夢でみた白蛇さまのお話とか

思ったことを思ったままに書くことって最近していないなと振り返り、今日は思ったことを思ったまま自分の言葉で書いていこうとおもう。

最近、ちゃんとした花柄の枕で寝るようになってから随分と贅沢な夢を見るようになった気がする。それまではクッションを枕代わりにして(しかもカバーは黒)寝ていたためか、後味のベタッと残る夢を見させられていた記憶がある。

夢というと、一般的に2通りの意味が存在する。

論文ぽくなってしまうが、論文を書く能力は極めて低いので文章構成とか細かな点は見逃していただけると。

将来の夢とか、理想を語るときに用いる「夢」の方と、寝てるときに脳が作り出すイメージを、疑似体験するかのような錯覚に陥る「夢」の方。この2通り。

さしずめ前者の方は「理想」とか「願望」とか「目標」と言った似たような意味の単語に置き換えやすく、後者はどちらかというと「夢」という単語なしでは説明が難しい。そう感じた。

私がみたのはもちろん後者の「夢」だと思うが、それが理想も意味する方の「夢」になる可能性だってあるにはあるのだ。それは、その理想が叶ったときに後付けで「正夢」とかいう適切な言葉に成るわけで。

フロイトさんが「夢」について熱心な研究をされていたためか、夢は現実に起こるとされる「意味」と強くリンク付けられて、今では夢占いとかいう夢に出たネタまでもが占いの守備範囲になってきている・・。占い業界は実に強い。。

はてさて、そんな強い「意味」付けがなされる夢に、なんと白蛇さまが登場したのだ。夢を見始めてーん十年ついに白蛇さまとお会いするご縁を頂いた。夢で白蛇さまを見たら、幸運をもたらすと意味付けされたあの白蛇さまだ。

白蛇さまは排水路でじっと身を潜めていた。じっと。誰にも気付かれないように。排水路の脇を通る人も白蛇さまに気付いてはいないようだったし。

幸運の白蛇さまというと、白蛇さまのフォルムが正面に現れ、神々しい気を放っているイメージを勝手に抱いていたので、お会いした時とのイメージにギャップを感じたが。いろんな登場パターンもありかと納得。

排水路の隅っこでうずくまる白蛇さま。私はうずくまる物体が白蛇さまだと直感に思った。私は木の棒らしき細長いもので白蛇さまを突いた。昔から好奇心旺盛で何でも「触る」クセがあった。白蛇さまに突いたのも、多分好奇心からだと思いたい。今思うと、別に「触ろう」としなくても良かったのだ。「触ろう」とせずに、じっくりと白蛇さまとの距離感を楽しんでも良かったのだ。何せ私はせっかちだった。動かないものにはすぐに興味をなくしてしまう。そんな生き方は人生で半分くらい損をしているのと同じな気がする。

突いたら、白蛇さまはビクッと弾み、驚いて排水路から抜け出した。白蛇さまは私の後をスィーと追いかけてくる。怒っているのか、怒っているのだ。でも私には白蛇さまとの距離感を知らないので白蛇さまが怒っているのかすらわからない。私なりの解釈で人とも接してきた。その解釈ってほとんど当たった試しがないのに私の解釈は自分の中で変な自信に繋がって。きっと白蛇さまは怒っているんだ。角に追いやられた私は逃げ道をなくして、パニックを起こす。襲われる。

ふと顔を上げると向こうの道路にも、もう一匹白蛇さまがスィーと優雅に這っている。この二匹は友達なのかと悟った。とにかく私は白蛇さまに謝らないと。焦っていると目の前の白蛇さまが牙を見せた気がする・・・。そしてなぜか私の前に知らない女性の姿。白蛇さまと対峙していた。誰なのかわからなかった。血が噴出していて、それは白蛇さまの血か、女性の血かもわからずにそこで目が覚めた。

結局逃げた。私が蒔いた種であるのに。

もう一度白蛇さまにお会いしないとならない。そう思った。夢は夢だけど。でも夢って大事な意味があるんだろう。だったらもう一度会って謝らないと。突いたこと。

謝ったことは何回もあるけど、そういえば「ちゃんと」「本気」で謝ったことはあるだろうか。小学校の終わりくらいに喧嘩別れした子に、くらいだろうか。どこかで許してくれるとわかってるその甘さがやっぱり白蛇さまに付け入られたんだ。

幸運なんかいらないから白蛇さまに謝りたいと思う私、もういい大人なんだよな。

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