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近親憎悪


自分と似た人を敵対視してしまう。


仲良くなった人と付き合ううちに、性格や癖がわかってくると興醒めしたり、“おそろい”が嫌でたまらなかったり。


そんな器の小さい自分が恥ずかしかった。


私の近親憎悪は“同族の中で秀でていたい”に起因する。

そもそもの話。

Q.なぜ秀でていなくてはいけないのか。

A.嫌われることが怖いから。

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嫌われることへ恐怖を感じる。自分で自分の価値をわかっていない証拠。

つまり、自己肯定感がめちゃくちゃ低い。

自己肯定感が低いと、他人からの評価を自分の生きる価値にしてしまうことが多い。

自己肯定感が低かった私の思考はこうだ。

「言われたことを実行すると褒められる。
しないと怒られる。」

「怒られるのは泣いてしまうくらい怖い。
だから実行しない選択肢はない。」

「言われたこと以上のことを実行するともっと褒められる。期待されていると実感する。」

「もっと期待されたい。認められたい。
だから全てに全力を尽くす。」

他人から認められる優越感。これを得るために、どの場面においても身を粉にして頑張った。

幻滅なんてさせないために。

そして、息を抜くことを知らないまま義務教育を終えた。最後は心身ともに壊れてしまった。

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ここから今の「他人?んなの気にするより自分が幸せであるかの方が大事だろ」という考えに至るまでの道のりは長いようで短かった。

その変化、成長を遂げるまでに何があったかはここでは省かせてもらう。

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それでは、“近親憎悪”を通して自分を振り返ったまとめをしようと思う。

自分自身を
・認めること
・許すこと
・好きになること

この3つがないと人生詰む。

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数年後。下手したら数週間後、数日後。

この考えも変わってるのかも。

人生は常に発展途上だから楽しいんだよね。