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のさりの島 『長い旅の終点(ネタバレあり)』

『何が本当かわからなくなった』
海を見ながら若い男は言う。
ずっと長い間"本当の自分"など何も意味をなさなくて
誰からも求められず
もちろん誰からも感謝されたこともなく
自分さえ自分を気遣ってやれず
ただ生きていくだけだった男。
何かの理由で詐欺グループから抜けてひとりで旅をしている。
オレオレ詐欺を各地で働きながら。
男が無意識に持っていた"人とかかわりたい欲求"
この犯罪を選んだ理由なのかもしれない。
自我を見ないようにしてまるで生きていないかのようにふらふらと降り立った天草は(主演の藤原季節さんいわく)移動するオレオレ詐欺前線の『終点』ともいえる土地だった。
男が鏡を見て自分の顔を確認するシーンが冒頭とばあちゃんの家でお風呂に入ったシーンの2回ありますが
自分の顔を無表情に見るが何も見えていないようで冷たい。
うっかり(笑)あたたかいお風呂とご馳走につられてしまい
言われるがまま洗濯ものを干したことを報告したあと
今まで『ありがとう』と言ってもらえることもなかったから
ありがとうと言われた後一瞬ポカンとしてしまう。
『ショウちゃん』
たとえ自分の本当の名前じゃなかったとしても
目を見て自分を呼びかけてくれる人におそらく久しぶりに出会い
『ばぁちゃん』と何度も何度も言い
おいしいごはんを食べる。
そこに人の生活があって無縁だと思っていた人として普通に生きている世界があって
何度もめくるばあちゃんのアルバムには
ショウタと思われる現実に存在していた幼い子供がそこにいる。
今まで現実だと思っていた乾いた自分の世界と
ばあちゃんや清らが生きている世界の境界線も
嘘と真実の境目も
溶け出してしまいなにもかも曖昧だ。
それでも交わす視線も言葉もかよいあう心もたしかにそこにあった。
物語の最後、全ての人は一見なにもなかったかのようにいつもの生活に戻っていく。
ただひとり大きく一歩を踏み出したブルースハープの女性の生き生きした表情で映画が幕を閉じる。(この終わり方が最高なんです)
もうどこにも行くところがない、旅の終点であったはずの男が
これからどうなるのか映画では描かれていない。
("崎津でそのまま漁師になった"という考察のかたがいて面白かった笑)
きっとまた旅を続けたのだろうと思ったりもする。
いずれにしても男のなかに何かが灯ったと信じたいし
信じてあげようとおもう。
私はわりと細部までちゃんと設定を自分なりに決めないと気が済まないたちなんですけど(笑)
この映画に関してはまさに曖昧にしておくのがいいような気がして。
演じた藤原季節くんも山本起也監督も
きっと彼は大丈夫だと
信じて撮ってくださったと思う。
寂しさのなかに暖かさが、たしかに見えるから。
物語のなかにそのままそっととどめておこう。


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