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湯けむり夢子はお湯の中 #15 さよならのかわりに


「なぜ拓ちゃんがここに?」

 銭湯のユニフォームであるTシャツ・前掛け姿の拓ちゃんが、私の隣にドカッと腰を下ろしました。

♨️

 こんばんは、湯川夢子です。同じ夜にこれで何度目の「こんばんは」でしょうか?ここまでおつき合いいただいた皆さま、本当にありがとうございます。

 喫茶店チェリーの店員さんが、各テーブルに「ラストオーダーのお時間です」と声を掛けて回っておりましたが、このテーブルのそばまで来ると、ただならぬ空気を察し、軽く会釈するにとどめてバックヤードへと去ってゆきました。

♨️

「あの……こちらは?」

 フリーズしていた和真氏が、やっとのことで声を発します。

亀の湯改め、ビリーの湯三代目店主で、私の幼馴染みでもある拓哉さんです」

 『ビリーの湯』にハッとした和真さんは、ただでさえ良い姿勢を今一度正し、拓ちゃんに向けて一礼しました。

「挨拶は省かせてもらうよ。悪いが、話は聞かせてもらった」

「いつからいたの?」という私の問いには答えず、頭をわしゃわしゃ荒っぽく掻いて、はーっと息を吐く拓ちゃん。

「アンタさ、誠実で優しそうな言葉並べながら、実は夢子に残酷なことしてるの自分でわかってる?」
「……」
「和真さんだっけ?アンタ、元カノに二股かけられて相当傷ついたんだろ?なのにさ、なんで同じこと人にするわけ?アンタのこと好いてる夢子に対して、なんでそんなことができるの?」

「いえ、二股なんて、そんな気毛頭ありません!ぼくは真剣に夢子さんと向き合うつもりで……」

「違うよな。夢子とつき合っているのと同時に、ずーっと向こうの親子とも会っていたんだろ?」

「拓ちゃん、私も悪いんだ。はっきり和真さんにおつき合いしてくださいって言ったわけじゃないの。ほら、私、恋愛経験あまりないから、なかなか勇気出なくて」

「…ったく、女にこんなこと言わせんなよ!夢子から想いを打ち明けられないのをいいことに、関係を曖昧にしたままキープしてたってことだろ。
そんな気の遠くなるような恋の駆け引きしていられるほど、こいつは若くないんだぞ!」

 ん?それ私に失礼じゃ?

「……申し訳ありません夢子さん。自分でも自分の気持がよくわからなかったんです。
あなたと会って同じ趣味を語らうのは本当に楽しかったですし、もう前を向かなくてはと思いました。
そんな明るい兆しの一方で、彼女と颯太くんに関わるうちに、本来ならふたりはぼくの家族になっていたはずなのに…という念が自分の中に渦巻きはじめて……。
気持の悪い執着心に囚われて、ほんと、どうかしてますよね」

「和真さん。もう、それ以上は……」震える和真さんを見ていられなくて、私は、自分自身をとことんおとしめようとする彼を制しました。

「なあ、頼む。アンタも気の毒かもしれないが、おかしな連鎖に夢子を巻き込まないでくれ。
うちの銭湯で、アンタ達本当の親子に見えた。とてもいい雰囲気だったよ。でも、それを向こうの旦那が目にしたらどう思うか想像したか?昔の自分と重なるだろ?
そんなふうに自分を傷つけるなんていけねぇ。少なくともあのときアンタらを見て、夢子は傷ついたんだぞ」

 ほぼはじめましての拓ちゃんにこんなに言われても、和真さんはすべてのとがを負う人の表情で頷き、私に向けて頭を下げました。

 

 たぶん元カノさんだって、頼る人が近くにいないとき彼が現れて、心の奥では救われたのだと思います。
 それに、和真さんが間違っていて私が可哀想なのかどうかも、何かの拍子にくるりと翻るかもしれないと感じました。


♨️


「あのう…そろそろ閉店のお時間です」
 おそるおそる店員さんが声をかけに来ました。えっ、もうこんな時間?店内の掛け時計に目をやると、すでに閉店時刻の9時でした。
「おう、悪い。もう終わるからさ」
 ホッとした様子でお辞儀をし、店員さんが奥へ戻ります。

 「もう話尽くした」という空気が、なんとなく私たちの間を漂っていました。そして、すでにそれぞれの答えはひとつに向かっているのです。
 店内を流れるクラシック音楽が止むと、和真さんが顔を上げました。

「夢子さん、最後のお願いです。ぼくを思いきり振ってください」
「え……?」
「ぼくは、あなたという人が好きです。でも、恋愛感情ではないのだと思います。なのに、今夜のあなたはいつにも増して素敵だから…大切な人がまた自分から去ってゆくのも怖くて、グダグダ長い言い訳をしてしまいました」

 いつにも増して素敵?
 ……ハッ!そうだわ。度々忘れかけては思い出すのですが、私はいま首から上が百恵ちゃんでした。

「夢子。キッチリ振って成仏してもらえ」
 拓ちゃん……。

 和真さんに視線を移すと、覚悟を決めたお顔でこちらを見つめ返してこられました。

 ああ、もう本当の本当に、お別れなのですね。

 あなたとのことは決してツラいことばかりではありませんでしたよ。恋する歓びや切なさをくれた和真さんに、どんな言葉で別れを告げたらよいのでしょう?
 だって私はあなたを恨んでなどいないのです。途中、滅茶苦茶な告白にちょっと怒ろうかな…と思ったりもしたけれど、温泉めぐりも山梨のバスツアーも、振り返れば幸せな思い出として甦ってきます。


 しばらく和真さんとテーブル越しに見つめ合ったのち、私も覚悟を決めました。

「和真さん」
「はい」

 耳の後ろで白いお花の髪飾りが揺れます。
 起立して深く一礼。

「Thank you for your everything ✨️」


        
 ゆっくり頭を上げ、スッと彼の前にミントの入浴剤の小袋を置くと、私はテーブルを離れ、喫茶店チェリーをあとにしました。
 入浴剤は、ふたり山梨のバスツアーでハーブガーデンを訪れたとき、和真さんに渡そうと思って土産屋で購入したものでした。

 どうか和真さん。心機一転、ミントの香りで「いい湯だな」してくださいね。 


 ―さよならのかわりに。


♨️おわり♨️

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