何はともあれ髪紹介

前置き

おはこんにちばんは、なんていう挨拶はいささか懐かしさと気恥ずかしさがあるものです。髪個人としては、とりあえずその日一番であれば時間軸にとらわれずに通じる「おはよう」がしっくりきますがはてさて。
冒頭のモノは長ったらしくて実用性に欠ける気がするし、そも、発言している側の時間軸に即した言葉を用いるこそ、良きに計らっているのではと思います。

冒頭自体が長いあまり、実読性なるものが欠けに欠けている気もいたしますれど、髪の一生も同じこと。
やれ実用性だ、やれ効率だ、やれ生産性だ、能率だのなんだのにばかりこだわっていては、枠外から得られる報酬も半減してしまうというもの。いや、でも能率たちを優先した結果から得られる報酬が十二分であるなら、それはそれでよいのかも。

髪の一生とはでかでかと出てしまった気もしますが、何も自叙伝を書くつもりではなく、あくまで髪紹介の一端でしかない、はずなのです。
一端って、別に今回は右端で次回は左端とか、そういうことではなく、ということは一旦の髪紹介と称した方がよろしいでしょう。
それってつまり、タイトルに戻っただけでは?

正常か異常か

紹介するには、上の文章を読んでいただいたのであれば資料として十分ではないかと思うわけです。
ああ、十分だ、と思った人は、この了承すら不要でしょう。何を言っているのだこの髪は、と思った人は、きっと正常な証だと、胸か髪を張ってよいかと。髪の張り方は、どうにか模索してみてください。機会があれば、ご紹介いたしますが。
前者が異常というわけではなく、いや、正常でないなら異常であるわけだけれども、それは置き換えるのであればユニークという言葉がふさわしいのではないかと。

一度タイトルに戻ったので、また別の前置きが現れてしまいました。これは失礼と思いつつ、やはりこれが髪の性分だと再認識するのであります。
そう、ユニークな方もおられると思いますが、髪はひどく回りくどいのです。ちょうど、風に吹かれた髪々が一致団結してひとつにまとまったところを、解散とばかりに丁寧にほどいていくように。
わー、太字が出てきた。なんと不名誉なアピール。

もちろん、髪を表す性質は回りくどさの一点張りではありません。これはほんの一部、人間の頭髪にしてみれば、日本人の成人はおよそ10万本の蓄えを持っていることから計算するに、多く見積もっても5千本とか、その程度でしょう。
ただ、紹介しようと試みるうちに自然に第一に露見したのが回りくどさだった、それだけのことです。

残りの9万5千本について具に語るのは毛量が多いといいますか、不毛といいますか、とにかく不要不急であることは明らかなので、少しずつ髪をさらしていくことといたしましょう。
髪紹介という(ヘア)スタイルについては、今回限りというつもりではありますが、なんとも回りくどい髪でありますから、再来することを完全に否定することは避けておくつもりであります。

髪の性分よりも、髪の出自、これは決して髪が生えてる生き物自身のことを表しているのではなく、つまるところのなぜ髪を伸ばしたのかという一点の方が数多ある髪の一本一本よりは興味があるのではと踏んでいます。髪の毛は踏んではいけません、よく梳かしてあげましょう。
髪の出自に関して、実生活においてもかなりの頻度で尋ねられるわけです。それだけ目立つというか異質というか、はたまた長い間伸ばし続けている髪に、いつのまにか人知を超えたナニカが宿ってしまったがためかもしれません。

事故や病気のために髪を失ってしまった人を支えるため、いわゆるヘアドネーションを遂行するための過程だ、といった美談に始まる話では決してないのです。もちろん、この髪と別離をすることとなれば、他の誰かを励ます力になってほしいと寄付することも視野に入れています。
ただ、残念ながら髪の出自はそこでないことを明言しておきます。断りを入れたところで、それを期待していた人がいるのか、そもそも髪の出自すら期待するに値しないとさえ思うわけですが。

きっかけだとか理由なんていうものは、案外簡単なものというか、素っ気ないものだったりします。それは髪の出自にも言えることで、実際のところ、明確なきっかけなどは見当たらないのです。
苦し紛れに、「校則に縛られていた反動」だとか「パーマを当ててみたかった、なんでもよかった」だとか、理由になりきれないものたちを並べるほかありません。期待するに値しないことを自ら証明してしまいましたが、これが現実です。

なにかが始まるトリガーとなるものは、傍から見ると極小さいものなのかもしれません。髪からすると、大したものじゃあないということは、先のとおりです。
しかし、なにも小さなトリガーだけが始まりを誘発するとは限らないものです。大きなトリガーである場合もあれば、積年の思いが小さなことから始まりにつながったという場合も往々にしてあるわけで、こと髪に関しては、まさしく後者のパターンであるわけであります。

トリガーの一点のみを見て、始まりの起源を理解した気になるというのは、実は危険な態度だと髪は思うわけです。もちろん、トリガーとなったそれも紛れもない事実なわけですが。
やれ個性の時代、多様性の時代という風潮になっていますが、風潮になっているだけでとても表面的で一面的なものだとこの髪を携える者は感じることが多くあるわけであります。被害妄想の毛が人一倍あるだけのことかもしれませんが。

がしかし、この場では、事実か妄想かという論争は不毛なわけであります。それはもう、ここは頭皮、はなんか嫌だな、髪のフィールドなわけですから。誹謗中傷、髪を切るぞなどの殺髪予告等はご遠慮ください。
ですが、ご意見・ご感想等はお受けします。とはいえ、平静を装いつつ、あっさり感情的になる毛がある髪であることを、予めご了承ください。

なにがしか、よい髪が結ばれますことを祈念して、本稿は髪を下ろします。では、またいつか。

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