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可愛い

可愛いに対する執着の波がある

私は生まれて初めて話した言葉が「可愛い」だった。多分いっぱい言われたんだと思う。赤ちゃんの時、とにかく可愛かったらしい。

可愛くなりてぇよ〜!!!!!って大暴れしてる日もあれば、可愛いとかなんかよくわかんないんですよね~わりとどうでもいいかも!って日もある。

そもそも、私のなりたい可愛いって言うのは、2種類ある。
1つは猫とかアザラシとか赤ちゃんだ。根源的な可愛い、何をしていても可愛いのそれ。
これに関しては、誰と出会うかが大事。人間でも周りに恵まれれば近い状態になれる。
2つ目は造形的な可愛いだ。お人形さんになりてぇよ〜みたいなこと。恐ろしいくらい顔面が整っていて、恐ろしいくらいスタイルが良くて、恐ろしいくらい全身ピカピカの可愛い。恐怖を感じるレベルの可愛い。

私は多分完璧主義なんだろうと思う。
赤ちゃんや猫は完璧に可愛いし、お人形さんも完璧に可愛い。
自分が中々辿り着けない可愛い、その可愛いの頂き、あまりにも羨ましい。
たどり着けないことがわかっているから、定期的にどうでも良くなる。
でも、ふとした時に見上げて「がァァァあれにしてくれぇぇぇ!!!」と思っちゃうんだよな。
身の程知らずも甚だしいけど、やっぱりちょっと羨ましいな。
神々しいもの、恐ろしいもの、凄まじいものだけが好きだ。

そもそも、日本の「可愛い」とはなんだろう。
かなり多くの要素を含んでいる。造形的に愛らしいこと、心惹かれること、小洒落ていること、愛しいこと、立場が弱いこと…全て可愛いだ。
時に相手を神格化もするし、相手を弱体化させる言葉でもある。(イルカとかみんな可愛いって言うけど、結構頭良くて怖いよ)
芋臭いことも可愛いだし、垢抜けてることも可愛いだし、海外の人からしたら訳分からない概念じゃないか?

私のなりたい可愛いも、本当はもっと違う言葉で表現出来るんだろうな。

私は今、周りに生きてるだけで偉い!美味しいご飯あげようね!みたいな扱いをされることがまぁまぁある。
このnoteも友達がくれたメロンフラペチーノの提供でお送りしています。

困ったら誰かしら助けに来てくれるし、周りの子達は世話焼きが多い。お陰様で大体ぼーっとしている。無理だと思ったらすぐ人を呼ぶし。
でもこれ、若いからなのかな〜って思ったら悲しくなる。猫や犬は永遠に可愛いのにな〜人間も可愛いであって欲しい。
人は大人になると弱くなくなる。頭も良くなる。自分より弱い生き物じゃなくなるから、可愛いから離れるんだろう。

今度、歳をとっておばあちゃんになったら順調にまた可愛いに戻るのかもしれない。歳をとれば出来ないことも増えていく。体力も落ちる。人に助けて貰うこともきっと増える。
歳をとった時の可愛いは、総決算的というか嫌味なく人に頼れる人間性の有無に依存する。この可愛いは人として成熟したことを指すから、ちょっとまた意味が違うようにも思う。
出来たことが出来なくなる、自分でも受け入れ難いこと。
素直に出来なくなったことを認められるほどに自己肯定感が高く、愛される人じゃなければ、可愛いとは言われない。この可愛いはワンランク上だ。

可愛いの道は険しい。二本足でしっかりこの山を登ったら、きっとかっこいいになっちゃうんだろうな。
何も出来なくなってもかっこよくて可愛いおばあちゃんになりたい。
1番現実的に目指すべき、気高い可愛いは何も出来なくなってもかっこよくて可愛い人かもしれない……


それって結果的に犬や猫、赤ちゃんと同じ可愛いじゃん!

険しい道のりである。

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