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「富久田保津/名探偵アナイドは可能性の過去からきた説」を提唱します-怒りのID:INVADED考察

※当ブログはこのエントリー以外ではID:INVADEDの話はしていません。
⬆️嘘です。1本書かせていただきましたので、ご査収のほどお願いいたします。

※ほぼ二次創作です

わたしの検索能力が低いのか、世間の関心を多く集めていないのか、またはそもそもこんなに考え込むコンテンツではないのか、原因はさだかでありませんが、とにかくIDの考察をほとんど見つけられないので、自分で書くことにしました。見てない人向けの注釈を入れるとまとめることが不可能なので、すでに見て、なにかをわからないなと思った人向けの体裁で書いていく予定で、ネタバレは不可避です。視聴中・視聴予定の方は今すぐにこの画面を閉じてください。逆に全く予定はなかったのに間違ってこれを読んで「おもしろそうじゃん」と思った人がいたら、たったの1クール13話・oped飛ばして本編だけならトータル6時間くらい。アマプラ・Netflixで見られるので、軽い気持ちで逆答え合わせをしてください。まあそもそもこの記事自体、軽い気持ちで読み終われるクオリティ・文量ではないので、せっかくこんなものを読んでしまったのなら作品を見ないと普通に時間の無駄です。書き終わって戻ってきたら13000字ありました。

追記2020/06/23 05:00
わたしが考察に辿り着けなかったのは、イドクラスタのみなさまの検索避けの賜物であると思い知りました。無配慮をお詫びするとともに、この記事が公開されていれば今後みなさまの土地にわたしのような者が土足で侵入する機会を減らすことが可能であると考え、公式タイトル・キャラクター名を列記したこの形での公開を継続させていただけたらと思います。いわばこの記事がミズハノメですね。(反省の色が見えない)

さて監督が「Fate/ZERO」のあおきえい氏、脚本が舞城王太郎、主題歌がSou、挿入曲にMIYAVI。声優の配役にもかなりの気合いと意志を感じます。贅沢極まりない、かなりニッチな製作陣でお送りするダークSFミステリー。敢えて舞城思想を一切知らないまま考察に挑み、視聴回数は通しで6回です。

1.用語整理も兼ねて軽く世界観を確認

完全にネタバレしていきますが諦めていただきます。

《要約1 世界観》
「ミヅハノメ」というシステムを使う捜査機関「蔵」がある世界。ミヅハノメに従属する端末「ワクムスビ」で犯行現場に残留した殺意の思念粒子を検出することができる。それをもとにミヅハノメが無意識の殺意を具象化した「イド」と呼ばれるバーチャル世界を生成。1人掛けの椅子を模した「コックピット」により、複数殺人実績のある人間(「連続殺人鬼」と呼称される)だけがイドへの「投入」を可能とし、「名探偵」と呼ばれる。名探偵はイドでは記憶を失っている。名探偵がイド内で死亡した場合、イドと名探偵を観測して推理・捜査する「井戸端」スタッフの操作によりイドから「排出」される。再投入された名探偵は経験を蓄積せずリセット状態となる。排出された現実世界では、記憶や経験は保持・蓄積されていく。
《要約2 イドの中の仕組み》
イドにおいて、名探偵は記憶喪失に陥っているが、投入地点で必ず死んでいる「カエルちゃん」を目視すると「この死人がカエルちゃんであること」と「自分は名探偵であり、カエルちゃんの死の謎を解かなくてはならないこと」の2点のみを思い出し、イド=犯人の無意識世界における捜査が可能になる。イド内のカエルちゃんの死と現実世界の殺人事件は異なるが、イド自体とその中のカエルちゃんの死には犯人の心理が反映されているため、推理や捜査に利用することができる。
《要約3 飛鳥井の特殊能力》
「ミヅハノメ」のシステムは、飛鳥井木記という特殊能力者を利用して構築されている。
飛鳥井の特殊能力は「他人にエンパシーを強いる」というもので、これを飛鳥井睡眠時に発動させると「飛鳥井の夢に(睡眠中の)他人を侵入させる」ことができる。ジョン・ウォーカーはこれを利用し、殺人願望を持った人間を飛鳥井の夢に侵入させ毎夜繰り返し・合法的に殺人を犯させることを可能にした。
また、持続的な睡眠に陥らせた飛鳥井をシステムのコアとすることにより、飛鳥井の夢の中で「カエルちゃん(=飛鳥井)が殺害されている風景」=イドを生成し、そこへ名探偵を侵入させることができる。
《要約4 イドの中のイド》
イドの中で名探偵が「飛鳥井木記のイドへ接続したコックピット」を見つけ、自身を投入すると、名探偵自身が最初の殺人を犯す少し前の時点の「過去の現実によく似た世界」(「イドの中のイド」)に入る。その際、あくまで本人として投入されており、「過去の現実によく似た世界 における自分自身」と出会うことはない。この「イドの中のイド」は井戸端からは観測不可能である。
《要約5 イドの中のイドの中の飛鳥井の夢》
イドの中のイドでの飛鳥井は、現実世界でミズハノメへ転用された飛鳥井とおそらく同等・同質の能力を備えており、エンパシーの強制、夢への侵入と夢での殺害が繰り返されている。夢には殺人鬼が自らの計画などを持ち込んでくることがあり、結果的に予知夢のような現象も起こる。これを飛鳥井は「可能性の未来」と呼ぶ。

2.オチに納得がいかない。

そもそもわたしがなぜ「ID:INVADED 考察」と検索しまくったり、ホワイトボードやA3のノートを使いながら6周も通しで見ることになったかというと、それは当然「納得がいかなかったから」で、これを書いている理由は「わたしが納得するような説明に2020年のインターネットではたどり着けなかったから」です。しかし、この作品を普通の人が普通に見ると普通にわかる可能性が50%はあります。そうだとすれば考察ブログが見つからない理由もそれであり、つまりこの記事は「馬鹿が一人相撲を3ヶ月もやった成果を見せられている」というものである可能性が50%です。

まず、初見後半からの「え、これどうやってたたむの?おめでとうエンドしかなくない?」というスリリングさ。終盤の怒涛の展開(物量)もかなりTV版エヴァを彷彿とさせる。そしていざたたまれてみれば、「ん…?…うん…?…そうなるのか…そうか…そうなるか…。…なるか?」です。この最後の「…なるか?」だけがここ3か月のモチベーションです。

この「…なるか?」は、大きく2つの方向がありました。

《疑問》
①物語内の設計としてそれが可能なのか(基本的には可能に決まってるんですけど…)
②どんな物語を見せたかったらこういうたたみ方になるのか

①には「この作品のSFとしての強度をどのくらい信頼するのか」という問題も含んでおり、②はその信頼の水準をさだめるためにも必要な観点です。(そして②の大部分はおそらく、他の舞城王太郎作品に触れればすぐに把握できたと思われます。縛りプレイが好きなので敢えてやりませんでした)

この作品のオチかたは「名探偵は名探偵なので、土壇場でいろんなミラクルと工夫を凝らすことができ、巨悪を懲らしめることができた。失ったものもある。しかし前向きに生きていこう」です(よね?めちゃくちゃ不安です。違ったら誰か教えて)。

読んだことないけどその名を轟かせて久しい天下の舞城王太郎が、そんなオチを、わざわざテレビアニメで、見せたかったのか?
いや、NOでしょ、知らんけど。とわたしは思いました。

3.本当のオチと本当の主人公は誰か?

となれば、(わたしのオチの解釈が間違っていて盛大なメッセージをちゃんと地上波に乗せている可能性も50%はあるものの)「オチはほんとうは別の場面だったのではないか(もしくはオチてないのではないか。その場合オチはなんなのか)」という設問になります。これが問1。それに付随して、「主人公は誰だったのか」という設問、これが問2。終始主人公として描かれる鳴瓢秋人が本当に主人公だったら、オチはあのオチでおそらく合っている(さすがに)。しかしあのオチが本当のオチでないのなら、つまり本当は鳴瓢秋人は主人公ではない別の誰かであるはずなのです。幸か不幸かこの作品には主人公を張れるキャラクターが無数にいます。

《主人公候補者》
・鳴瓢秋人(普通に主人公として描かれてる悲劇と根性の人)
・本堂町小春(W主演枠かサイコパスなヒロイン)
・富久田保津(本堂町とのボーイミーツガール)
・飛鳥井木記(どうひっくり返してもセカイ系の異能ヒロイン)
・早瀬浦宅彦(主題歌の「Mr.FIXER」がこの人)
・百貴船太郎(飛鳥井とのセカイ系ボーイミーツガール)

6人か。無数というほどではなかったですね。それでも多すぎますが。

「本当は誰が主人公なのか」はわたしが物語を鑑賞する際のクセなので初見の1話から常に考えていましたが、12話「CHANNELED」での鳴瓢の走馬灯的なガッツリ泣かせにくる演出で「いややっぱりこいつが主人公かあ」と一旦は思わされました。あんなに「この人に感情移入して見るべきなんですよこの作品は」ってやられたら、いかなるひねくれ者でも「そうなんですね」と思わざるを得ない(実際に感情移入するかは別問題)。

しかし、逆にそのシーンが明確なひっかかりになりました。走馬灯。あんなこともこんなこともあったなという場面をザッピングしてゆく映像。その視点が、本人視点じゃないのは、まあいい。というかよくある。漫画だったらコマの外側が黒く塗られてる感じの、過去の場面ですよーという演出が本人視点である必要は確かにない。架空のカメラでいいでしょう。しかし、この場面たちを我々は今までに何度も見たことがある。鳴瓢の独房の壁に貼られた無数の、亡き妻子との写真です。

4.「現実」はどこか?

「ああ、あの写真はこういうシーンだったんだな〜泣」とももちろん思いましたが、それでも「独房の壁に貼られた亡き妻子との写真」の視点は、さすがに、架空のカメラではなく、その世界に実在するカメラの・撮影者の視点であるべきでしょう。でもそうではなく、明らかに本人たちしかいなくて、タイマーを設定するのは無粋で、誰もセルフィーを撮る腕を伸ばしていない写真がある。あの写真たちは物理的にありえないのです、あの世界が「現実」ならば。つまり、あの世界、鳴瓢が妻子を失い人を殺し独房に入っている世界は現実ではないのではないか。これが問3になります。言い換えれば、走馬灯を見たあの世界、イドの中のイドこそが「現実」なのではないか、です。(泣かせ演出で十分に鳴瓢に感情移入したので、そうだったらいいのに、と思ったというのもこの設問の動機です)
架空のカメラは神の視点とも言い換えられます。つまり、外部の観測者です。どこが内部でどこが外部なのか。誰が観測していて、誰が観測されているのか。どの次元がどういう次元なのか。そういう問いでもあります。

---2020/06/26 01:20追記修正---
「写真、そんなに取り立てて無理というほど無理ではないのでは?」というご意見が多かったので、言い訳を足します。

独房の壁の写真たちだけを眺めていたころはわたしもそのように思っていたのですが、いざ走馬灯として、各シーンが数秒ずつ映像として描かれたのを見たときに、強烈な違和感を抱きました。それは映像だからこそ「鳴瓢一家が、カメラをあまりにも意識してなさすぎる」という点が目立つ(ものがあった)からです。「誰かが撮ってる」と解釈するのはわたしには厳しく、またあのシーンでタイマーで撮ったとしたらもはや「タイマーを設定してる鳴瓢の手のアップあたりから描きそう」もしくは「カメラを一瞥してタイマー作動を確認するくらいのワンモーション入れそう」(な製作陣)という印象を受けます。隅々までこじつけなのは承知で、言い訳したくて足しました。
---追記終わり---

「現実っぽく描かれているけど実は虚構である可能性がある世界(仮称:α世界)」と「虚構っぽく描かれているけど実は現実である可能性がある世界(仮称:β世界)」という二項の見え方が発生しました。この二者は描かれ方として上流ー下流の、あるいは上層ー下層の関係にあります。現実世界でイドに入る→イドの中でイドに入る→そこが過去の現実によく似た世界。この虚実を反転させるとなると、「現実ではない高次元に現実によく似た未来(虚構)があり、そちらからアクセスされることがある」です。あり得ると思います。少なくともこれを否定しきれる要素は、今のところわたしには見つけられていません。

また、パラレルワールドや複世界線のような解釈も可能です。どちらも現実である、もしくはどちらも虚構である、もしくはどちらも現実か虚構か判定はできない。どちらかがトゥルーエンドでどちらかがバッドエンド、あっちは誰々ルートでこっちは誰々ルート。そういう一通りが「可能」である、または「不可能ではない」と思います。その妨げになるとすれば上ー下という関係ですが、上ー下を規定しているのは「ミヅハノメが生成したイド」というかなり自由度の高い要素でしかない。

5.「ミヅハノメが生成したイド」という嘘

ここでひとつ、作品内では明言されていないもののかなり確定的に思われる設定について言及します。「ミヅハノメがイドを生成する」は嘘です。ミヅハノメはあくまで観測ツールであり、イドそのものを生成する機能は持ち合わせていません。もしそうだと仮定するならば、サカイドとアナイドが同じイドに同時投入された際に、先に目覚めたアナイドから「情報が来ない」せいで井戸端が「イドを観測できない」という現象は起こりえない。ミヅハノメがイド自体を生成できるのであれば、アナイドが情報を送ろうが送るまいが、それは井戸端で観測可能であるはずだからです。

つまり、α世界とβ世界の上下を規定していたように見える「ミヅハノメが生成したイド」はダウトで、そこにあるのは単に「イド」です。単なるイドそのものというのは、作中でもひかれるように心理学用語として、自我のある万人に備わったものです。作中では「イド」は殺人鬼の無意識、殺意の心象風景として説明され、「イドがある=連続殺人鬼である」というミスリードがなされましたが、それはミヅハノメのコアである飛鳥井が見うる夢のほとんどが殺意に満ちているために、結果的にミヅハノメ・ワクムスビでは「殺意の目立つイド」ばかりが偏って観測可能である、ということだと思われます。

要するに、我々に与えられた情報では、α世界とβ世界に上下を規定することはできない、ということです。また、「下」と指すならば無意識下である「イド」こそが下であり、α世界とβ世界は共に・別々に「上」であるとも言えます。ここで、イドの中のイドで飛鳥井が自分の侵されている夢の世界について「可能性の未来」と表現し、鳴瓢がそのときに「現実」を想起して「長い夢を見ていた気がして…」と吐露する場面から、α世界を「可能性の未来」、β世界を「可能性の過去」と表現することが可能であると考えます。

6.さて、満を辞して、「富久田保津/名探偵アナイドは、可能性の過去からきた」説を提唱します。

物語は富久田保津の死を伴って幕を引きました。「我々は勝利した、失ったものもあった、しかし前向きに生きていこう」的なオチにおける「失ったもの」が富久田保津ですね。冒頭でも書きましたが、そんなわけないだろ、とわたしは思いました。そもそも描かれた物語において富久田保津は「失った痛手」に相当する重み付けをなされてないんです。本堂町も強がりではあるが「涙の一粒くらいでこの人にはちょうどだと思います」と言っている。そのくらいの重み付けなんです。いや、キーパーソンではあるよ。魅力的なキャラクターではあるよ。でも富久田保津の死なんて、ぶっちゃけここまでに描かれてきたさまざまな悲劇に比べたら全っ然悲しくないし、巨悪を打倒する代償にしては全っ然安いんですよね。ちなみにわたしは富久田保津を推していますので、キャラとしての彼を軽んじたくて仕方ないわけではないのです。「彼の重さ、描写されてないですよ」ということを声高に主張しています。あのオチは、オチとして成立していないんです。させたかったらもっとやりようがあったはずなんです。でもそうなっていない。つまり制作サイドは意図的に、あのエンディングでこの程度の感情を抱かせるように、物語を作った

終結へ至る怒涛の最中、ジョン・ウォーカーのイドの中で本堂町が「ここで起きたすべての死は、なかったことになるんでしょうか」と呟きます。鳴瓢が「感覚的にだが 生きたいヤツは死んでもよみがえってくるさ」と、フワッとしたことを言います。

《註》
(このフワッとしたことを言う感じに対して、主人公っぽいなと思うこともできますが、わたしは「あ、こいつトリックスターだ」と思いました。急に現れて重要なことを言ったりやったりして去る、戦隊モノにおけるブラックやゴールドやシルバー、あれです。来たら勝ち確だけど来るとは限らないあれ。鳴瓢はその役割のキャラクターだ、と思いました。鳴瓢主人公じゃない説の強化です)

そして富久田保津は、この言葉に照らせば、「本人の意思で帰ってこなかった」ことになります。というかそうでないならあの鳴瓢のフワッとしたセリフの意味が全くない。そう思って見れば1話「JIGSAWED」で富久田保津はカエルちゃんの死体に隠れていましたし、主題歌内でも浮いたフレーズである「このまま最後まで隠れたい」という歌詞にもつながりができます。

《註》
主題歌の歌詞を根拠にするのはかなり強引に感じられるかもしれないですが、1番の歌詞は各フレーズを取り出してもそれぞれに鳴瓢視点であり、鳴瓢視点で「最後まで隠れたい」はさすがに違和感があります(よね?)(「1番もべつに鳴瓢視点じゃないのでは?」という反論もありえますが…)。
2番の歌詞の各フレーズを富久田視点で解釈するとかなり辻褄が合う、というか、合わないところは特にない。
横道に逸れますが歌詞からの連想で言えば「捜査線上でただ踊っている」というフレーズから「踊る大捜査線」を連想するのは別にトリッキーではないはずで、「事件は会議室じゃなくて現場で起こってるんだ」みたいなあの名ゼリフを想起するのもトリッキーではないはずで、であれば「この物語においてどこが会議室でどこが現場なのか」と考えるのは問3 どこが現実なのか とリンクします。

こうなると、オチの解釈としては「生きたい奴は生きるし、そうじゃない奴は帰ってこない」で「能動で生きてるの?生かされてるの?(主題歌の歌詞)」、それがこの物語のオチでメインメッセージでしょうか。

NOですね。わたしが断固として納得しない。自分でも疲れます、3か月もやってますからね。ここまでで6000字書いてますからね。なんでそんなに納得がいかないんだよ。

だってこの「帰ってきた世界」が「現実ではない可能性」がすごく高いんですよ、「可能性がゼロではない」というだけですでに高すぎる。現実ではない「かもしれない」世界で能動で生きてるのか問うてどうするんですか。ここまでで読み取れる文脈を参照してそれを問うならむしろ「虚構の中でも能動で生きよう」とか「能動的に虚構を生きよう」とかでしょう。そしてそれらは、制作サイドがそうしようと思ったらそう明示されることが可能でしょう。つまり、だから、やっぱり制作サイドはそういうことを言おうとしているわけでもない。というふうにわたしの中のわたしが断固として納得しないわけです。

この辺で、「ああ、落とし所は『現実と虚構の関係についてどう思います?』あたりのやつかな」とも思い始めます。というかちょっと前にシン・ゴジラ見たし。いや、もっともっと以前から現実ー虚構やら真実ー嘘偽りやら、そういう対比のことはやはり考えるのが好きだし。

じゃあ現実と虚構についてこの物語が何かを言っているとして、しかしオチではそれが明示されていないとして。だとすれば、「頑張って解釈してたどり着く」という体験をこそ制作が提供しようとしていると思うことにしました。それはわたしがドマゾだからで、また「名探偵」とはそういうものだからです。

7.現実と虚構について、一視聴者がアンサーを探す

設問を一旦整理します。

《設問整理》
問1 本当のオチはどの場面だったのか(クライマックスはどの場面だったのか からも推察可能でしょう)
問2 本当の主人公は誰だったのか
問3 本当の「現実」はどこか

すべて、かなりメタレベルの高い設問で、順当に手をつけるのは難しいです。

なので、一旦整理したこれらを念頭に、ここまででは言及してこなかった別の疑問について考えていきます。

8.富久田保津の「これで叶えられた望みは3つ」

終盤の怒涛の中、ジョン・ウォーカーのイドでサラッと流された、富久田保津の「これで叶えられた望みは3つだ」というセリフ、その「3つ」って、なんでしょうか。これ普通に見てたらわかるようになってましたか?わたしには全くわかりませんでした。そもそもこの場面が全体を通して異様に説明不足な印象を受けました。6回も見たのに全然わからない。この「わからなさ」は仕組まれたものであり、鍵であるはずです。(もしくはわたしの理解力が常人の1/6である)

あまりにもわからないので7回目を再生しながら字幕を書き起こしてみます。

《書き起こし》
(本堂町のイドでジョン・ウォーカーがイド嵐を起こして本堂町を封じようとしたところ、昏睡した富久田保津が「偶然」そのイドにいて導き、共に離脱する。)

本「助かった ありがとう それにしてもすごい記憶力だね カエルさんまでの歩数を覚えてたの?」
富「数字が好きで 嫌いなんだ さてこれからどうする?」
本「もちろん あいつを追っかける あなたは?」
富「今の俺は 名探偵じゃない 君らについていけないし ついていく理由もない ただお嬢ちゃんの殺意は気に入ったよ できればもう一度 じっくり楽しみたい」
本「なんだか イヤな気分 あっそうだ ちなみに数字が好きで嫌いなあなた 7って数字はどう思う?」
富「悪い数字じゃないけど この数字を好きなヤツは嫌いかな プリテンシャス」
本「どういう意味?」
富「ただの素数なのに 意味や物語がくっつきすぎてるんだよね 非常に上っ面のいい数字になってしまっている」
本「そっか なるほど じゃあねっ」(自分のイド仮面を放り投げる)
富「ああ あんまりだ…」(走って本堂町イド仮面を取りに行く)
(画面外から本堂町に銃口が向けられる)
(井波七星が拳銃を撃つ)
(富久田保津が走って戻り本堂町を突き飛ばし、撃たれる)
富「穴は…1つ
本「富久田!」
富「フフフ…今"チャンス到来"って叫ぶつもりだったのに 何か変な言葉になってたね
本「穴は1つ…」
富「大事な言葉だよね 一途だ」
本「下ネタやめて」
富「え…あっいや そういう意味じゃないんだけど…」
本「井波七星!」
富「フフフ…ありがとう本堂町小春くん 君を助けることができてよかった チャンス到来…俺の望みはここで2つかなったよ
本「フッ… 私の秘密を教えてあげる 私 あなたの穴が見えなくなったの 欠けてたり 抜けてたり バラバラになってるものが私にはそう見えないし すべて整って見える」
(本堂町が手をかざすと富久田保津の穴がなくなり、整う(アナイドのビジュアルが描写される))
本「だから…井波七星 彼女のところにたどり着けたのも偶然じゃなかった」
(井波の顔だけが欠けた集合写真)
富「フフフ…じゃあ…それがどんなものか分からずじまいだったが きっと俺のイドはオススメだ 君の中で俺の穴は埋まる これで叶えられた望みは3つだ 3は…いい数字…」(富久田保津の死、穴があるビジュアルの描写に戻る)

はい。さっぱりわかりませんね。
とりあえず3つめが「本堂町には富久田保津の穴は見えなくてすべて整って見えること=君の中で俺の穴が埋まること」であることはわかりました。

さて、「望みがかなった」と表現するということは、以前からそれを望んでいたということです。本堂町の秘密を打ち明けられる以前から、「そうなったら/そうだったらいいな」と思っていたということです。つまり彼は、本堂町がそういう性質であることを事前に推測していたことになります。
この本堂町の秘密(欠損を補完する能力)は視聴者に対してもここで初めて明かされました。この物語を我々と同様の時系列で通ってきたはずの富久田保津は、我々と同様、ここで初めてそれを知るべきなのです。しかし彼は、少なくともそれを推測していた。それを推測可能な布石は、視聴者に対しては井波の件で示されていましたが、あれは富久田保津には知りえないし、いかにIQ150を誇る彼ですら推測も不可能な場面だったと思います。

飛躍します。

つまり、この富久田保津は、我々と同様の時系列を通ってきたα世界の富久田保津ではなく、β世界の富久田保津である可能性が高い。

説明を試みていきましょう…。

の前に追記です。

(8.5)富久田保津の自殺願望について(追記 2020/06/23 04:40)

---追記 2020/06/23 04:40---
「富久田保津の望み3つ」には「自分が死ぬこと」や「人が自分で穴を空けるのを見ること」が含まれているのでは?というご意見がかなり多く見受けられ、「確かに」と思ったので、なぜわたしがそう思わなかったのかを探す旅に出ていました。以下は、そのような反応をしてくださった方々への反論ではなく、「なぜわたしはそう思わなかったのか?」という自分探しの旅のお土産です。

まず「自分が死ぬこと」をわたしが望みに含めなかった理由は、考えてみるとかなりナチュラルでした。α世界でもβ世界でも、数唱障害の苦痛から逃れるべく自分で穴を空けた富久田保津。また、イドで穴を失って数唱障害を再発し死にたいアナイド。これらの現象について、わたしは明確に「これは自殺願望ではない」とみなしていました。たとえば、お腹すいたからご飯食べたい、そういうもの、つまり「願望」ではなくて「欲求」であるとみなしていたようです。(同様に飛鳥井についてもあれは「欲求」あるいは「希死念慮」であるとみなしていました。逆に「自殺願望」と呼べるのは本堂町ただ一人なのではないかと解釈しています)

言葉遊びになりますが、「望みが叶う」とされる対象は「願望」であって「欲求」ではない、と考えます。この二者は実際にはグラデーションなのかもしれません。ただ、今際の際で「望みが3つかなった」と数え上げる対象に「欲求(寄りのもの)」を入れてしまうのは、ちょっと「物語として」もったいないというか、整合性があまり強くないと感じます。

別の観点としては、富久田保津のイド内での死亡シーンはあくまで富久田保津であり、アナイドではなかった。彼の頭には穴が空いていて、少なくとも数唱障害の苦痛による自殺欲求はなかったはずです。頭に穴が空いた状態の富久田保津について、自殺への欲求があるとするなら、独房で自殺を企図することもできたはず。それをしていないということは、わたしとしてはやはり「自殺欲求」はない(自殺願望はあるのかもしれない)と解釈することになります。
また、「愛する人を庇って死ぬ」を「自殺願望(欲求ではなく)の結実(の一環)」とみなすこともわたしには難しいようです。別々であって欲しいというわたしの好みの問題です。しかし富久田保津に自殺願望がある場合、「チャンス到来」が自殺チャンスという意味であれば確かに普通に通る上、宮澤賢治の文脈では「愛による献身と死」はとても崇高なものなので、富久田保津が宮澤キリスト寄りの思想を持っていた場合はかなりこの「チャンス」にも意味が通るようにも思われます。
(ここで唐突に宮澤賢治を引き合いに出したのは、ID考察をしながら「廻るピングドラム 」をうすく想起していたためです。)

ふたつめの「人が自分で穴を空けるのを見ること」についても、同様にどちらかというと願望というよりは欲求としてわたしは解釈していたようです。また、富久田保津は「すでに空いた穴」を見たいのではなく「自分で穴を空ける場面」や「自分で穴を空けた人」を見たいという欲求である、と解釈していました。さらに、その欲求についてもα世界で「(今まで他人に穴を空けてきた)自分は間違っていた」と自供するように、本人にはもともと欲求の内容についての明確な自覚はなかった。自覚がないものを対象に「望みが叶う」と形容するのは、上記同様に違和感があり、わたしが納得するのは難しいようです。
いちばん重要なのは、「ここで2つ望みがかなった」と指される「ここ」においては別に本堂町は「たった今ここで穴を空けたわけではない(すでに空いている)」という点です。「今や」とかなら通るけれども、「ここで」ならば、やはり通らない。禅問答にも似たこの場面ではとくに、その水準でセリフ回しの調整をしているのではないか、と思います。

---追記終わり---

9.β世界の富久田保津の物語(妄想)

立ち戻って2話「JIGSAWED II」α世界で本堂町が自らドリルで頭に穴を開けた際、富久田保津は「ありがとう 俺は間違ってたんだ(中略)俺は人の頭に穴を空けたかったんじゃなくて 人が頭に穴を空けるのを見たかったんだ」と言っています。直後確保されながら「生き延びたら俺のところに会いに来てくれ」と懇願しています。テキトーな言葉になりますが、これは「α世界の富久田保津が、自分で穴を空けた本堂町に恋に落ちる」というイベントです。
またこの辺りの取り調べの場面で「(穴の空いた生存者について)穴は涼しいか」「涼しくないとマズい」と供述しています。この文脈においては、富久田保津は自分の穴について「涼しくて、マズくない」と認識していることがわかります。

遥か飛んで11話「STORMED」、β世界に「α世界の本堂町」が現れた時点が、2話「JIGSAWED II」に該当する富久田保津逮捕の場面です。
α世界から来た本堂町にとってはこの場面は2回めですし、β世界は崩壊に向かっていて時間にも限りがあるので、とてもたくさんの割愛をしながらやりとりをします。富久田保津の思考を(すでにほぼ)理解していて、(β世界ではその穴はないものの)α世界では自分で頭に穴を空けた経験のある本堂町。β世界の富久田保津もまた恋に落ちるというイベントが起こります。「あんた警察?また会えるかな」。そしてα世界の本堂町は排出され…物理法則に反してピュンっとその場から居なくなってしまいました。
またこのやりとりの中で、富久田保津もジョン・ウォーカーと接点があったことも供述されます。


8話「DESERTIFIED」10話「INSIDE-OUTEDII」11話「STORMED」の中で、それまでは能天気ポンコツ即死名探偵としてしか描かれてこなかった富久田保津について、すごい速さで情報が供給されます。

《8〜11話で明かされた富久田保津の情報》
8話「DESERTIFIED」
・意図的に井戸端へ情報を送らないことができる

10話「INSIDE-OUTED II」
・何の道具もなく「10分」を測れる
・暇つぶしに砂漠の砂の数を試算できる
・井戸端に対し情報遮断している間にカエルちゃんのヒントを隠蔽できるだけの意識が働いている
富久田保津としての記憶を保持したままイドに入れる(脳が少し削れているから と本人が推察)

11話「STORMED」
・「鳴瓢のドグマ落ちを起こし、鳴瓢に殺される という場面」を夢でみていて、「それに乗った」(ジョン・ウォーカーの仕込み)
・数唱障害の苦痛から死にたがっている(それで頭に穴を開けたが、名探偵になると穴がなくなるので、死にたがっている)


さて、順番に行きます。「β世界の富久田保津は、α世界の本堂町に恋をした」、α世界で起こったイベントがβ世界でも起こった。そして逮捕されました。ここまでがファクト。これ以降が全部推測です。

逮捕された富久田保津は、捜査官としての本堂町にそのうち1回くらいは会うことになるでしょう。そして気づくのです。「この本堂町」は俺が恋に落ちた「あの本堂町」ではない、と。富久田保津の頭脳では、その絶望に苛まれたのは短い期間だったでしょうが、とにかく絶望は絶望です。大失恋もいいところ。恋した相手が明らかにこの世界(β世界)には存在していないのですから。
α本堂町との別れもピュンっという(その時点の・その世界の富久田保津にとって)明らかに異常なものでしたし、「この本堂町があの本堂町じゃない」ということと「あの本堂町がべつの《どこか》にいる」ということは富久田保津の頭脳ならば容易に推測ができたでしょう。そして「あの本堂町」が何故だか問いただしてきたジョン・ウォーカーという人物が「《どこか》にいる本堂町」についての手がかりになると考えるのは自然なことです。

あの時点で富久田保津はジョン・ウォーカーに三度にわたり夢の中での勧誘を受けていますから、四度めがあったかもしれない。または「鳴瓢をドグマ落ちさせ・自分を殺させる夢を見た」と言っていますから、三度めの後に少なくとも一度はジョン・ウォーカーと夢での接点を持ったのは確実です。 または「あの本堂町」が「早瀬浦局長…いえジョン・ウォーカーさん」と電話口で話しかけるのもβ世界で耳にしていますからストレートに早瀬浦を脅す形で、もしくはその頭脳を以て開発サイドに入り込むなどして、とにかくβ世界でミズハノメ・プロトタイプのいずれかに関わり、《どこか》へ、「あの(α世界の)本堂町」に会うためだけにアクセスしようと試みる。

《修正》2020/06/25 23:45
「早瀬浦局長…いえジョンウォーカーさん」、言ってませんね!!!撤回します。「お偉い警察官様…あ、ジョン・ウォーカーさん?」でした。

富久田保津はα世界でもβ世界でも、頭に穴が空いています。つまり、α世界の富久田保津が記憶を保持したままイドに入れるのと同様に、β世界の富久田保津もまた記憶を保持したままイドに入ることになるでしょう。そのようすは、視聴者の・井戸端スタッフの視点からは、判別は不可能です。そもそも記憶がないフリをし、ポンコツ即死名探偵を演じて「騙していた」という実績がある。
わたしたちが「α世界の富久田保津がイドに入って名探偵アナイドをやっている」と観測していた全ての場面で「名探偵アナイドがβ世界の富久田保津だった」という可能性は、ゼロではありえません。(蛇足ですが、この推論で行くと、αとβでそれぞれ1回ずつアナイドになって以降、富久田保津の意識はその両方を同期したものになると思われます。)

ここまでならべてきた推測の蠱毒を一旦「正しいこと」と仮定した場合、先のさっぱりわからなかった場面と「3つの望み」についてもたくさんのヒントを得たことになります。

《前述の引用》
 3つめが「本堂町には富久田保津の穴は見えなくてすべて整って見えること=君の中で俺の穴が埋まること」であることだけはわかりました。さて、「望みがかなった」と表現するということは、以前からそれを望んでいたということです。本堂町の秘密を打ち明けられる以前から、「そうなったら/そうだったらいいな」と思っていたということです。つまり彼は、本堂町がそういう性質であることを事前に推測していたことになります。

ここまで見てきたアナイド=β世界の富久田保津説、そして「涼しくないとマズい」発言。ここに加えて「α本堂町の秘密:穴が空いてから、欠損を認識できず、補完し、すべて整って見えるようになった」「富久田保津は、穴を空けることで、過剰な情報を削って認識することができるようになった」を総合して300回くらいスキップをし、唐突に神話の構造…「トンネルを潜ると異世界に到達する」を取り入れると、こうなります。

「αβ富久田保津の穴とα本堂町の穴はその突き当たりで繋がっていて(なので非貫通でも「涼しい」)、情報を補う/削るという機能を交換した。」
「…とβ世界の富久田保津は恋を患いながら推測し、そうだったらいいなと望んでいた。それを確認するためにも、β世界からイドへの投入を目指していた。」

2020/06/25 20:20追記
富久田の穴は普通に貫通してましたね。「こっち」から風が抜けると世界が綺麗になると言うてました。まあ貫通しているからと言って他の穴と繋がっていないということにはならない(強気)ですが、明らかに抜けでしたので、追記しておきます。

それが達成されたのがあの場面だったとしたらどうでしょう。

β世界の富久田保津の3つの望み。順序が逆になりますが、まず3つめを換言しなおすと「本堂町に富久田保津の穴は見えなくてすべて整って見えること=君(α世界本堂町)の中で俺(β世界富久田保津)の穴が埋まること」。これはα世界本堂町とβ世界富久田保津が、相互に異土で穴を通じて繋がっていた…という運命の帰結であり、また、運命の証明です。人間は誰しも運命を証明したいという欲求を持っている。(欲求って言っちゃったよ)

さて、例の富久田保津が本堂町を庇って撃たれるシーン。

《富久田保津のセリフ》
「穴は…1つ」
(中略)
「今"チャンス到来"って叫ぼうとしたのに」

ここがいちばん不可解でした。単純に「好きな人を(命がけで)助けられてラッキー」ってこと?そんなわけなくないですか?いえ、わたしという問屋がそれを卸すと思います?無理です。
しかし「β世界富久田保津がα世界本堂町にそれはもうたいへんな恋をしてきた」という仮定に基づけば、あのシーンにおいて富久田保津の「チャンス」が指すのは、本当は「イド内でα世界本堂町が死ぬこと」だったのではないでしょうか
この時点では、β世界富久田保津は「自分の穴がα世界本堂町の穴とつながっているという運命」を推定はしていたものの、それを証明するやりとりはまだなされていません。
なので、「穴が繋がってるかどうかはわからないが、イド内でα世界本堂町が死んだ場合、その本堂町をβ世界へ排出することが可能」みたいなロジックで、α本堂町が死ぬことを期待していたのではないか。そのくらいでないとあの場面で「チャンス到来」とは言わないと思います。

そしてその「β世界へα本堂町を排出させる」という目的をもっていたにもかかわらず、身を挺して、それを自ら阻止したとすれば、その根拠こそが「穴は1つ」です。おそらく、本堂町が刺殺とか撲殺とか爆殺されるのであれば彼は看過できた(そして目的を達成できた)のではないでしょうか。しかし、穴だけはダメだった。富久田保津とα本堂町を結んでいるのは「自分で空けた一つの穴」だからです。せっかくチャンスが到来したけれど、その一点だけは富久田保津は譲れなかった。この「穴がお互いに1つであること」もまた、彼の望みのひとつ、これが2つめだった。

さて、「チャンス到来」より前に彼の望みは1つ叶っているそうですが、この推論においてそれは間違いなく「α世界の本堂町に会う」でしょう。これは視聴者の視点からはすごく短いスパンで叶った願いということになります。β世界で富久田保津がα本堂町に恋をした瞬間に、α本堂町はイドの中のコックピットで排出され、本堂町救出作戦を行なった名探偵アナイド(とサカイド)が待ち受けている。この瞬間が、実はβ富久田保津の(描かれなかったβ世界での試行錯誤を経て)悲願が叶ったシーンだったのではないでしょうか。

β世界の富久田保津の望みは叶った順に、またそのまま難易度順に、

富久田保津の「かなえられた望み 3つ」》
①α世界の本堂町に会う
②お互いに穴が一つずつある
③互いの穴が異土として通じ合っている

だったのではないか。

10.望みが叶った富久田保津は帰って来なかった。

描かれなかったβ世界の富久田保津の物語の果てで、3つの望みが叶った。そして、彼はα世界に帰って来なかった。
これこそがこの物語の「本当のオチ・クライマックス」であり(解1)
つまり「本当の主人公は富久田保津」である(解2)。

そして問3です。本当の「現実」はどこか。

これについては、ここまでこんなに論を弄してきましたがその末に、息切れではなく確信を持って、「本当の現実は、ない」と解答したい。

α世界もβ世界も、富久田保津にとっては「(虚構に優先される)より現実らしい現実」ではありません。強いて言えば、α世界とβ世界を繋ぐ「下」であるイドこそが唯一あの物語において揺るぎない、そして富久田保津が永住を選んだ世界であり、もっとも揺るぎない代わりに現実でも虚構でもない世界。

仮想されるその世界、そこで我々には何ができるのか。何ができないのか。何がしたくて何がしたくないのか。富久田保津を遠目に眺めながらそんなことを考えるというのはどうでしょうか。 というフワっとしたご提案を以て、13000字にわたる愚論「富久田保津/名探偵アナイドは可能性の過去からきた説」を締め括りたいと思います。ご清聴ありがとうございました。異論をください。

《全体に対する修正》
2020/06/23 4:15 「願い」→「望み」に修正しました。
2020/06/24 00:50 引用のかんたんのために見出しに番号を振りました。

2020/06/25 別の考察を一本書きました。18000字かけて飛鳥井を救済しようとしています。ご査収のほどよろしくお願いいたします。


本を借りるのが苦手です。本を買います。