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Everything is possible in Mexico!

久々の投稿☆調べてみると最後の投稿から、ニか月半が過ぎた模様♬

いろいろなことをしていて、Noteの存在すら忘れかけていたが、それはそれで良いかと。PCの前に座って文字を入力する、その時間がとれなかったーというよりかは、その時間よりも大事な時間があったということかもしれない。あるいは、夢を見て、脳内の情報を整理するのと同じように、マインドが忙しくならないよう、無意識にあえて文字を連ねるという行為を、本能的に避けていたのかもしれない。

またNoteでの投稿は、満月の日を狙った投稿にしたいなと思っていたが、失敗した。再度ミスをしないようにと思っていたが、二度、満月の日の投稿を逃した。そんなわけで、そんな執着は捨て、三度目の満月は待たず、今回も適当に文字を連ねてみようと思う。

自分が、人類が、この宇宙に存在しなくとも、地球はまわり続け、月は満ち欠けを繰り返すのだという思いに耽りながら、文字を残すことで、自分の存在が記録されることを実感する。

だけれど、日々変化する自分というものが記録されることは、自分が幻影であることを記録しているのだとも言え、タイピングしたものを消去しなければ、その幻影はまるで宙に刻まれ続ける入れ墨の様に、データという電気信号と共にスクリーン上に刻まれる。ともあれ、Web上に自分の一時的な思いを記録するという行為に一時集中してみる。

そんなこんなでTulum生活も一年と八カ月になるが、メキシコでも温暖な気候のTulumでは、自由奔放に生きる人々と予定を合わせる、というのにはかなり無理があって、ここでは常にいつ何が起きても身軽に移動できるライフスタイルをつくっていなければ、良いチャンスに出くわすことはできない。

とは言っても、予定を立てなくても、大抵は良いチャンスに偶然居合わせることが多く、それは必然ともカルマとも言えるのかもしれないが、毎日のように数人の知り合いに声をかけられ、ヒッチハイクをすれば、大抵乗り合いタクシーを捕まえる前に知り合いや友人が自分を見つけてくれたりする日々。

さて、いろいろなことが起こる中で、最近の自分の主な出来事は何だっただろう。

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そういえば一か月ほど前、一年半ぶりにユカタン半島を後にし、カンクンから飛び立って、ケッツァルコアトルの誕生の地、メキシコシティの南に位置するテポチトランへ行ってきたので、その話を少し書いてみようと思う。

(自分は信じない)UFOをかなりの確率で目撃できると言うテポチトラン。今回は三度目の一週間ほどの滞在だったが、特に今回は異国でのファミリーの綱がりをより感じた瞬間だった。

というのも、やはりレインボーファミリーのコミュニティの繋がりは根強く、初めて会った人たちも皆すぐに自分をシスターとして受け入れてくれた。

写真は一度目の時のものだが、数年前に見たテポチトランの壮大な景色をまた違ういろいろな角度から見てみたが、相変わらず美しかった。

テポチトランには何か不思議な特別なエネルギーが流れており、ケッツァルの誕生の場所と言われても何ら違和感を感じず、多くの旅人たちを沈没させる。

テポチトランに行く前の数日、コンクリートで覆われた、かなり空気の汚れたメキシコシティにも滞在したが、そんな環境の中でも早朝のウォーキングは欠かさず、毎日大きな樹木が立ち並ぶ公園にジョギングに行っていた。

ほぼ海抜0メートルのユカタン半島を久しぶりに脱出したので、テポチトランでは毎日隆起のある大地をたくさん歩き回り、アステカ時代に作られたピラミッドへ向かうルートをハイキングしたり、またファミリーに誘われ、生粋のサンダンサーのリードの元、毎週末に行われているテマスカルに参加もしたりした。

ピラミッドのある場所はココ ↓ 

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ピラミッドに入るエントランスは(偽)パンデミックにより、閉じられていたが、エントランス付近にいたローカルと植物の樹液を発酵させて作る、メキシコの伝統的な醸造酒『プルケ』をシェアしたら、ピラミッドをさらに上から眺められる絶好の場所へと続くルートを案内してもらえた。やはり、それが、偽りだという感覚でいれば、道は開けると言うことだろうか?

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そして、今回もメキシコで初めてつくられたエコヴィレッジ、ウエウエコヨトルの共同創設者の一人、70歳を超える北アメリカ出身で40年ほど前にこの地にキャラバンでやってきたトーニャに再会した。

前回は女性性について語り、たくさんのアドバイスをいただいたが、今回は、ネイティブアメリカンの話から、北アメリカで名のある先住民のリーダー、デニスバンクスの話になり、AIM(American Indian Movement) のアクティビストとして活動を共にしていたトーニャや同志たちは、ネットのない70年代、どのようにしてアクティビストたちに合流していたか?についてなどを話され、人類の問題に対する思いの強さを改めて感じた。

ピースウォークは正に最強の平和活動だと思うが、より多くの人が毎朝、歩くことを通じて瞑想ができたなら、それこそ世界で争いは起こらなくなるのかもしれない。

さて、話はTulumの地に戻って、今住んでいる場所はこんな所♬

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この場所を選んだ理由。
それは、小鳥のさえずりと共に目覚められる環境で、さらにJANZU(ヤンス)と呼ばれるウォーターマッサージができるプールが付いていて、ジャングルに毎朝ウォーキングに行けるから☆

そんな条件で選んだというよりかは、オーナー夫妻が素晴らしい人柄の持ち主で、またオーナーが結構な綺麗好きで愛嬌があり、彼を即気に入ったからだったりする。

パートナーの従妹ファミリーとその従妹が連れてきたウイチョルファミリーが三つのカバニャを、あとは、複数の家を持っているようで、ほぼここには滞在していないが、一つここにもカバニャを借りている素敵な友人と五つのカバニャとプールのある敷地を小さなコミュニティ感覚でシェアしている。

前回のジャングルの中の広い土地も素敵だったが、ここはメインの道に近く、乗り合いタクシーをすぐ捕まえることもでき、ここはここで素晴らしい。

ここはTulumのタウンから20㎞のところに位置しているが、ゆくゆく長期で住めそうな土地を、時間をかけて見つけようと思っている。というのも、大抵の場合、住む土地を見つける際には、その土地に呼ばれるまで待つ、という感覚が適当だと思っているからだ。

今住んでいるこの場所とTulumタウンの真ん中辺り、10㎞辺りの地点に、ここをシェアするその友人が土地を持っているそうで、シェアできるーという話が最近でたりもしているが、土地はシェアするという感覚は、理にかなっていると思う。

一か月ほど滞在しているウイチョルファミリーは、ペヨーテのセレモニーを行うためにここに来ている。プランツセレモニーも同じく、自分はそのプランツに呼ばれるまでは距離を置いているが、最近は久しくプランツには呼ばれていない。

ともあれ、流石はマヤの土地、ここでは日々、いろいろなセレモニーがどこかで行われていて、多くのイベントがセレモニーとして扱われている。

相変わらず、アヤワスカを500回以上とったーなんて人や、それを毎週とっている人にもかなりの確率で会うが、もしメディスンが病にかかった人のものであるならば、ここTulumには、メディスンを何度も必要とする、病に侵された人があふれかえっているということになる。

メディスンが必要ない人には、本物のシャーマンであれば、『あなたにメディスンはいらないよ!』といってくれるに違いない。

自分はメディスンなしのヴィジョンを自然の中でよく見るが、いろんな要素が調和を保っているーその様子は、この写真が見せるタルチョとヤシの木のマッチングのようなヴィジョンだろうか。

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さて、自問自答を一つ。

人間は、人間同士の愛がなくても生きていけるか?

そこの問いに関していえば、一人で41年ジャングルで生き延びた人を見てわかるように、人間以外の全ての生命の愛を愛として感じ得ることさができれば、一人の人間であっても『生きていける』ことが伺える。

地球上にたった一人残されたとしても、自然、ジャングルのような生命が多くは育まれているところにたどり着きさえすれば『必ず生きていける』。もちろん、生きるモチベーションが相当に必要だが、寂しさで死ぬことはない、ということは証明されている。

災害や紛争で突然全ての家族を失っても、自由を勝ち取る勇気、ポジティブ精神と知恵さえあれば、鬱という病にかかることなどないーはずだ。

それから今、一番よく思いに耽る話題と言えば、自分の子供をたくさん持ちたいと思う人の価値観と、世界中の子供たちを自分の子供だと思うことができ、アセンション的な意識を持っている人の価値観、この世界に人間の体としての生命をたくさん残す必要がないと考える人のメンタリティーの違いについてだろうか?

現在、人類が多いか少ないかについて、そのことについて様々な価値観の人がいるが、そのようなメンタルの違いが生まれるのは、この地球上の生命のバランスを保つためだろうか?もし、コロナで弱い者が命を落とし、コロナのワクチンが不妊を促すものだとしたらー?

教育が行き届いた、またはコントロールされやすい人間たちをセレクトしたところで、この人間界に平和が訪れるとは思わない。弱い者を思える心こそ、人類が手にした奇跡で、その感情が抹消されてしまうのであれば、人類は絶滅するのだろう。

繊細な感情がどれだけ人類にとって重要かということを認識した上で、自分たちが物質的なものでないーというような討論について。

人間の体には、その体の一部とも言える100兆個の微生物が住んでいるようだが、そんなミクロ感覚の視点で言えば、微生物、細菌たちにとって自分たちの人体は、果てしない宇宙でしかない。そう考えると、人間にとっての人体、物質的な宇宙が存在することの意義が見えてくる。

自分たちは哲学的に物事を考えることができるが、シンプルに哲学とは、誰かのマインドと誰かのマインドの比較でしかない。

そこで、精神世界で語られる『物資的な体ではない』という価値観もわからなくもないが、精神世界感を持たないであろう細菌にとっての宇宙=人体そのものがないという状態を、そのような価値観に当てはめると、やはり宇宙そのものがなければ、人間というものも存在しない、物質世界から離れたスピリチュアルな世界は存在しないーという感覚に至る。というわけで、精神性はもちろんのこと、物資的なこの人体こそ洗練されるべきものであり、自分は物質というものとスピリチュアルな存在を分けて考えることはまずない。

大抵の場合、新しい生命は意図せずに生まれてくる。それは、DNAにインプットされた本能だと思うが、100兆の細菌が人体の中で共生している世界を思うと、やはりミクロやマクロの世界、古代や未知の世界については、仮説でしか語れない世界観なのだと思う。古代からのCodeと言えばやはり、DNAに刻まれた情報なのだと思う。

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ところでー

最近自分が収入源にしている創作物、オホ デ ディオスというアートが順調に売れている。当然のことながら、作れば作るほどスキルは上達していき、これまで30個ほど作ってみたが、この作業は正にメディテーション効果があるように感じる。この仕事?は好きな時に好きなだけできるので、自分の生活リズムにとても合っている。

オホ デ ディオスを飾りたい方、いたら声をかけてください♬

ここで自分のナイスショットな一枚☆

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運動神経が正に動物並の、コミュニティで一緒に生活を共にしていたブラザーに誘われ、最近はブラジリアンカポエラの集まりにも顔を出したりもしている。

また、オンラインでは少林寺と忍術のクラスを始め、さらに充実感を増している日々。やはり、自分はどこまでも身体能力の恩恵を信じている。

ここTulumで自分が関わる人の中で、金銭的に裕福な人とそうでない人とのギャップの差は大きいが、所詮同じ種族、人間、着飾り方や食べている物が違えど、笑顔は平等に見せ合うことはできる。

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先日は高級住宅街にあるホテルでの撮影に参加。ワイルド感を重視する自分の感覚では、どんなにオシャレに飾っている人にも、そこまで心を動かされないが、やはり違ったTRIBEの人と関わるのは面白く、学ぶことも多い。

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数か月前に始めたマッサージサービスの方はどうかというと、当然のことながら、真剣に行えば行うほど、スキルが上達しているのを感じる。セラピー関連では経験豊富なパートナーにも、最近は自分のエネルギーの伝え方が相当になったと、自分のテクニックを認めてもらえるようになった。

パドマッサージを受けたい方もぜひ連絡下さい☆

国立公園側のビーチから高級ホテルゾーンへとマッサージ場所が移り、チャージする金額も二倍の一時間120ドルの世界になったりもするが、だからと言って、自分のマッサージの熱量が変わることはない。

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相変わらず、ジャングルを歩き、ヨガや太極拳をし、セノーテや海に飛び込む日々に変わりはないが、そろそろ日本に帰りたくなってきたころだ。というのも、書を三時間ほど久しぶりに書いていたら止まらず、墨汁がどんどんなくなっていくのを心苦しく感じてしまったからだ。

次回ここに戻るときは、10本以上の墨汁と上質の半紙を持ってきたいと思っている。が、ニュースを見てみると、日本は非常事態宣言が延長しているとのこと。会いたい人たちはたくさんいる。

いつが必然的に日本に帰る日になるのだろうか?

自分の書を買いたいというクライアントも現れ、好きなことがいつの間にか金銭としてのエネルギーとしてまわってくることを実感している今。

これまでさんざん世界中を動きまわっていたが、一つの場所に落ち着いたとたん(偽)パンデミックがやってきた。その時、助け合いのあるコミュニティでたまたま生活をしていたために、自分の生活にコロナの影響はほとんどなく、さらにここTulumは、この時期、世界でも稀にみるオープンで自由な土地のようで、ここで生活することができて本当に幸運だと思う毎日。

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Everything is possible in Mexico! とローカルイケメンが口にしたのを耳にしたが、ここでは毎日本当にそのように感じる出来事が起こる。

数か月後、半年以内には日本に帰れるようになることを願って。。

今日は寝ます。

ブエナス ノチェス☆彡


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