンイレブンのレモン風味スモークタンをお伴に。この舌をぞりっと不快に削るような薬草じみたピート感と、鼻孔や食道にまで図々しくちょっかいを出す後味のしつこさ、昔は眉間に皺を寄せて舐め下してたこのスケッチ・ウイスキーらしさが頼もしく思えるようになったのだから、私も随分と成長したものだ。でもオールドパー12年の場合、溶けた氷に薄まっていくにつれてあっという間に冷たさの懐にそっと控えるような落ち着きを磨き上げていくのだから面白い。わきまえている、と言えばいいのか。残るのは、苦味か、或いは甘味か……詳しい味の検分は心身に余裕があるときにしよう。


 2020年7月13日

 ヘンテコだけど愉快な作戦に参加していた。思い出せそうで思い出せないけど、愉快だったから良しとしよう。眼帯着けてぼんやり部屋を出たら鍵を掛け忘れてて、久し振りに走って部屋まで戻った。朝の満員電車は派手な金髪の若者達が喧しくて、何も、見た目通りに振る舞いまで恥ずかしい必要はないのにと思う。今日は朝から首が回らない。今日は眼も開かない。四分の一ぐらいの視界で出勤する。面白いほど眠気が抜けない日だ。気を付けなくては。首の痛みが根深くなってきたので、角膜潰瘍を発症して以来避けてた銭湯に行くことにした。片眼閉じてお風呂に入るのは案外と難しい。閉じてる右眼に滴が溜まるのもあるし、両眼を閉じて頭からお湯を被ったとき、未だに私はどちらの眼を開ければ良かったのか分からなくなって、両眼をぱちくりさせてしまうのだ。E-4の最初の輸送ゲージ。比較的軽い編成で、輸送で、潜水艦と空襲があって、ボスがやたら硬い空母という嫌がらせのようなルート。札が関係ない丙難度なので必要な艦娘を用意出来るとはいえ、輸送量を増やすと嫌がらせに対応出来ず、輸送量を減らすと試行回数が増えるジレンマ。ツ級もいるから基地航空隊のポーキ消費量も多い。難しいというより、厭らしい。マクドナルドでE-1の最初の輸送ゲージは終わらせたのだけど、この嫌がらせには釈然としない。取り敢えず最短ルート発見してボスマスS勝利しないと気が済まぬ。さっきから聞こえてくるレジのお姉さんの接客の圧が強い。私も大概接客のときは圧の強い性格だけど、ここまでじゃないなと思う。電池が切れかける。電車の角に座れたのに、一転全く眠れなくて、遣ることもないし無理して眼を瞑ってると頭だけ痛くなってくる。傘を買っても直ぐに失くすし、この程度の小雨なら大丈夫だろうと駅から歩き出したら、強くはないけど二十分歩くには絶妙に厳しい程度の雨に降られて結局コンビニで傘を買ってしまった。夜中になって右足の裏がつった。しかも釣られて左足の裏もひくひくしている。余程新しい靴が合ってないのだろうか。明日の予定を友達と打ち合わせる。眼帯マスクのことを話したら笑われてしまった。明日は展覧会の間だけ、こっそりコンタクトを嵌めよう。私にしては決死の悪行である。オールドパー12年のロック、スコッチの醍醐味が楽しくてぐいぐい行けるとか、干しりんごとの組み合わせが良かったとか、そんな微笑ましい感想は置いといてE-4は地獄である。輸送ゲージ二つ目も確率で耐久値330の重巡が出てSを逃しまくったけどそれはまだいい、問題はボスマスが全く攻略出来る気がしないということ。例の如く無駄に高い耐久を削り切るためには夜戦カットインを決めねばならないのだけど、金色の空母二隻戦艦二隻を随伴していて、夜戦までにこいつらを殺し切るのに必要な手数が足りないのだ。最終的にこちらも戦艦三隻編成にまで重くなり、雷巡を増やし軽空母を増やしと増やせる限度を測ってみるのだけど、フィニッシャーを潰されるなんて可愛いもので、ボス手前の門番で追い返される、戦艦が駆逐艦を殺せない、明らかにどうでも良い場所で謎のmiss祭りを開催して最後に事故るなど、ボスマス到達以前の問題が重なりまくって深夜に奇声を何度も挙げてしまった。まぁいつも二階の五月蝿さに辟易してるんだし、たまには私だって奇声ぐらい挙げさせろ。支援艦隊も送ってるし、資源とバケツの消費がトチ狂ってて、とてもじゃないけど掘りなんて遣ってられない、兎に角E-4丙難度攻略に持てる全力を尽くすしかないという状況。明日展覧会に行くのに深夜三時半までストレスで歯軋りし続けてた。心が折れそう。やっぱり編成記録はあと三枠ぐらい欲しい。明日展覧会なのに。ちゃんと頭をスッキリさせて行きたかったのに。細胞にアルコールが残ってるのもあって、ゲーム如きに本気で半泣きになりそうな私なのであった。


 2020年7月14日

 私はみんなと一緒に河川の中洲に飛び降りて、電車から脱出する。私達は日本刀のような武器の被験者だった。その実験に嫌気が差したんだろう。一応飛び降りる時にパラシュートを背負ったのだけど、落下距離が短過ぎたのか全く開かなかった。派手に地面にぶつかったけど私は無事だった。電車から逃亡したはいいのだけど、この中洲には熊、或いは熊のような巨大な犬が放たれている。私達は分かれて逃げながら、白い建物の手前で私達を追い掛けてくるこの熊、ないし巨犬を倒そうと試みるのだ。私は、色付きの傘を売っていた。上手く儲ける仕組みを思い付いたらしいのだけど、どういう事情だったかは忘れた。夜戦カットインの確率がどーのこーのというデータを見せられた気もする。少女と青年二人の三人組は爛れた関係で、余り宜しくない商売をしている。でも彼等の出演はわりと短かった。思い出そうとする、というのもまた記憶の一部であり、私は思い出そうとすることで、結果的に知らない記憶へと接続していく。まぁそれはともかくとして、私の部屋に警察の聞き込みが来た。近くで事件が起きたとのことで、不審な車や集団を最近見てないか、とのことだったのだけど、生憎該当する記憶はなかった。隣の部屋でも別の警官が質問している。警察って本当に地道に近隣住民の聞き込みで情報を集めているのだ。大変だなぁ。しかし、普段ぼんやり生きてるこの詰まらない街で、確かに不審なことは色々あったけど、ずっと停まってる白のプリウスと付近を彷徨いてる三人組の女性については、本当に見覚えがなかったのだ。バス停の前の植え込みが蝸牛のコロニーになっていた。目視出来るだけで十一匹。蝸牛や蛞蝓は、嫌いというわけでないのだけども、萎れた枯れ葉のような汚い灰色の小さい殻からぬめっと薄ら白いものが幾つも伸びているのは、やっぱり案外と気持ちが悪いものだ。一匹一匹ならまだ可愛くて済むんだけどなぁ。給付金、やっっっっと届いた。これで今月の負債分を相殺出来る。残りのお金をどう使おう。ポメラもかなり高いし、ポメラを買うぐらいなら中古のノートパソコン買っても同じなのでは、というのも事実。ただしノートパソコンだと部屋に置く余裕がない。ノートパソコンすら置けない部屋というのも致命的だけど、実際置けないのだ。上野駅の不忍口で千葉の友達と合流した。上野駅の一蘭でとんこつラーメン食べてから、久々の国立西洋美術館だ。満を持して右眼にコンタクトを装着したけど、ずっと片眼生活だったせいで焦点がなかなか合わない。時間に余裕があるので常設展で慣らすことにする。常設展も展示が変わっていて、新しいスルバランがとても良かった。眼の焦点も慣れたし、1400~1430入場枠で展覧会に。行列を並べて、小分けに入場していく。端的に言えば、展覧会は素晴らしかった。常設展の小企画展も面白かった。私は直ぐに右眼のコンタクトを外した。そこからパンダ橋を渡り、友達と上野駅ののもので五時間、ロックの話とか文学の話とかラノベの話とかありとあらゆる方向に脱線しながら延々と喋ってた。ありとあらゆる方向に脱線しながら延々と喋れる友達はいいものだ。大抵興味ないけどと言いながら聞いてくれるし、文学に興味のない人間に最後まで話を聞いて貰った挙げ句に、文学みたいな狭い世界のこととか幾ら悩んでも意味がねぇやん、とちゃんとはっきり断言されるというのはいいものだ。私もまた友達のように、もう文学という狭い世界のいざこざを他人事のように見捨てる覚悟が必要なのだ。オフィシャルとプライベートの問題は、私達がこの不都合な現実に生きている不完全な人間であるという事実が故に、とても最善になんて振る舞えないのである。チェリーウイスキーのロックを頼んだ。興味深い味だと思う。私はその一杯で大体酔ってしまって、ボン・ジョビという名前が一向に出てこなくなった。最後は二人して私の地元の名もなき林道の正体について意味もなく検索して、友達が適当に発見してくれた。それから友達はNewDaysで売ってた山崎の180mlを買ってくれた。私がお酒を余り飲まない人間であ?とはいえ、飲み代の大半も払ってくれたのは有り難かった。というわけで、今日の私には、展覧会の感想どころかこれ以上日記を書く体力すら残っていないので、とっとと帰って寝ようと思う。余りにも眼帯がズレるので外して片眼で帰るともう夜だし、図録と、四リットルのソルティライチが重たくて首がつりそうになる。疲労で夜が長い。しかし明日は仕事だから夜長にかまける余裕などなくて、私は私が眠る前にやらねばならない行程に絶望してしまう。最後に一言。私はただ普通に楽しく生きていたいだけなのだ。そして私は悲鳴した。


 2020年7月15日

 ずっと何かを交換していた。三ポイントで白いバッジが一つ。時々レートが変わる。同級生がベビーカーを引いてモールのなかを歩いている。不安定にあちこちにぶつかりながら歩いている。モールのなかにチョコレート菓子を販売しているお店があって、チョコレートを注いだカップと、チョコレートの中途半端な欠片を渡された。私は座席を探した。今日は寒さで眼が覚めた。また電気が点いたままだ。眼帯を着ける時間もなくて、片眼を閉じたまま満員電車に飛び乗る。眼帯マスクは確実に集中力や判断力を奪うから、午前中は上手く行かなかった。午後は同僚さんに仕事の愚痴を聞いてもらってしまった。私は私の仕事だけなら私だけで何とか遣っていけるのに、私の仕事ではない部分で、私以外の誰かの遣るべき仕事について、色々と悩んだりもしているのだ。でも私に後輩の指導をさせるのは色んな意味で間違ってるとは思う。仕事上がりに給付金を降ろしてユニオンに立ち寄ったら半額セールを遣っていた。ワゴンを漁って十枚も買ってしまった。それから、秋葉原に寄って、調子に乗ってちょっとお高い買い物をしてしまった。諭吉が飛んだからちょっとどころではないな、あくまで他人に迷惑を掛けない私の趣味の範疇にお金を落としているとはいえ、生活費に残しておくはずだった分をごっそり浪費してしまった自分の節操のない無駄遣いにくよくよしていたら吐き気を催すような醜い街頭演説が聴こえてきてしまって今日一日は駄目な日ということで決着が着いた。電車でも座れず、部屋に帰って来た途端に寝落ちて、変な体勢で寝落ちたせいで呼吸困難と寒さに眼を覚まして、七月の半ばなのに布団を被る。展覧会の感想を纏めることも出来なかったし、口内炎が痛いし、昨日食べ忘れて部屋に放置されてたパスタは流石に捨てねばならないだろう。明日は眼鏡を作るために仕事前に眼科に寄らねばならないので夜更かしも出来ず、艦これの攻略すら止まっていて、兎も角、この寒くて陰気で厄介な梅雨時の気候に区切りが付いてくれなければ頭の活動も肉体の活動もどっちも手詰まりだ。関東の梅雨って、こんなに寒くて陰気で厄介なものだっただろうか。眼帯マスクの分だけ季節を乗り越える気力を奪われているだけなのだろうか。普段から適当に生きてるはずなのにここ最近は身に沁みて疲れている。栄養ドリンクばかり飲んでいる。カロリーメイトばかり齧っている。カロリーメイトが口内炎に響く。


 2020年7月16日

 昨日は上手く眠れなくて寝起きがつらかった。今日は普段使いの眼鏡を着けて眼科に向かう。でも度数が噛み合ってないオンボロ眼鏡で街を歩くのは頭に負担が大きくて、眼の付け根は痛いし、マスクなので眼鏡は曇るし、眼科は朝から混んでいて座れないので立ちっぱなしだ。新しい眼鏡の検査を受けて、コンタクトレンズの装着許可も受けた。目薬は朝夜二回でよくなった。コンタクトレンズをしたまま目薬を射すと、目薬の防腐剤がコンタクトレンズに溜まってかえって眼を傷付ける危険性があるのだそうだ。勉強になった。待合室でアンパンマンが流れていて物凄く気が散る。子供向けアニメの露骨過ぎる展開と、ついでに露骨な音量の大きさが耳に障るようになってしまった。アンパンマンってここまでキンキンと喧しいアニメだったっけ? 隣の眼鏡屋さんで19800円で地味なフレームの眼鏡を予約する。土曜日には出来るらしいのだけど、コンタクトレンズを嵌められないから新しい眼鏡を作るはずが、新しい眼鏡が出来る前にドクターストップが解除されるという本末転倒。新しい眼鏡を買い換える時期ではあったし、給付金があるからお金も大丈夫とはいえ……相当度がキツいので、レンズがかなり分厚くなりますよと言われた。海外製の安いレンズだとかえって在庫が無くて、発注に余計に追加料金が掛かってしまうので、日本製のもう一段高くて薄いレンズになった。駅でコンタクトレンズを嵌めて出勤する。芥川賞が決まっていた。片方は下馬評通りだったけど、もう片方が何気に初の平成産まれ受賞だ。職場では下らないほど嫌なことがあった。ああいう人間は、この世のあちこちで同じことをして、この世のあちこちをいよいよ不完全に貶めていくのだろう。だから死ねばいいのだ。コンタクトレンズで世界はいつもより立体的だけど、世界は相変わらず酷く無意味で詰まらないことで削れる、などと、虚空に悪態をついていたのだけど、突然凶悪な通信障害が発生して機械が仕事をしなくなっててんやわんやになっているうちに気持ちが落ち着いてしまった。何故かこのお店は東京のど真ん中でちょくちょく通信障害を起こす。一時期は慢性的に幾つかの機械が使えなくなってたけど、ここ暫くは随分と改善して安定していたはずなのだ。機械のメンテナンス不足なのか、電波が弱い土地なのか、それとも梅雨のせいなのか、全く。部屋に帰って布団に倒れたらもう動けない。疲労と眠気が重い。無理して起きてても下手に寝落ちてくたくたで眼を覚ますだけだろう。今日はちゃんと身支度整えて早めに寝てしまおうと思う。寝間着を厚くして首に湿布巻いて目薬して、オールドパー12年のロックでピートに痺れながら干しりんご食べて、準備は万端。筋肉にアルコールが沁みて震えながら艦これのデイリー任務を片付ける。


 2020年7月17日

 私のような人間が大袈裟なことに巻き込まれても、私はその大袈裟さに翻弄されるうちにあちこちに吹っ飛ばされて、かろうじて覚えているのはその断片ばかりで、しかし無理して思い出そうとしたところで、別の大袈裟に接続して別の穴に落っこちるだけのことだから、私は断片を拾って満足してしまわねばならないのだ、たとえ私の失われた記憶を勿体無いと思ったとしても。体育館のような大きなホールを囲む四角い空中回廊から下を覗いたら、大学の先生らしき男性が講義をしていた。学校の朝礼のように生徒達が整列して座っている。先生が質問をしたら、一人の生徒が元気良く手を挙げた。何かのテキストを読み込んでいるらしいのだけど、テキストや講義の内容はもう覚えていない。工事現場の湿った土の地面を工事用のトラックとか工作機械とかが縦横無尽に行き来していて凄まじく危ない。どういう因果かここで仕事の手伝いに駆り出された私も何度も轢かれそうになった。複雑に入り乱れる車体の隙間を必死で避け続ける。危な過ぎて私達は何度か法律的なものを確認する。今日のうちに三人轢き殺された。二人目と三人目は綺麗に踏み潰されて、紙に人間をカラー印刷したようにペラッペラになってしまった。三人目なんて笑ったような表情のまま踏み潰されたそのペラッペラの頭を居合わせた人達が持ち上げてひらひらと振っていた。人間の成れの果てに私は強烈な恐怖を覚えた。現場責任者か市長さんか偉いひとが視察に来ていて、私の横で口をへの字にしながら何か嘆いている。事故の多発で仕事が滞り、とある若い男女がこの職場をクビになってしまう。でも二人ともむしろほっとしているように思えた。結局十時間ぐらいギリギリまで寝てしまった。寝心地が悪くて背中が固まっている。布団を被らなかったから肌寒いし、また部屋の電気を消していない。バス停の植え込みが刈り込まれていた。蝸牛のコロニーも破壊されてしまっただろう。それを、悲しいとも、或いはどうせ直ぐに復活するだろうと楽観することも出来ず、ぼんやりとした頭で植え込みを覗き込んでいたら分厚い合羽を着込んだ皺だらけのお婆さんが、刈り取られた残骸を片付ける掃除道具を水色の車輪付きのコンテナに纏めて次の植え込みへと移っていった。今日のRaNi Musicはちょっと興味深かった。While My Guitar Gently Weepsは記憶よりもEric Claptonの演奏が控え目だった。George Harrisonの雰囲気のほうが強いんだなぁと改めて思う。back numberの瞬きはおっとろしい程にコバタケサウンドで、豪華ではあるけれど、折角のバンドの個性が潰されてしまって勿体無い。YUIのMy Generation。YUIは適度に青臭さを残しつつポップに完成しててシングル単位ならわりと好き。私は遅れているので、藤井棋聖のニュースを今更知った。もう十歳も歳下だものなぁ。素直に凄いと思った。今日は胃袋の調子が最悪。ずっと鳩尾と背中がぐりぐりしていた。帰りの電車でもRaNi Musicのタイムフリーを適当に聴いていたら、何処かで聴いたことのあるイントロが流れた。あれ、Brown Sugarのイントロ、何か違うなと思って確認したら、なんとEric Claptonが参加しているバージョンだという。デラックス・エディション収録のレアトラックの一つということだけど、まさかこんな音源までラジオで引っ張ってくるのか。
https://youtu.be/GuVax7iMM6Y
The Rolling Stonesの泥臭さや土臭さとはそのままにEric Claptonの流麗なスライド・ギターが程好く中和して、賑やかでありつつも風通しの良い楽曲に仕上がっている。このバージョンも全然あり。でも、これではThe Rolling Stonesにしては御行儀が良過ぎるというか、賑やかさを通り越して騒々しいカーニバルになってこそのThe Rolling Stonesなのに、と思ってしまう。私も厄介な性格である。Eric Claptonはソロだとボーカリストの側面が強くなり過ぎるきらいがあるので、While My Guitar Gently Weeps然り、ゲスト参加してる音源でこそ真価を発揮してる気もする。あとはNorah Jones、ちょっと気に掛けておこう。部屋に帰って、特に何もせず、だらだらと夜更かし。


 2020年7月18日

 結納金がどうとか、就任の挨拶がどうとか。昨日は何もしてないのに五時ぐらいまで眠れなかった。最近また枕の調子を違えているらしく肩を痛めてしまう。要は横向き寝が不味いらしいから、枕を整え直して仰向き寝に落ち着くようにしたら若干マシになって、昼の三時まで寝起き寝起きで横になっていた。新しい眼鏡を買い換えた。19800円を給付金から負担する。新しい眼鏡を掛けて軽く眼科の近くのやたら広いスーパーを歩いてみたのだけど、案の定、足元が覚束ない。度数がキツいので歪みが大きくて、世界が軽く曲がっている。一方で爪先のあたりは眼鏡の範囲外になってしまうから落ち着かない。焦点もいまいち合わなくてぶれぶれするし、近くと遠くを交互に見るのがつらいし、世界がいつもよりちょっと小さくなるし、軽く気分が優れなくなってきた。おにぎり屋さんでご飯食べながら眼前の硝子の模様を見ていたら、明らかにこちら側に向かって平面が歪曲して突き出してきている。眼鏡を外すと途端にスッキリと平たくなるのだから若干気味が悪い。眼、というか脳が慣れるまで随分と大変そうだ。もうずっと昔に、敢えて度数を抑えた普段使いの眼鏡を作った当時の私達の判断は相当的確だったのだ。これじゃ職場に掛けていくには厳しいだろう。眼鏡の作成よりコンタクトレンズの許可のほうが先になってしまって、やれやれ、本末転倒やん、と思ったものだけど、この眼鏡で仕事なんてしていたら半日で疲れて倒れていたはずだ。おにぎり屋さんの柱が視界の端でぐねっと外向きに湾曲している。眼鏡のレンズの内と外で、柱が目測三十センチぐらいはズレている。そりゃあ、足元が覚束無くて当然だ。簡単な外出に使える眼鏡が必要だったのは確かなので間違った出費ではないのだけど、二万円も出費してここまで世界が歪むのは、やはり何か釈然としない気分である。なんて、スマホで日記を書いてたら余りに焦点が合わなくてブルッと全身が震えてしまった。多少の覚束なさは耐えられても、スマホ画面の文字が読めないというのは深刻な問題である。ちょっと距離を空けて画面を見るといいのだろうけど、画面と一緒に文字まで普段より小さく細かくなってしまって、これはこれで酷く疲れる。ええい、本当にいずれ脳がこんな間違った世界に慣れてくれたりするものなのか?


 2020年7月19日

 梨味のファンタが自販機に導入された。プラスチック製のぺらぺらの立体看板が学校の廊下に置かれている。部長が部員の一人に備品を買わせに行かせる。商品券を持った女の子が走っていく。色黒の外国人だ。外に出たら運動部が新人達を集めて体育館脇で集まっていて、先輩達が自己紹介を始めたので、私は運動部の仲間と思われないように体育館に戻った。体育館は電気が落とされて薄暗い。ところで、私は、何の部活に所属していたのだっけ。今日はここに到るまでに必要なアイテムの争奪を巡って七人の大物達と攻防を繰り広げた記憶があるのだけど、ここでは、私は何か秘密の記録を保持しているだけの、当たり前の平部員の一人であったはずだ。何処かで何かが間違ってしまった世界で、例えばシンジくんのようなひょろっとした少年が、おんぼろのコンクリートの学生寮のような場所に住んでいて……最初にここに住んでいたのは私だ、目覚ましが鳴り響いて、高台に登ろうとしていた私は目覚ましを消し忘れていたことに気が付く……重たいブロックの塊を上階に持っていこうとして、破片が汚く散乱した階段の途中で諦めてしまった。季節はきっと夏、影が深いが暑過ぎはしないようだ。少年は本来の彼よりもずっと明るく、女の子達と穏やかに暮らしていて、それは世界が何処かの時点で間違ってしまったからで、海の見える高台の街は緩やかな終わりに向かって静がに賑わっていて、手動式のレコードなどが売っていて、酒場では黒人のブルース・ギタリストがスーツを渋く纏ってクレジット・カードを使って巧みにギターを弾いていた。私はこの世界の顛末を書かねばならない。私には少年がこの街に住むことになった経緯を、彼を産み出した人間として、書き残す義務がある。しかし私はそれを書き残すためにこの高台の街で右往左往した挙げ句に世界から転がり落ちて、世界の詳細をすっかり取り零して目脂を溜めて二階のごんごんという喧しさに眉間に皺を寄せながら、こうやって下手くそな日記に記憶の断片を貼り付けることしか出来ないのだった。昨日は日記を書き損ねた。新しい眼鏡を買った私は、感染症のせいで休館になっている川口駅前のそごうを見に行った。駅直通の遊歩道の先でちゃんと正装したスタッフさんが休館の旨を伝えている。ただでさえ来年には閉館してしまうのにこれじゃ泣きっ面に蜂だ。新しい眼鏡だと足元が覚束ないので階段が危ない。眼鏡の縁で階段の角がぐねっと曲がっている。帰りに途中下車してBOOKOFFに寄って、へうげものを頭の三巻だけ買った。美、が外交手段にすらなり得た時代、この物語における美に対する異様な傾倒、美が人間の神経にもたらす衝撃のダイナミックな表現は、満員電車の芸術というか、一般市民がぎゅうぎゅう詰めの会場に集まって、若いカップルが、わざと荒いタッチで描き残してある部分を、これ途中で飽きて手を抜いちゃったんだろうねー、とへらへら笑っているような時代と土地に生きる私達には、羨ましくもあり、遠くもあり、何より最早失われてしまった情熱なのだとも思う。そもそも今や芸術の本懐は、美、なのだろうか。美、は究極的に個人の欲、個人の業の発露であったはずなのに、デュシャン以来、最早それは公的なものにしかなり得ず、プライベートよりもオフィシャルに訴えることこそ芸術の本懐であり、誰ももう美しいものなど求めてもいないのだとすれば、私達は酷く冷めた時代を生きていることになる。オフィシャルに訴えるために、デタッチメントが本懐と化した芸術は、いずれ自分自身からも切り離されて腸を抜かれてぺしゃんこになってしまうだろう。兎も角、この冷めた時代の芸術の行く末は、所詮は時代の文法に合わせた言葉遊びでしかないのではないか、言葉が変われば失われる程度のお遊びではないのか、などとアマチュア物書きである私はまた独善的で偏向的で厄介な撞着に嵌まり込んだままいつもよりも長い帰路を、やっと慣れてきた新しい眼鏡越しのまだ傾いたままの世界を歩く。昨日もまた意味のない下手くそな夜更かしをしてしまって、執筆するでも作業するでも読書するでも艦これするでも睡眠時間を稼ぐことすらないまま夜が開けるまで起きていた。本当はこの二連休で色々進めるか、最低でも睡眠時間だけはがっつり稼いでおきたかったのに。午後三時、ここから眠るとまた夜が眠れなくなって明日の仕事に支障を来すだろう、私は私の心身のままならさに憂鬱になっていよいよ布団から起き上がれないまま片眼だけ開いて昨日の日記を書いている。スマホの容量はまた限界だ。スマホの容量を確保する作業と、前回の国立西洋美術館の感想を纏める作業と、昨日思い付いた廃墟の話……もう一つ思い付いたのだけどこちらはオチが浮かばぬ……を急いで書いてしまう作業と、更に艦これのイベントを先に進めるのとを午後三時から始めるなんて無謀だ。ここに書いてて憂鬱が加速してまた動けなくなった。大体これが私の毎日の顛末。寝起きから鳩尾と腰の筋肉が張ってる。昨日の夜から地味に蒸し暑いのも悪い。紆余曲折に巻き込まれたような気もするのだけど、取り敢えず、案外とドラマが面白かった。何処かで見たような設定の剣豪集団が酒宴を開いたりしていた。アパートの一室で切り合いが始まって、突っ張った壁を駆使して戦う暗殺者はそのまま逃げ出して窓から飛び降りた。最後にメインテーマを歌う歌手がスタジオに現れた。未来予知系のドラマの宣伝も流れた。来週あたりにも劇場版の次の作品が放映されるようだ。私はゼムクリップを食べた。いつもならちゃんと食べられるのに、今日は失敗して頬の内側に金属が刺さってしまって痛い。結局一部噛み砕いて飲み込んで一部吐き出したのだけど、ちゃんと消化出来るだろうか。もう夜になっていて、部屋の隅の毛布を確認してみたけど、先程玄関先で足を挫いていた知人は、もう別の部屋に移って寝ているようだ……この知人は私の知人の何人かの印象が重なっている……私は久々に父親の自動車の助手席に座っている。しかしあれこれ言われそうなので嫌だ。更に二時間も寝てしまった。スマホの容量を減らす作業も、画像を何十枚も移動させている間はスマホが重くて何も出来なくなるという事態に陥り、さりとて読書や音楽の類いに勤しむ元気もなく、今日は合切を諦めるのが得策とへうげものの最初の三巻を読みながら何もしなかった。以前、文学や哲学は個人への処方箋でいいのか、と、議論したことがある。私は当時、それを否とした。文学や哲学は望む望まざるに限らず、社会的な理念であると。でもへうげものの序盤を読んで一つ考えを改めたのは、社会的な理念は単なる文法のお遊びになるが、個人的な欲求は時に社会そのものをすら破壊する力を持つということ、つまり文学や哲学が社会的な理念であることに疑いを持ち始めたならば、いよいよ我々は文学や哲学という何処までもプライベートな劇薬を煽らねばならないということだ。文学や哲学は、かつて美術品がそうであったように、人間を殺すだろう。その暴力的なまでの個人的な業にこそ美的価値はあるのであって、それはとても「処方箋」のように、個人にも、社会にも、健康的な未来を約束するものではない。然して社会から逸脱したアウトサイダーを気取っておいて健康食品のような「処方箋」を自称すること程に場違いなことはない。私達は、人を救うためではなく、人を殺すために、物語を書いているのだ。完全に怠惰にバテてしまった。夕食を買いにコンビニに出掛けた以外はずっと布団から離れられなかった。艦これのウイークリー任務すら消化出来なかった。今日は心身の機能が省力運転だから程々で上手く寝入るタイミングを狙うだけだ。先日買って貰った山崎をロックにしてみる。甘い。甘味が強い。抑制された風味のようでいて氷が溶けても負けない底力がある。白州と呑み比べてみたいところだけど180mlは慎重に呑まねばなるまい。もう寝よう、という時間になってスモークタンの存在を忘れていたのに気が付いてしまった。ジェムソンのロックを早急に舐めてスモークタンを齧っていたら私の睡眠時間は四時間程度になってしまった。明日の朝、最早吐き気がするほどに見慣れた強度の睡眠不足が始まる。


 2020年7月20日

 同僚さんのポケットで、スマホのライトが物凄く派手に光っている。レジの合間にパソコンを触っていると丁度ライトが隣のレジにいる私の眼を貫くのだ。私が指摘したら、同僚さんは慌ててレジの影に隠れてライトを消そうとしたのだけど、同僚さんもライトの消し方が分からなくて慌てていた。勿論私にも分からない。カメラのフラッシュ機能を弄れば消せるらしい。スマホのライトを懐中電灯代わりにするという話を聞くたびに、私のスマホにこんなライト機能本当に付いているのだろうか? と訝しくなってしまうのだった。御給料日なので書店とユニオンに寄って積読と積盤を増やした。それから田端のコメダ珈琲店で日記の編集作業をする。ここのコメダ珈琲店のWi-Fi通信は一時間ごとに切れるので、noteの保存機能がサーバーエラー起こして戸惑ってしまった。Wi-Fi再接続で無事に保存出来た。一時間日記を弄って二日分。相変わらず先の見えない作業である。安岐瑞歩……漢字はまだ確定していない……の話が頭のなかで纏まってきた。つまり、私の父親は死に、母親は息子を殺そうとし、姉は大学を辞めて結婚して、私は水道の向こうの島に逃げたいと思い、そして安岐瑞歩は本屋にはもう歴史と戦争の話しか置かれなくなってしまった、けれどそんなものは私達にとって一番関係のないものだ、と気勢を挙げて、最後には私の眼の前でアメリカに行き、そして私は悲鳴した。日記に軽いプロットの草案を混ぜていくというのは悪い試みではないと思う。Twitterでは何度か遣ってたし。それにしても昨日の不眠が祟って眠くて仕方がない。最後にチョコドルチェを頼む。胡桃が強過ぎる。隣席のサラリーマンの眼鏡のおじさん、ずっと静かですっかり気配を忘れていたのだけど、今横を見てみたらワイヤレスイヤホンで何か聴きながらしっかりと眼を閉じて背凭れにきっちり背筋を伸ばしていた。電車に座ったら、水色の空き缶が足元に転がって来たので座席のしたに立てておいた。やっぱりお酒の空き缶だ。職場近くのコンビニの手前に陣取って、昼間から営業妨害寸前の大声で飲み会を遣っていたおじさん連中のことを思い出した。今回のRaNi Musicは当たりだった。GLIM SPANKY、覚えておこうと思う。おとなの掟から99Luftballons。懐かしい、あれはもう随分読み返してないな。福山雅治の曲のタイトルと歌詞がどう考えてもコナンだったので調べたらコナンだった。露骨過ぎるのもどうかとは思う。恋におちたらってドラマ、タイトル詐欺も甚だしいビジネスドラマだったよなぁとか……この頃の草薙さんの演技は確かに凄まじかった……ロコローション、サビの部分以外はまともな「歌」じゃないやんとか、Englishman in New Yorkのメロディに何故か「聴き覚え」があって、いつもその正体に悩んでしまうとか……私は電車を降りると何かのスイッチが落ちるらしくて、印象がふわふわと浮かんでも言葉が纏まらないままにふらふらと部屋に帰る。漫画を読んだ。どれも面白かった。かくしごと終盤の展開は、雑誌の立ち読みではなく通して読んでこそ感動的だなとか、夜中に不安の種*を読んではいけないとか、宝石の国は同僚さんが言ってた通り「美しい地獄」に突入したとか、なんだかんだかぐや様は告らせたいは面白いし、ショートショートさんは嫉妬するぐらいの一瞬が紛れてるし、勢いづいた私は何故かeggs and the worldを引っ張り出して軽く読み始めて下手な芥川賞よりもこっちのほうが私は好きやわと未だに謎の自己陶酔でにやにやとテンションがあがって、もう、寝なければならない時間になり、結局展覧会の感想も新作の執筆も艦これすらも遣らずに軽い頭痛を抱えながら日記を書いている。この日記、客観的に読んだらどうなるのだろう。いずれ一年分ぐらい溜まったら……一年溜まったら原稿用紙千枚を越えるだろう……何冊か特別に印刷して文学フリマに持っていったらどうだろう。エピグラフは、こう。本当の退屈というものを教えてやる。友達が週末の旅行の案として南伊豆の情報を送ってきたのでテンションが上がった。金曜日、私達は伊豆に行くのだ。私は眼鏡を探すために眼鏡を掛けた。眼鏡は布団のうえにあった。オールドパー12年のロックを舐めて律儀に艦これの任務だけ消化してから寝る。日記の頁を改める。


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