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祖父と煙草

祖父はechoという名前のタバコを好んで吸っていた。
オレンジ色を基調としたパッケージは2019年9月からデザインが変わって、以前より茶色っぽいデザインになったが、そのことについて祖父からは特にコメントはなかった。
パッケージが変わるちょっと前に祖父はタバコを止めたからだ。

祖父に強い禁煙の意思があったとかそういう理由ではない。
長期の入院でタバコが吸えなくなってやむなくという、なんとも世知辛い理由である。雪おろしの時に腰をやってしまい、入院の必要があったのだ。

一度、入院中の祖父の所に見舞いに行ったことがあったが、タバコを取り上げられたせいか生気の抜けた顔をしていて、腰よりタバコ不足の方が深刻そうだと苦笑いした記憶がある。

娯楽の少ない田舎で、祖父の数少ない楽しみは、新聞を読むこと、テレビを観る事、タバコを吸う事、コーヒーを飲むこと、お刺身をアテに熱燗を飲むことだった。
基本的に出無精で、犬の散歩や、タバコを買う時、子供や孫に文句を言われた時に渋々外に出て行くのが常だった。電車は禁煙だからと遠出もしなかったし、祖母が我が家に遊びに来るときも基本的に電車を利用するので祖父は一緒に行くこともなかった。
振り返ってみると、タバコは祖父の能動的に動く原動力であった反面、行動範囲を狭めていた側面もあったなと思う。

退院後は腰が痛むせいもあったのか、歩くのも居間とトイレ、お風呂場にベッドといった限られた動線で済ませてしまって、足が徐々に萎えていった。見て分かる位足が痩せてしまって、どうにかならないものかとエクササイズよろしく祖父の足を動かしてみるものの、焼石に水状態だし、外に出歩く動機(タバコ)もなくなってしまったしで、最終的に施設に入る直前にはほぼ寝たきりの状態になっていた。

加えて施設に入る直前には老眼が進んで新聞も読めなくなり、施設に入ったことで(当然の事だけど)お酒もコーヒーも飲めなくなってしまった。

元々「長生きしすぎた」と何年も前から言っていたけれど、施設に会いに行った時にこう言われた。

「生きる楽しみがなんもねぐなった(なくなった)」

なんというか、ちょっとこう、上手く言えないけれど、しんどいなあと思った。

タバコも新聞もお酒もコーヒーも、身体の衰えやお世話になる先の規則から出来なくなるのは仕様がない所なのだけれど、ああいうセリフを聞いてしまうと、出来るならば最後まで楽しませてあげたかった、とも思う。
(もっと言えば、タバコをせず、積極的に旅行に行ったり外出したりして足腰を使うような生活をしていれば、施設にお世話になるのはもっと後になっていたのではないかとも思うが)

他人に迷惑をかけることなく、生きる楽しみを諦めず、そのための投資も惜しむことなく、好きなことを諦めず生きていけたらいいのに。

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