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お金について考える

「一人稼ぎのお給料でやっていけるんだか? ○○さんは給料の中で生活できる人なんだなあ」

最近母が母の友人から言われた言葉だ。

我が家は母が専業主婦をしているのだが、父の一人の稼ぎで私やきょうだい全員が大学に進学できていたというのが母の友人から見たら非常に不思議なことのように映ったらしい。

父の給料がいいかというと、恐らく中の中くらいで、悪くはないが飛びぬけて良い方ではなかったように思う。

ただ、両親の教育方針として、出来るならば大学まで出て欲しいという希望があったこと。家計を母がきちんとやりくりして、父の給料の範囲内で支出を抑えることが出来ていたこと。私やきょうだいがお金のかからない県内あるいは公立を進学の選択肢として選んだことなど。家族全員で協力や妥協をしあってどうにかこうにか全員大学に進むことが出来た感じだ。

では実際どの風にやりくりしていたかというと、ざっくりと分けて次の3点を実践していたように思う。

〇貯蓄する分は先に分けておく(学資保険)
〇支出を抑える(無駄遣いをしない、お小遣い制を導入する等)
〇進学先を費用のかからない県内や公立にする

ものすごくシンプルな話であるが、収入>支出を守っていれば多少の不満はあれど、生活はしていけるし、少額でも貯金していけば数年後にはそこそこまとまった額になるのだ。

しかし、いいことばかりではない。経済的に辛抱する必要があるし、それなりに我慢を強いられる。我が家は旅行は年に一度あるかないかだったり、小学生の頃のお小遣いは(学年×100)円だったり、外食は三か月に一回あるかないかの頻度だったり、服は着ている服が限界になるまで着続けたり(父を筆頭に無頓着であったともいう)、辛抱が辛くて「○○ちゃんは誕生日にプレゼント貰ってるのに!」と文句を垂れたこともあった。
その当時は同級生が友達とマックでハンバーガーを食べたという話や、家族とディズニーランドに行った話がものすごく羨ましかったし、豊かな暮らしをしていると感じていた。自分たちは貧しいとも感じた。
そういう生活に慣れるにつれて羨ましさや不満は感じなくなっていったが、「今は我慢しなきゃ」と言い聞かせなければいけない時もたまにあったりした。

決められた収入の範囲で生活するということは、結局日々のそういった交友や楽しみをいくらか諦めなければ成立しないわけで。貯蓄はあったものの、貧しいという気持ちは拭いがたいものがあった。

母と母の友人の話を聞いて、そんなことを思い出した。

将来への貯蓄か、日々の豊かさか。どちらが正しいと決めることは出来ないし、ジャッジするつもりもない。
どちらにも良い面悪い面はある。それを良しとするか悪しとするというよりかは、自分自身が「何を選ぶか」ということなのだろうと私は考えている。

私自身、両親の経済観念の影響をかなり受けていて貯金癖がある吝嗇家なのだが、お金をかけないことと、身なりに気を使わない、自分の心を豊かにするための投資をしないということは表裏一体にあるものだ。

最も身なりを無精にしていた時期は、髪は半年超えて伸ばしっぱなし。服も半年は購入しなかったし、毎日基礎化粧品を使うのすら面倒くさくて消費が中断・定期的な購入が途絶えたこともあった。当然肌は荒れる。
今考えると微妙に人間的にヤバい時期であった。呑気に「今月ガソリン代とかスマホ代と親に渡す食費コミコミで3万くらいしかかからなかったのめっちゃスゴイ」とか言ってる場合ではなかった。

仕事に疲れて休日出歩かなかったり、自分のためにお金を使うのすらしんどかったのを、「貯金出来てる自分スゴイ」に置き換えて正当化していたんだろうなと思う。
今はなるべく友達との食事や美容院にこまめに行くようにして、人間らしい生活を心がけている。

お金は何かのために備えておくのは大事でも、その使い先を意識しておかないと意味がないし、そのために我慢しすぎるのも良くない。

何のために使うのか、あるいは貯めるのか。
きちんと考えていきたいものだ。

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