24歳、歯を食いしばって「青春」をやろう
友人と立ち寄った中之島で、安藤忠雄さんの「青りんご」のオブジェを見つけた。実は、彼の「青りんご」について聞くのはこれが初めてではない。
それは大学生になったばかりのころ受講した、特別授業でのことだ。「青春とは人生のある期間ではない。心のありようなのだ」と、サミュエル・ウルマンの詩を引用して彼は語っていた。
当時は暑苦しく、余計なお世話だと苦々しく感じてしまったお話。それと同じ文章が、数年の時を挟んで目の前にあった。果たしてこれはなんの因果かな。
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Vtuber・芦屋大河さんがインターネットから姿を消して早2ヶ月。自分で思うより残念だったらしく、以来、いろいろなVtuberの配信を漁っている。(もしオススメの人がいたら教えてください)
今日見たのはこちら、四季凪アキラさんの雑談配信だ。
高校生になってもベイブレードで遊んでいたことをリスナーにからかわれた彼は、「Vtuberなんてね、童心を残してなきゃできませんよ、皆さん」「大人になりきれない”ぼくたち”を愛してくれよ」と笑い飛ばしてみせた。この勢いのよさに、「ほう......!」と目が覚めるような心地がしたのだ。
四季凪アキラさんの配信は時々見るが、彼の日々を楽しもうとする態度はとても興味深い。彼のものの考え方はどこから来るのだろう……と不思議に思っていたのだが、今日の配信を聞いて、なるほどと頷いた。
童心は、私にはないな!!
さて、童心とはなんだろう。ぱっと思いつくのは、目の前のことを全力で楽しむ心のことだ。
例えば、給食でよくあった「牛乳おかわり争奪じゃんけん」。じゃんけんに勝てばその日の牛乳が一本多くもらえるというものだが、今思えば、どうして毎日あんなに熱くなっていたのかとおかしく思えてしまうほどだ。しかし、それでも楽しかった。たかがじゃんけんひとつ、牛乳一本。勝てば嬉しく、負けたら悔しかった。明日こそは勝ってやるぞと闘志をメラメラ燃やしていた。
これだ。ここに「童心」がもたらすもう一つの効果がある。
目の前のことを全力で楽しむと、明日やりたいことがひとつ増える。
リスナーのコメントを受けた四季凪アキラさんは、どうやら本気で困惑しているようだったが、「ディズニーでは”当然”カチューシャを選んで付ける」という考えがあることこそが、彼を「遊び上手」たらしめているのだろう。
「童心」も「遊び上手」も、指したいことはきっと似ている。その場でできる楽しみ方を、全力でやり、楽しむ。
フライングダイナソーにまた乗りたい、テーマパークといえばハウステンボスや志摩スペイン村にも行ってみたい。そもそも三重県に行ったことがない、行ったことがない県といえば新潟や青森、それから北海道にも行ってみたい——彼の「あれ楽しかった」「だから次はこれがしたい」は尽きることなく続く。その姿はまるで、明日の牛乳じゃんけんを楽しみに待つ小学生にも見えた。
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数年前のあの日、「青りんご」の話を苦々しく感じてしまったのは、明日への希望を抱いて日々を生きていい時期なんか、とっくに過ぎ去ってしまったと考えていたからだった。それが許されるのはせいぜい中高生までだろうが、と。大学に進んだ私たちはもう、あと数年で社会に出ないといけない。立派に働けるように準備するのでいっぱいいっぱいなのだと。無責任に希望を持たせるようなことを言うのはやめてくれとさえ思った。
きっとそれは違ったのだろう。学生のときこそ、私は、全力で「青春」をするべきだった。苦い後悔を噛み締めると、サミュエルの詩が思い浮かぶ。「青春とは人生のある期間ではない。心のありようなのだ」。
ということで、24歳になった。今年もぼちぼち頑張りつつ生きていきたい。
......余談だが、四季凪アキラさんが件の配信で「私は童顔だからなめられやすい」「こないだも人に道を聞かれた」ということを話していて、また面白いことを言っているな……と考え込んでしまった。確かにアバターは童顔だが、そういうことを言っているのではないだろう。とはいえ何がそんなに面白かったのか、そこにはまだ手が届いていない。