漫画レビュー『ぴたテン』~非人間に逃げ続けないということ

こげどんぼ*先生の『ぴたテン』という作品が好きなので、レビューを書いてみます。(主にエンディング部分では具体的にネタバレ含む。←なので、読書予定があるのであれば読み終わってからがお勧めです。)

この漫画の概要としては、1999年から2003年の間に少年漫画雑誌である「月刊電撃コミックガオ!」で連載された漫画です。連載当時から15年以上経っていることになります。(ちなみに筆者は連載当時はまったく知りませんでした。初めて読んだのは大学受験の頃で、単行本が全巻当時の実家にあり、母親のものか妹のものか不明だったな…。)

はじまりとしては、小学6年生の主人公 湖太郎(こたろう)のもとに、可愛くて、自分のことが好きで、ずっと一緒にいてくれる美少女(の姿をした半人前の天使)が突然「わたしとつきあってください!!」という台詞と共に現れ、共同生活をすることとなります。ヒロインの名前は美紗(みしゃ)で、湖太郎に接近した目的は「湖太郎を幸せにすること」(と、その目的を達成することで半人前から一人前の天使に昇格すること。)また、美紗は天使として「一度きりだけ湖太郎の願いを叶える」能力を持っています。途中、同じ小学校に通う同級生や、もう一人のヒロインでもある紫亜(半人前の悪魔)といった登場人物たちとのやりとりを経て、小学校からの卒業までが描かれます。

この概要だけ読むと「よくあるオタク好みなストーリー」だと感じる方も多いのではと思いますが、個人的には、それ以上の意味を見出だすことができる、とても深い着地をした作品だと捉えています。

その理由は、この物語の結末が主人公 湖太郎とヒロイン 美紗の「別離」に他ならないからです。

さて、改めて言うまでもなく、美少女の容姿をした半人前の天使が突然現れ、一緒に生活するというフィクションは「現実離れ」しています。このようにして始まる物語の序盤だけ読んでみると、「ラブコメ」「ドタバタ」「学園もの」「ファンタジー」といったジャンルであるかのような印象を受けます。(実際にそうでもあります。)

そして、ある意味では、そのような理想的なシチュエーションにおける理想的な存在との半永久的なループ(と感じさせるもの)は、オタクコンテンツやフィクションといったものに求められ続けている側面があるでしょう。

しかし、物語の終盤では、湖太郎が紫亜との死別を経験すること(おそらくそれ以前に起きた母親との死別も重なっており、よりトラウマ化している)に加えて、美紗が「湖太郎を幸せにすること」を叶え一人前の天使になった際に確定している別離、あるいはその目的が叶わなかった場合に控えている美紗の消滅という事実を知り、時間と共に迫りくる現実的な問題にも板ばさみとなります。

中学受験の試験日が目の前に控えているにも関わらず、湖太郎は時間の許す限り美紗と片時も離れず傍にいることが自分の幸せであるという考えに囚われ、また、現実逃避の対象として美紗にすがり続けます。

試験日前日の夜になっても、美紗から「1分1秒も離れたくない」と受験すらも放棄しようとする湖太郎に対して、美紗は(自分と一緒にいても)「湖太郎くん前より幸せそうに見えない」と言って考えを改めさせ、夜明けには試験へと送り出します。

試験会場へと向かう道中、湖太郎は同級生の小星(こぼし)と会います。小星は物語の中で湖太郎にフラれたショックからしばらくの期間絶交していましたが、髪型を変えてイメチェンしており、合格祈願のお守りを渡して湖太郎へのエールを送ります。

小星に励まされた湖太郎は試験に向き合い、自分の力を出し切ります。そして受験を終えた帰りの道中では、もう一人の同級生である天(たかし/テンちゃん)に会います。天は受験について悩んでいましたが、そのことで自らの答えを出し、受験の先にある将来のことを考えていました。小星と同じく、天も「自分の足で立ち上がっていく」のだと湖太郎は悟ります。このできごとの後に、湖太郎はそのまま現実と向き合うようになり、美紗が「湖太郎を幸せにする」という目的を達成して一人前の天使になれるよう、一度きりの願いを伝えることにもなります。

つまり、湖太郎を試験日に送りすことで状況を変えるきっかけを与えたのは美紗ですが、最終的な決断をするきっかけとなったのは、一緒にいることで幸せだと感じる存在(理想的な存在/非人間)として見ることができる美紗ではなく、むしろ同じように小学校に通い、それぞれの悩みに向き合って決断を出してきた人間の同級生たちでした。

後日、合格発表で見事試験に「合格」した湖太郎は、美紗に再会すると言います。

「僕の身体を天使の姿が見えないようにしてほしい」

もしこのまま天使を見ることができたら、天使に頼ってしまう。だから「人間は天使がみえちゃいけないんだ」というのが湖太郎が出した結論でした。ある意味では理想的な存在であるはずの美紗と一緒に居続けるというフィクションと決別する(非人間である美紗に逃げ続けない)ことを宣言します。

そして湖太郎のことが好きな美紗も同様に、このままでは湖太郎という見返りを求め続けてしまい「天使は見返りを求めず人の幸せのために背中を押す」という、天使としての役割を果たせないことを認めます。

美紗は一度きりだけ行使できる能力で湖太郎の願いを叶え、一人前の天使となって湖太郎の前から姿を消してしまいます。湖太郎は美紗の記憶、そして会うことはできなくともその存在を感じながら歩いていきます。

この漫画の作者であるこげどんぼ*先生は、過去にオタクコンテンツにとって象徴的な作品となった「デ・ジ・キャラット」のでじこをキャラクターデザインしたりと、小さな頭身のキャラクターや少女趣味風のファッションを描く傾向/作風が見られます。また、最近では「自他共に認めるオタク」であることがTwitterでの発信などから読み取れます。その一方で、漫画やイラストの仕事に対しては相当に強い意志で現実と向き合っていると思われます。(wikipedia等、こげどんぼ*先生のプロフィール参照。上記はこげどんぼ*先生に限らず、仕事として何かを成している人は多かれ少なかれそうだとは思いますが...。)

『ぴたテン』は、一見、ロリータ趣味のように見ることができるヴィジュアルや主人公たちが小学生であること、ヒロインが天使/悪魔という設定から、反射的に、やや悪い意味でオタクコンテンツであるという印象を受ける可能性があると思います。しかし、実際にはこの物語の設定として、湖太郎の母が交通事故で死別していることや、大人たちの存在感の薄さとは相反して(家柄、親の入院など)主人公たちに与えるプレッシャーが大きいものであること、(時間や寿命、食、役割といった)人間とは異なる世界観の天使/悪魔と交わることで生じる歪な血縁関係あるいは擬似家族であるが故の不幸、友人たちとのディスココミニケーション、受験の合否といった現実的な要素も多く見い出すことができます。(ゆえに、さらにその先には主人公らの成長があり、物語は続かず、確かに完結します。)

以上のような観点から『ぴたテン』は、美少女のモチーフで描かれたヒロインとの物語としてだけでなく、オタクコンテンツ、あるいはもっと広義なフィクションの在り方に対するメタファーとして解釈することができます。ある意味では、はじまりは理想的なシチュエーションや理想的な存在(フィクション)に逃げることから始まるものの、エンディングと共に(正確には物語の進行と共に)現実へと目を醒ますことになる内容です。

ただしそれは、フィクションが次第に、ただ消えゆくものとして終幕へと導かれていくのではなく、現実の一部としてシンクロし、それらが共存した新しい現実へと着地します。

その導きからは、「漫画やアニメ、ゲーム、etc...といったものに囚われるな!」「現実逃避するな!」「フィクションから目を醒ませ!」といった否定的で一方的で強制的で性急な覚醒へのメッセージではなく、フィクションは「(現実の)幸せのために背中を押す」ものだという、柔らかな目覚めへのメッセージを受けとることができます。

エンディングでは湖太郎が「朝が嫌いだった」と過去形の台詞を言いますが、これは「現実が嫌いだった」と言い換えても差し支えないように思います。

そしてこの物語は、真の意味で、オタクコンテンツやフィクションの在り方に対して贈られた、ひとつの讃歌であると解釈できるのです。

(『ぴたテン』の作者であるこげどんぼ*先生は、一時期、秋葉原やオタクコンテンツにとって象徴的なキャラクターだった【でじこ】を生み出している。そしてツイッターやってらっしゃる。めっちゃオタク(笑)。)

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