見出し画像

invisible holidays(2020.07.21~07.31)


 2020年7月21日

 侍の格好をした人達が、塀沿いの道路に何人も広がっている。彼等は刀を抜いて芝居がかった動作で叫んでいる。そういう見世物の一部なのだろう。私はその合間を駆け抜けて建物の裏手に出た。そこには時代劇にでも出てきそうな格好の町人達がいて、娘さんが無事にうどん屋さんに嫁ぐことが決まった云々、という話をしていた。路地に入り込んでいくとお店の裏方が並んでいた。恐らく娘さんが嫁いだはずのうどん屋さんもあった。そのへんに座っていたお婆さんが、布切れのように汚くて巨大な食べ物を浮浪している犬に与えた。犬がその布切れのような食べ物を仲間達のところに持っていくと、とあるビルの裏面に張り巡らされた非常階段で、暫くの問答の末に犬達の醜い争奪戦が始まるのだった。こんな裏路地にもきちんとした身形の商人はいる。私達はここで大事な取引をするはずなのだけど、ここから先はいよいよ記憶が曖昧になってしまう。私が覚えていられるのは、本当にせいぜい一つか二つの場面ばかり。蚯蚓がアスファルトに潰れていた。こんなアスファルトと鉄筋コンクリートの街でも蚯蚓は道路に這い出してきて死ぬ。今日は意識が散漫で下手な失敗をしそうで怖い。帰りに秋葉原の銭湯に寄ったら鬼滅の刃とコラボしていた。でも私は鬼滅の刃のファンではなかった。休憩所で美味しくない蜜柑スカッシュ飲みながら、前回間違えて全く同じ画像を何度も送信していたのを修正して、電池が赤くなるまでInstagramに写真を挙げる作業をした。つくづく一歩の前進もない毎日。肩凝りがまたピークに達してきた。本当に疲れた日は、埼玉まで帰らず秋葉原のカプセルホテルでぬくぬく過ごしたほうが心身のためかもしれない、と思って調べてみたけど御高いのだ。御高いから、大学時代に何度か関東に来たときも、ここのカプセルホテルは使えなかった。昼間に焼肉定食をがっつり食べたせいか夜は食欲がない。艦これはおろか日記を書くのも億劫な疲れっぷりだけど、セブンイレブンのざるそばを啜りながら私は「笑う生首(トーキング・ヘッズ)」について考える。海外の仕事から帰って来た彼がお土産に持ってきたのは、アメリカ北部の一部の地域に存在した、しかし既に伝統的な製法が失われたはずのお酒だった。大学の研究グループが再現を試みて実験を繰り返しているけれどまだ成功には到っていない。ブリテン島からの移民がこの土地に生える雑穀を原料に作った蒸留酒で、人身御供の儀式において生け贄にこれを呑ませて首を斬ると、その生首が予言を呟くという伝説をかつて地元の記者が残している。この地域一帯では予言を呟く生首の伝説や昔話が複数あって、とりわけルポルタージュの体裁で書かれたこの古い記事に、このお酒が登場するのは重要である。アフリカのとある部族が食べる甲虫の幼虫は体内に特殊な物質を持っていて、人間に害のある物質ではないが、体内に蓄積され、その人間が死ぬと死後硬直に影響を及ぼして、死体が段々反り返っていく。そのためこの土地では死体を埋葬する際には、一人一人の反り返りに合わせた大きな石を背中に括りつける風習がある。しかし何らかの要因で死体が反り返らなかった場合、彼ないしは彼女は人間に化けた悪魔だったのだと見なされて、甦らぬように念入りに火葬されてしまう。このように特定の食物が原因で死後になって発生した現象が、その土地の風習や伝説を規定する場合もあり得るわけだ。発声するためには口だけでなく身体のあちこちの臓器や筋肉が連動する必要があるから、本来、首を斬られた人間は生理的には喋ることは出来ない。とはいえ、死後になって反応を開始する特定の物質を摂取したことによって、例えば歯がカチカチと鳴ったり、舌が痙攣して予期せぬ音を出したりすることはあるかもしれない。あとは周囲の人間が勝手にそれを解釈して予言に仕立て上げてしまえばいいのだ。もし、彼が持ってきたお酒が、既に失われたはずの製法を密かに守り通して製造された本物だったとすれば、このお酒の成分を分析して、このお酒を分け与えたお婆さんからその製法を聞き出せば、この土地における、それどころか世界各地の「笑う生首(トーキング・ヘッズ)」伝説の解明の一歩になるやもしれない。それはとても好奇心を駆り立てられる可能性だろう。けれど、彼に、このお酒の出所を尋ねることはしないのだ。この世には、隠されたままにしておくべき扉もある。その扉を開かない、というのも一つの勇気であり、何より、責任なのであった。爪が伸びてきた。爪が伸びると噛んでしまうので、爪を切った。


 2020年7月22日

 今月はお金がない、と母が親戚と話している。親戚のおばさんが小遣いをくれる。私は兄と一緒に親戚の家の炬燵に潜り込む。私は田舎の国道を自動車で走っている。ここの八番ラーメンは潰れてしまった。知らない空き家があるだけだ。もう少し進むと別の八番ラーメンがある。私は炒飯を食べる。でも何か不手際があったので、もう一度炒飯を頼む。女の子が虐げられていた。私は酷く疲れているのに、疲れている理由を軒並み忘れてしまっている。それが幸福だか不幸だかは知らない。今日も朝から背中が痛くて難儀する。七時間睡眠を確保したはずなのに眠気が取れないし、食欲もない。久々にウィダーで済ませてしまった。昼休憩でお腹痛めて、トイレが空かなくて嫌な汗が出てるときに限って旅行の計画の確認が来る。突然、せったちゃらちゃら梅の花、というフレーズが浮かんで、元ネタが全く思い出せなくて調べたら京都の通りの覚え歌の一節(せつだちゃらちゃらうおのたな)だった。しかし私は京都と縁が浅い人間だから、何処だろう、名探偵コナンの映画あたりかな。午後にもう一度下痢した。今日は、繋がらなかった。或いは、ずっと喋っていた。或いは、行方不明になった。要するに散々な一日だったので事務員さんも御冠だ。行方不明でも不味いのに、曲がり曲がって理不尽な要求が重なって、上司が謝罪する羽目になる。私は間違っていないはずだった。私は別に間違っておらず、別に怒られてもいないのに、その場に居合わせたせいですっかり疲れてしまった。誰が悪かったのだろう。このまま、誰も悪くないままに過ぎていくはずだったものが、とんでもない方向から横槍を喰らってみんな無駄に疲弊するのだ。冷やしつけ麺を食べる。水と間違ってコップにスープ割りを注ぐ。友達と明後日の段取りを決める。明日は友達の部屋に泊まることになりそうだ。職場から直で行くので、明日はこっそりサイズの合わない職場用の靴ではなくて、運動用の黒色のスニーカーを履いていこう。電車を降りたら外はじとじとと生温い雨が降っている。電車で微睡んだせいで動悸が激しい。バスに乗ることにしたのだけど、前のお姉さんがもう一歩前に進んでくれなかったので、停留所の雨避けに半分入れなくて十分間ずっと傘を差していた。時節柄、余り詰め過ぎるのも、確かに良くないのだけど。突然の雨で駅舎の軒下には沢山の雨宿りがいる。迎えの車がロータリーを塞ぐので、バスが渋滞して停留所の前まで来れない。バスは随分と混んでいる。部屋に帰ってからは再び脱力感に襲われる。スマホの容量の整理をしたりする。シュニッツラーの夢奇譚を読んだのだけど、感想を六百字に纏めていたら頭の一部がすっからかんになってしまった。過敏な性愛感や逃避への衝動など些か古臭さがあって、ここにフロイトなんて絡めても所詮ごく狭い「人間」しか語ることは出来ないだろうと思う、ということを表明しつつ、夢のような淫靡で危険な夜の冒険と、それにぶつけられる夢のような本当の夢、また決定的な真実に辿り着けぬまま……カフカ的?……妻の包容力によって簡単に夢として蓋をされてしまう夜の冒険の呆気なさ、乱高下の激しい内面の変化をあられもなく暴露してしまう内的独白の技法、一方で律儀に時系列を通し続ける律儀さ、そういう、覚めたというか、冷たいというか、そういう印象を上手く言語化して六百字に纏めるのは物凄く頭を使う。色々語り零してるはずなのに全然頭が回らない。こめかみが引きつって痛い。明日のお泊まりの用意があるのに吐き気がしそうな程に眠くて死にそうだ。職場で貰った桃は切る元気もなくてそのまま冷凍庫に投げ込んでおいた。今日も艦これのイベントは触れなかった。あ、言葉が、壊れる。最悪の気配。私はスマホを投げ捨てた。また拾って、なんとか体裁を整えて、限界だったので、寝る。


 2020年7月23日

 私は新しい道具の買い換えを命じられて店内をうろうろしていた。子供用のものを探したり、逆にお値段が張るようなものを探したり……一体何の道具だろう? 誰のために? 何のために? 女性達の間で競争が行われていたはずだ。けれど、肝心なところをまるっと忘れているのだからいけない。電気代の切り替えがどうこう、時間がない出勤前に押し掛けてきた営業さんに押し切られて、口座引き落としに同意してしまった。でも口座引き落としは管理が面倒だから後悔。バス停の植え込みに蝸牛のコロニーはもう見当たらない。代わりに、公孫樹の肌に小さな百足が群れていた。友達の部屋に泊まる荷物と一緒に出勤したから、今日のようなじとじとした雨は荷物が濡れて嫌だ。雨が降ったので、今日は雨が降ってるなという具合の体調と、雨が降っているな、という具合の売場の暇さで、作品のプロットをちまちまメモ帳に書きながら何とか切り抜ける。今日は遅い出社だったので八時半に職場を飛び出して、中央線から新宿で小田急に乗り換え神奈川へ。久々の小田急なのに仕事終わりだからテンションが上がらない。小田急は結構混んでいる。小田急は心なしか乗客層が若かった。仕事出来ない同僚を愚痴る二人組とか、Instagram観ながらこのメイク可愛いこのメイク可愛いと連呼してる二人組とか。私もこういう他人の会話を盗み聞いて創作のネタにしなければと思うのだけど。法隆寺周辺の写真をInstagramに放流しながら一時間近い行程の暇を潰そうとするけれど、段々首が痛くなってきた。小田急の座席は眠りにくい。


 2020年7月24日

 目覚ましが鳴っているのだけど誰も起きない。私のスマホのアラームを信じればいいはずなのだけど、私はいつまで眠っていられるのだろう? 昨日は神奈川の友達の部屋に泊まった。千葉の友達と神奈川の友達がゲームで接戦してるのを横で見ていた。今日は布団代わりの座椅子、枕代わりのクッションを貰ったので、他人の家にしては眠れた。神奈川の友達の自動車で伊豆に向かう。私は後部座席からうつらうつら山間の神奈川を眺めている。残念ながら雨だ。高速道路を走っていると何故か懐かしさが沸いてくる。自動車に乗ること自体が懐かしいのかもしれない。前の座席で友達が蘊蓄を交わしているのに耳を傾けながら、車窓を流れていく懐かしさを眺めている。今回は車内で可能な限りリアルタイムに日記を書くことにする。白バイを二台も見掛けた。谷間の底に箱根の景色が垣間見えて、そこから深い深い山道に潜っていく。私達はまさに箱根を越えている。対向二車線の狭い道で、急カーブや急勾配で渋滞が起こる。廃道マニアの友達が封鎖された痕跡に反応する。盛り土を積んだブレーキ故障車待避所がある。静岡に入る。静岡のあたりでは雨が止んでいる。箱根エコパーキングはまだ午前中なのに蜩のようなきゃきゃきゃという虫の鳴き声が響いていて不思議な雰囲気だった。パーキングエリアを出ると、今度は下り急勾配の急カーブが続く。森はびっちりと地表を覆っている。眺めのいい高台から下界の景色がばっと開くと感動する。あれは富士山だろうか? 近くに日本一の吊り橋があるのだそうだ。新しく出来た道路を下っているので、カーナビが宙を走っている。伊豆中央道は未だに現金限定の手動改札なのだそうだ。やたら何度も料金所を通る。自分が一体何処の自動車道に乗ってるのか、カーナビ見てても良く分からない。伊豆も入り込んでいくと山の表面が杉がちになって、田舎を貫く真新しい自動車道、まさに奥越の中部縦貫自動車道の雰囲気にそっくりでとても懐かしい。山脈の合間を抜けていく、道は狭いけど車通りは無駄に多いくねくねした田舎の光景、福井県なら美山町のあたりがこんな感じ。でも更に道が狭く曲がりくねって温泉の看板が並び始めると、流石に伊豆という趣だ。私達は浄蓮の滝に寄った。風圧が凄い。飛沫が凄い。苔がいい。滝の脇には柱状に割れた崖や貴重なシダがある。釣り竿が河沿いに並ぶ。わさび園がある。わさび園、友達に急かされてじっくり見損ねてしまった。いのししラーメン食べる。お土産にわさび味のKitKatを買う。お土産屋さんで、友達の出した一万円に難しい顔されたので私が隣から2000円出したのだけど、あれ、私、700円貰わなきゃいけなかったらしいのに300円しか貰ってなくない? 因みに天城越えの天城はこのあたりらしい。再び自動車に乗り込んで坂道を登る。段々のわさび畑が所々にある。山道の半ばにもバス停はある。友達の提案で、道中の古いトンネルに寄る予定だったのだけど、旧道のほうに曲がり損ねたり、工事中だったりで今回は御縁がなかったことになった。散々山道のぐねぐねカーブを曲がり続けた果てに、カーナビの画面に謎の円が現れた。道路は崖に突き出して、螺旋状にくるくると二周ほど綺麗な円を描いて降りていく。とても面白い螺旋だったので三人で盛り上がった。やっと人気のありそうな温泉街に出るけれど、目的地はさらに遥か先だ。河津桜は春頃の旅徒然の候補の一つだった。そして海に出る。このあたりからもう景色を観るのが忙しくなって日記の実況が間に合わなくなる。海沿いの道を走る。海にはサーファーがいる。海には船がある。ゴツゴツした岩だらけの海岸はとても惹かれる。天然の驚異によって突き出したり引っ込んだり砕けたりくっついたり。出鱈目に、しかし雄々しく豪快に形作られた海岸の景色は素晴らしい。人間の作為などものともしない荒々しい景色に、私は物理的に振り回されてちょっと酔った気分になるのだ。友達から教えて貰った磯浜という言葉が実にしっくりする。手掘りのトンネルがある。白浜あたりの海水浴場は結構な混み具合で、サーファーがぷかぷかと模様を作っている。けど、やはり砂浜よりも磯浜の予想の付かない荒っぽさが最高だ。感想をメモしようと画面を見ると車窓が見えない。車窓を眺めてるとメモが出来ない。つまり大体中途半端な感想になるということだ。本当は車窓に集中したほうがいいのだけど、私は直ぐに景色の記憶を忘れてしまうから勿体無くて無理やりにメモ帳を開く。下田まで出ると俄かに街が綺麗になる。雨も止んでるし、市街は自動車が沢山走っていて随分と賑やかだ。市街を抜けて再び山道に進んでいくと、トンネルの横に小さな屈曲したトンネルが並んでいる不思議な構造があった。さてもう文字を書いてる余裕はない。南伊豆の磯浜、最高。ゴツゴツ最高。今にも崩れそうな岩山最高。穴最高。突き出した槍岩最高。赤潮最高。大体全て最高の景色だと思う。最高過ぎて慌てた言葉では説明出来ない。磯浜、覚えた。やっと目的地に到着して車を降りた。山に囲まれた小さな港。蝉が強かった。私達は石廊崎の遊覧船に乗った。大体最高だった。細石が崩れてカミツキガメの顎のように削れた崖が最高だった。トビウオ最高だった。弾ける船の飛沫も最高だった。もう言葉で書き残す時間がないから、兎に角写真を沢山撮った。釣り人は何処にでもいる。本当に何処にでもいる。私達は遊覧船の景色にすっかり満足して、続いて自動車で灯台と石室神社の最寄りの駐車場まで登った。こちらも遊覧船に負けず劣らず素晴らしい絶景だったけど、高所恐怖症にはなかなかお腹が冷える。見所は沢山あったけど、行程を書き残す余裕が全くない。兎に角沢山写真を撮った。そして釣り人は何処にでもいる。帰りも同じく磯浜の海岸線を走ったのだけど、私は途中で寝てしまって、眼が覚めたら渋滞が始まっていた。何キロも続いた長い渋滞の起点はたった一つの信号だった。私達は河津の踊り子温泉会館に立ち寄った。春ならば河津桜が望めるのだけど。強い雨が降ってきてしまった。だらだらしてたら食事を探すにはちょっと遅い時間になってしまった。河津駅前に戻って、とある海鮮屋さんを訪ねてみたけどもう閉店だった。霧が強い。霧が強くてフロントガラスが曇ってしまう。行きと同じ山道を帰るのだけど、登りの坂道で意地でも四十キロを守り通していた車がいて、下りになったところで一気に追い越した。夜道は後部座席に座っていてもやたら心身が疲れてしまう。殆んどぼんやりとしか動かない脳味噌で真っ暗な景色の先を睨んでいたら、段々と肩首と頭が痛くなって、私は寝てしまった。敢えて途中で東名高速に乗って、足柄サービスエリアのフードコートで夕食を食べた。やっと友人宅付近まで戻ってきて、何故かローソンで売っていた本坊酒造のマルスウイスキー ツインアルプスなんて見付けてしまって、友達のゲームの試合を鑑賞しながら呑んでたらすっかりアルコールが回ったので今日の日記はおしまい。しかし、折角の伊豆旅行だったのに全然まともに記録出来てないや。残念。


 2020年7月25日

 乳白色の、スッキリと四角い美術館のような場所にいる。私は傘を取って外に出た。大学では学校祭の準備が進んでいた。文芸部でも冊子を出すらしいのだけど、私はその進行に不満があるらしくて相手に愚痴を吐いている。高架と線路が重なるあたりの道のアスファルトが全て剥がされていた。ここはいつも道路工事している気がするのだ。清掃のおばさんに急かされながら私は部屋を掃除していて、片隅にまで追いやられながら私は自分の必要なものを選別する。家主が部屋を空けているときに友達が突然お茶を吐いた。昨日の夜、友達が自分で煙草の灰皿代わりに使っていたペットボトルのお茶を誤って飲んでしまったのだ。ニコチンの染み付いた液体が自分の服に掛かって、臭いが取れなくて困っている。今日も神奈川の友達に運転してもらって、八王子の長池公園の脇にある廃道を見に行った。寝起きから余り元気がなくて、昼御飯も肉を残してしまったし、二人が喋っている間にまた寝てしまった。廃道は公園の縁に食い込むようにして残されていた。まだ道路標識も残っている。うっすらセンターラインや止まれの白文字も見える。この廃道は不自然なT字路から始まっていた。藪が繁って道路を半分ほど覆っていた。廃道が落ち込むところで竹林が迫って頭上に乗り掛かり、笹の葉が茶色く濁って水溜まりになっている。湿ったところではアスファルトを割って草が生えて、びっちりと苔がむしている。雨に湿った廃道は曇り空の微かな白光を吸い込んで陰影が深い。急カーブの角に鉄塔が建っている。鉄塔に通じる網柵は閉じられ、雑草に埋まっている。カーブの先には陸橋があって幹線道路を跨ぎ、向こうも道路の半分を雑草が突き破っていて、くねっと弧を書いて幹線道路と合流するのだ。とても創作意欲が刺激される場所だった。逆に、私の実家のド田舎も、どんな細くて狭い畦道もちゃんと姿を保っていたのは、人間がそこを通って管理していたからなのだと思い知った。歩きながら三人でこの廃道の歴史などを色々推測するのだけど、両端が何処に繋がってたのかとか、陸橋が作られたタイミングとか、いまいち腑に落ちない謎が残った。神奈川の友達に南大沢駅まで送って貰って、そこから千葉の友達と一緒に京王線で新宿に出て、ドンキホーテでスマホスタンドを探した。適当に見付けたラーメン屋さんに寄り、そこで改めて廃道の歴史について二人で話し合った。廃道マニアの友達がネットを駆使して過去の空中写真と陸橋の成立年を調べあげ、鉄塔が由木通信所という現在は返還された米軍の施設だったこと、この道路が国土地理院の航空写真から1960年代には既にも同じ場所を走っていたこと、そして現在は幹線道路で切り離された向こう側の斎場方面の道と繋がっていたこと、恐らくその幹線道路の建設予定地を跨ぐための陸橋が平成八年に後から施工されたことなどを発見した。この陸橋はいずれ使われなくなるために作られたらしい。私達はわりと満足して、新宿駅で別れた。この日記を書いていたら乗換の赤羽駅で降り損ねそうになって、慌てて荷物を掴んでホームに飛び降りた。部屋でだらだら陸橋のことについて調べていたら、とあるサイトで1997年の上空写真を見付けた。この時点では写真の右上から陸橋のあたりまで幹線道路の工事が進んでいた。一方で写真の中央、現在は幹線道路で分断されているあたりは、まだ工事が始まっていないので以前の道が繋がっている。つまり、1996~1997年頃はまだこの廃道が道路として顕在だったから、工事現場を跨ぐ陸橋を作ってこのルートを生かし続けねばならなかったわけだ。幹線道路は段々と左下に向かって伸びて、この道路を分断する。この頃には既に代替ルートが出来ていたのだろう、もう向こうに繋げるための工事をする必要はなくなっていたから、不自然なT字路が出来る。そして廃道になる。
http://mimomi.na.coocan.jp/bus/kuchushashin/232.html
久し振りにTwitterを開いて、この二日間の写真を挙げたり、展覧会の感想を呟いたり、Instagramの投稿状況を報告したりした。殊更疲労が溜まって、艦これや日記のような普段の日課すら怠っている時期に旅行になど出掛けたものだから、旅行は最高でも、とても旅行の感想をがっつりメモ帳に書き残しておく余裕なんてなくて、しかも友達との旅程だからそっちとのお喋りを優先してしまうし、何より写真を撮るために容量空けるために写真をUSBに移すためにInstagramで過去の写真を挙げまくる、という変な作業に没頭せねばならなかったし、自動車に疲れて頭痛くなって寝たりしてたし、旅行は最高だったけれど、日記はいつになく散漫になってしまった。そろそろ寝なければ明日また寝不足で大変なことになる。でも私は今頃になって洗濯物を干すのだ。


 2020年7月26日

 夜のバスを待っていたら、いつも駅前で新聞配ってるカルト宗教の勧誘員、遂に日本語が全然喋れない外国人にまで執拗に絡み続けるという迷惑甚だしさも極まったことを遣っていた。死ねばいいのにと思う。今日は深刻に頭が痛い。最初は単なる首の痛みだったけど、マスクがまともに付けられない程に息苦しくなって、酸素が足りなくてふらふらしてきて途中からずっと鼻を出していた。仕事終わりまでは何とか耐え切ったけど、USBを買うために秋葉原のヨドバシカメラを歩いていたら段々首の動悸が止まらなくなってきた。しゃがんだり立ったりを繰り返すと血の巡りがずぅんと脚に引っ張られるような不快感がある。緊張性頭痛とも偏頭痛とも違う。バス停で待ってる頃には後頭部が痛くなっていた。手足に痺れはないし、読み書きもまだ出来るから脳出血や脳梗塞ではないと思うのだけど、近い親戚にくも膜下出血がいたから油断は出来ない。多分、息苦しさも含めて、経験的に風邪の類いの頭痛が一番近い。でもこの時期に風邪の類いは色んな意味で危なくて、それはそれで心労が祟る。今日こそ艦これのイベントを再開するつもりだったのに。大事を取って明日は仕事休んでしまおうかな、とすら考えてしまう。バスに乗り合わせた一家の餓鬼どもが五月蝿くて頭痛に響く。こめかみが絞まるような痛みになってきた。軽い吐き気もある。部屋で布団に倒れ込んで、念のために体温を計ったら36.1℃しかなかった。昨日、新宿のビックカメラで、特定の場所に立つと画像に体温が表示されるシステムがあって、友達はちゃんと計れたのに私はどの場所に立っても上手く体温が表示されなかったのを思い出した。幽霊なんじゃねーの、と友達に笑われた。幽霊ならこんな動悸のつらさに苦しむことも無かろうにと思う。ここまで動悸が長引くとなると、自律神経の類いが狂った可能性があるのだけど、ここ数日は無茶な睡眠不足やエナジードリンクの飲み過ぎなどは遣っていないはずだから、強いて言えば連日の雨と、加齢か。


 2020年7月27日

 酷く蒸し暑い。一瞬、戦闘中に大井さんのシルエットが映るバグが起きた。昨日は酷い体調だったけど、部屋に帰って横になっていたら動悸も頭痛も収まったので、久々に艦これのE-1で掘りを再開した。そこから半ば寝落ちて九時間ぐらい寝れたので具合はいい。一旦体調の底まで落ちた感じはあるから、ここから体調が安定していくといいのだけど。遂に職場最寄り駅にまで勧誘が現れた。ここは気持ち悪い街宣が五月蝿い場所ではあったけど、勧誘まではいなかったのに……私は自分でも驚くぐらい完璧にそれを無視した。勧誘員は三時間後ぐらいにも通行人に迷惑を掛けていた。今日の体調は随分と安定。でも微妙なところで呂律が浮わついて、職場の備品を間違って部屋まで持って帰ってきてしまった。艦これを触る余裕はあるのだけど、気が付いたら胃が硬くなっていた。こんなに蒸し暑いのに扇風機の風を外して胃薬飲んで布団をお腹に乗っけているのだから奇妙な話だ。今日も今日とて息を切らして寝込む。


 2020年7月28日

 寝落ちたせいで中途半端に朝早い時間に起きてしまった。胃が萎むように痛むので、近所のコンビニで珍しく朝食を買った。かりんかりん、と何処かで音がして、もしやと思って確認したら今日は瓶と缶の回収日だ。飲み過ぎた栄養ドリンクの空き瓶が溜まりに溜まっていたので纏めてごみ捨て場に持っていった。艦これのイベント掘りを進めつつ、氷が切れているのでツインアルプスをストレート、スモークタンで。テレビかラジオの収録が始まるようだ。しかし肝心のゲストが現場入りしてないらしく、私も控え室でそわそわとゲストの支度が整うのを待っている。女性アイドルグループによる催し物が始まり、ファンの女の子達が後ろでキャーキャーと喋っていて、私は場違い過ぎる自分が恥ずかしくなって顔を覆ってしまった。女性アイドルグループの面々は収録会場を飛び出して体育館のステージのような場所に駆け上がっていった。壁には漫画の一頁を印刷したものと、大きく文字が書かれた小さなメモ紙が貼られている。私は自分のメモ紙をなくしてしまって、壁のあたりをキョロキョロとする。それから何か、感動的なことに遭遇したような気がするのだけど。今日は特に何の予定もない休日なので胃薬を飲んでもう一度寝る。新しいスマホスタンドは、ゲームを遣るには便利なのだけど、スマホを止めるバネやスタンドの可変性の腕の部分が硬過ぎて、取り外しや位置の調整が難しい。それに文字入力は不便になるので日記を書くには不都合。私は卑猥な場所に立ち合った。とても卑猥で、しかし寸前で全てが壁の向こうになってしまうような場所。微かに緑がかった、灰色の壁。私は各地のボスと戦うためにカードを集めている。それもボスごとに必要なカードの種類が違うので、毎回それに合わせて集め直さなくてはならない。カードの管理もお金の管理も大変だ。紆余曲折した記憶がすっぽり抜けてしまって、最後に子供か、或いは猫に、馬鹿にされてしまったような。艦これのE-1とE-3で掘り周回をする。今日はドロップ運が悪くて余り成果が出ない。月末だから勲章確保のため2-5と3-5を回ったのだけど毎度のことかなり苦戦してしまった。丸々凍らせておいた桃を引っ張り出した。出来れば種ごと真っ二つにしてスプーンで削って食べたかったのだけど、硬い。種が硬いのは予想してたけど、凍った果肉が普通に硬い。頑張って包丁でぎこぎこ試してみて、最終的に種を切ることが出来ず、諦めて半球の皮を剥いでそのまま齧り付いた。桃は凍らせるに限る。ふと、まだ桃の中心部が解凍されずにカチカチのままなのを見て、これでウイスキーのロックが作れないだろうかと馬鹿げたことを思い付いてしまった。包丁で四カットほど切り取り、半球が残った本体は冷凍庫に片付け、カットをグラスに積んで直にオールドパー12年を注ぐ。当然、氷ではないのでウイスキーは全然冷めない。桃の味が染み出すでも、氷が溶けて呑みやすくなるでもない、それなのに注ぎ過ぎてしまった。爪楊枝で桃のカットを食べてみた。濃い。ウイスキーのエッセンスがギュッと染み込み、しかも桃の軽い甘さが相乗して、ウイスキーそのものよりもずっと強烈な味がする、とんでもないものが出来てしまった。一齧りごとに凝縮された痛烈な味に眉間に皺を寄せる。間違った食べ物じゃない。作り方を間違えなければ面白い珍味である。でもウイスキー注ぎ過ぎたから私には極悪の塊で、しかも今日は摘まみの類いを何も用意していない。おやつ用の紋次郎いかでは流石にウイスキーには合わぬ。何とか全てのカットを食べ終わったものの、グラスに残った全然薄まらなかったし冷えきらなかったほぼストレートのオールドパー12年を呑み切る体力がなくて布団に倒れ込んだ。彼は女の子達のためにプレゼントを集める。そのうちの幾つかは合法的な集め方ではない。それを察した同業の女性に、捕まるかもしれませんよと警告を受けても、彼は女の子達にプレゼントを渡すのだ。ところは変わって、まだ人々の往来が行き来する夜中の街中に怪物のように強い女性が現れた。本当なら、この青く光る線の内側、彼女の周囲一帯は死体の山になるはずだった。しかし何とか彼女の暴走は食い止められていた。そこに怖いもの知らずの男性が乗り込んで、彼女に頭突きをかましたうえで……ついでに左手を吹き飛ばされながら……説得というより半ば説教じみたことを叫んで彼女の暴走を止めてしまった。私は脚が悪い人達に混じって、無理に階段を使わずエレベーターを使うことにした。格闘漫画に出てきそうなゴツいおじさん達もエレベーターを使っていた。貴重なゴキブリを鑑賞出来るという集会に、私は参加しなかった。夜までホテルで待っていたら、窓の向こうに昼間出会った青年が黒く着飾った格好で現れた。彼は私に何かの提案しているのだけど、何にせよろくな取引ではない。彼が調子に乗って喋り続けている隙に、私は武器になりそうなものを手元に集めた。部屋にはゴルフクラブなんかも隠されていた。既に窓は開いていて、私は窓の桟に座っていた青年を両手で突き飛ばした。青年は敢えなく落下した。ごん、という音がした。私は窓のしたを確認しなかった。私は呼吸を整えて、自分でも吃驚するほど冷静に受話器を取り、自分でも吃驚するような取り乱した声で、窓から入ってこようとした怪しい男を突き飛ばしてしまったとホテルのスタッフに電話で訴えた。直ぐに警察が来て、あなたは罪に問われないでしょうと言った。母親も遣ってくる。私は、窓が開いた後も暫く青年と私が会話していたという証拠……例えば煙草の灰などを、真面目に調べられたらどう言い訳しようと考えている、と、青年が小型の飛行機に捕まれて窓の高さまで引っ張りあげられていた。青年はまだかろうじて生きていた。私は彼が何か言い出さないか心配したのだけど、青年は醜く笑って、それから何も喋らせて貰えぬまま壁に叩き付けられた。青年は何処かに運ばれていった。私は夜の小さな路地を自動車で進んでいた。銭湯に寄っていたのだと思う。酷く狭いので対向車が来たら端に避けねばならない。地元の車はあり得ないほど道路のギリギリを走る。私はラーメン屋に寄る。ラーメンいち、という屋号で、店内は食堂風の座席でわりと混んでいて、二種類のラーメンの看板があった。私は結局注文せずに外に出た。ウイスキーがまだグラスに残っていた。勿体無いけど捨てた。今日も不規則に寝ては起きて、寝ては起きてを繰り返して外出する余裕もなかった。寝過ぎて首が痛い。眼鏡掛けたまま寝落ちたりしたせいで眼もつらい。E-4の攻略を進める。前回はまともにボスにダメージを与えることすら出来なかったけれど、取りあえず「制空権取って戦艦に弾着&連擊させろ」という古の教えに従い制空値を意識して編成したらやっとS勝利を達成出来た。とはいえ確実にボスを落とせるとは限らず、試行回数がだらだら延びてしまって長期戦に突入。前のマスでS勝利狙って夜戦に流れるとボスマスで燃料弾薬が切れて夜戦カットインが決まらないという知見を得た。少ないS勝利で第四号海防艦をドロップ出来たのは運が良かったけど、道中大破の可能性もあるから気を抜けず、度重なる寝落ちのせいで頭も痛くて、気分転換に新しい眼鏡を掛けて近所のすき家に行く。相変わらず度数が高過ぎて足元が覚束無い。でもいつもよりくっきり浮かぶ夜の街は新鮮だった。電線の工事車両が停まっていた。リフトの箱に雨避けの透明なビニールシートが掛けてあるのだけど、これじゃ相当蒸すだろうし、雨の日に電機系の仕事は危なかろう。すき家のメニューからあさり汁が消えていた。しじみ汁じやいまいち食べた気がしないのだ。パチンコ屋跡地の広大な空き地に工事用具が置かれていて、看板を見たら新しくスーパーマーケットが建つらしい。この一角は既に西友と業務用スーパーが並んでるのに、その真向かいにまたスーパーマーケットが出来る。げに恐ろしき競争社会。住民の一人としては、徒歩圏内に選択肢が増えるのは悪いことではないのだけど。E-4はいよいよラストダンス突入、装甲ギミックも攻略し、友軍も投入して、それで丙難度なのに意味不明な耐久値の壁が聳え立ってて絶望した。強力友軍ですら殺し切れない。なんじゃこりゃ。ボスが500に随伴で700と330って。余りに理不尽な壁に夜更かし。五時間睡眠が決定して今日の攻略は諦める。絶望的なまでに苛々してる。艦これなんて基本運ゲーだけど、攻略に必要な運勢値が現状高過ぎてどうしようもない。T字不利は引くし支援砲撃は駆逐艦すら殺せないし戦艦は駆逐艦に弾着飛ばすし、ストレスで頭が痛くなってきた。こうなりゃ水上部隊じゃなくて攻略wiki推奨の機動部隊に入れ換えるしかないのだろうか。苛々を静めなければ眠れない。苛々を静めるために、また私の夜更かしが続く。


 2020年7月29日

 夜道を猫が二匹駆け抜けた。二匹ともアパートの植え込みの向こうに飛び込んで、まるで血飛沫を挙げる効果音のようなぶしゃーーーーーーという音に続いてなーーーーーなーーーーーと猛々しい不愉快な鳴き声が夜の住宅街に響き渡った。公園の前にも白黒斑の猫がいた。久々に猫を見た気がする。最近猫を見ない、なんて千葉の友達に話してた矢先のことだ。今日の職場は色んな苛々が確実に積み重なって疲弊する日で、追い討ちのように昨日の夜更かしの後遺症なのか、また仕事の終わり際になって息苦しさと頭痛が強まってきた。腰を引いて腹を突き出す。姿勢が悪いのが呼吸困難の原因なら、首をしっかり背骨に乗せねばならないのだけど、背筋を伸ばすと腹筋が疲れてしまう。先日程の重症は免れたけれど、部屋に着いた頃にはすっかり眠気と疲労で動けなくなってしまったから、今日は艦これのイベント攻略も諦めて早めに寝よう。


 2020年7月30日

 仲間達と一緒に……何をしたのだろう、もう無人の校舎の廊下の一画で仲間達と擦れ違った一瞬のことしか覚えてない。最後のほうでみんなと旅行の計画を立てていたのは確かなのだ。未知の世界の未知の街を歩く計画はとても楽しかった、のだと、思う。今日も私は、今日も私は忘れてしまった、と日記に書き込んで、私の記憶を供養するのであった。乗り換えの電車が来なかった。一駅歩いたら、復活した電車に追い越された。朝から余り頭が動かない。枕、歩き始める。今日は無事に仕事が終わった。最近は疲労か溜まってて無事に仕事が終われる自信がないのだ。またdisk unionでお金を使ってしまった。こんな時節にラーメン屋が新規開店していた。塩ラーメン食べたら胃に重かった。ここ暫く、電車を降りてから眠気が強くて仕方がない。艦これを触る元気もなくてWikipediaでエウメネスからエリザベス・テイラーまでだらだら記事を泳ぐ。実家からLINEが飛んできて、相談してお盆は帰省を控えることになった。友達が、先日訪れた河津の温泉会館が感染症予防のために休館になったというニュースを持ってきた。南伊豆旅行も本当にギリギリ滑り込みだったわけだ。脚が痒い。部屋に蚊が忍び込んだ気がする。で、結論から言えば、艦これのE-4丙難度を遂に攻略したのだった。攻略するまでに限界まで精神磨り減らして五時間睡眠確定したからもう死にそうだ。水上部隊から攻略wiki推奨の機動部隊にしたのだけど難易度的にはそこまで変わったようには思えなかった。でもT字有利で中破してない綾波さんの夜戦カットインがボスに飛べばそりゃ終わりますよね、という、ある意味で呆気ない終わりでもあった。


 2020年7月31日

 隣の資材置場が五月蝿いのか、近所で工事でもしてるのか朝から街が喧しくて、何度も小刻みに眼を覚ましては眠ってを繰り返したからろくに眠れた感じがしない。でも体調は割合平気だ。最近は胃のあたりを伸ばすような姿勢を心掛けると調子がいい。何回か厄介に当たったけど乗り越えた。厄介の相手してるほど私は暇じゃないのに。まぁ可もなく不可もない一日だった。部屋に帰って艦これのE-5を始めたら、全く目的のマスに進めないのだ。通常艦隊でも水上部隊でも輸送機部隊でも機動部隊でも、編成を何度も弄くり続けても全て逸れた。何時間も彷徨い続けて屈辱的なことに初手から攻略wikiに頼ることになる。しかし要求されてる編成条件が幾らなんでも狭過ぎて、一般人が仕事終わりに試行錯誤で発見出来るような条件とはとても思えぬ。機動部隊なのに軽空母二隻以下って。水上部隊はゴール直前のマスで逸れてしまうので、きっと水上部隊の正しい編成があるのだろうと試行錯誤してたのに、どうも確定で逸れる仕様らしい。難易度の多寡というより、こう、運営の、素人御断りな厭らしい悪意である。攻略サイト通りの編成でやっと先に進めたと思ったらニ連続大破撤退。今日は心が折れた。今日も下手に夜更かししてしまって眠気が鈍い。この疲労感は余り美味しくない。日記の頁を改める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?