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映画「櫂」を見て ~女性の尊厳のことを考えた~

藤山直美が好きなので、彼女が出演している映画「櫂(かい)」をレンタルして鑑賞。藤山直美は、一瞬しか出演しておらず(笑)

それはさておき。たまたま見た映画だったけれど、重~い内容で、でも最後まで見るのを止められなかった。(有名な映画なのにすみません)

宮尾登美子さんの自伝的小説ですが、劣等感を感じて書きたくなかった生家のことをいよいよ書く決意をし、50代で「櫂」を執筆し自費出版。それまでにも、賞の候補になるほどの小説を書いていたのに、自費出版ですよ。

生家のことを書こうとするまでに、それだけの時間が必要だったということだし、「書きたい」「多くの人に知ってもらいたい」思いと共に、「晒したくない」「知られたくない」という思いも相当強かったんじゃないかなあと思います。実際、インタビューで「自伝は書きたくない。勇気がいる」と語られています(日本記者クラブ取材ノート:作家・宮尾登美子さん/自伝小説、身を削る覚悟で(小笠原 雄次)2019年6月)。

それなのに、自伝的小説を書き続けた宮尾登美子さんが「多くの人に知ってもらいたい」と思ったのは、何だったんでしょうか。
(※ここからは、不本意ながら「女性」「男性」とひとくくりに書いています。もちろん、ひとくくりにできるものではなく1人1人違う、そうでない「女性」「男性」もいる、というのが大前提です。ですが、ここでは多数派であろう女性、多数派であろう男性、という意味で「女性」「男性」とくくって書かせてもらいます。)

「櫂」は、女衒の旦那に振り回される妻の立場から描かれています。大正から昭和の戦前までを舞台にしており、まだまだ女性の地位が低い時代。妻は主人に付き従うだけでなく、旦那の女遊びをおおらかに受け止めるのが器の大きな良い妻、というのが普通の感覚だったらしい。(う~ん、腹が立つ!)

そんな時代に、旦那の女遊びが許せず(許せないというより悲しかったのかも?)、妾の子を育てることを頑なに拒絶した喜和(当たり前よね)。そして、うちに戻ってきたらこれまでのことを水に流して許してやる、という旦那に対して、きっぱりと断る妻。この時代に、こんな反抗的な態度、なかなかできるもんじゃないです。空気を読むのがうまい女性は、その場の空気、その時代の空気を読んで、従ってしまうんですよね・・・・

喜和が自分の意志を貫き通している場面では、映画を見ながら拍手ですよ(笑)拍手しながらも、何か悲しいな~・・・・という複雑な思い。別に「反抗したいから」しているわけではなく、自分の存在、尊厳を守るために「反抗」という形をとってるだけなんだと思います。「夫のことが嫌いだから」旦那からの要求を拒絶するのなら、気持ちと行動が一致していますが、「夫のことが嫌いなわけではない」のに自分の尊厳を守るために「嫌なものは嫌!」と拒絶するしかないんです。

喜和が自分の意志を貫き通している場面で、拍手しながらも悲しい気持ちになったのは、こんな矛盾した言動をすることでしか自分の尊厳を守れなかった時代の女性の悲しみを感じたからなんだろうな、と思います。

感覚的なものですが、この10年ほどで男性の価値観が、ずいぶん変化したように感じます。共働きが当たり前になった時代背景もあると思いますが、「家事・育児を妻と一緒にして当たり前」「子育てを、親として楽しみたい」という感覚を持った男性が、未婚、既婚問わず増えてきているんじゃないかなあ、と嬉しく思います。

こうした男性が増えると、母親の負担は軽減されます。でもこれは、単に母親がワンオペしなくて済む、というレベルのお話ではないのですよ(もちろんワンオペ状態が解消されると助かるし、大事なことですが)。男性が、女性を「対等な存在」と認め出してる、男性が女性の存在を尊重するようになってきている、男性が女性を「1人の人格」として当たり前に思うようになってきている、ということです。つまり、「櫂」では喜和が自分の尊厳を自分で守るしかなかったのが、今の時代には女性の尊厳を当たり前のように尊重してくれる男性も増えてきている、ということ。

10年前、20年前にも、女性のことを大事にしてくれる男性はいたはずです。でも、潜在意識では「女性が家事・育児をするものだ」というのがどこか当たり前のようになっており、対する女性側もなんとなく「女性が家のことをしないといけないのではないか」と知らぬ間に思わされている、という構造からなかなか抜け出せなかった。

子どもを産めるのは女性だけで、生まれたばかりの赤ちゃんのお世話をするのは、母乳の出る女性がどうしても担いがちなもの。という自然の成り行きもあります。それに、赤ちゃんって可愛いので、お世話するのは幸せでもあります(こころに余裕があれば)。それで、知らぬ間に子育てが女性の肩にのしかかり。子育ては家事と連動しているので、いつの間にやら家のことを女性ばかりがやるようになり。という、自然な成り行きがあるんですよね。

なので、この「自然な成り行き」があるにもかかわらず、「父親も家事・育児を一緒に担うのが当然」という感覚の男性が増えてきているのは、すごいことだと思うのです。これは、若い世代の男性が、当然のように女性を対等なものとして感じられているからこその感覚ではないのかと思います。

こういった感覚は、無理やり変えられるものではなく、時代の流れにより意識の底上げが起こって、感覚の変換へとつながり、じわじわと変化していくものなんだろと思います。そして、それまで少数派だった「女性の尊厳を当たり前のものと感じている男性」が、多数派へと転じていくのでしょう。

私はアラフィフで、まだ前の時代の感覚を引きずりつつ、新しい感覚に移行したい!ともがいてきた世代。なので、前時代的な感覚に抵抗する女性にとても共感を覚えるのかもしれません。

強烈な映画「櫂」を見て、女性の尊厳について考えた数日でした。









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