自分の感情の責任を夢追翔に押し付けてみる

 これはさして文章がうまくない人間が夢追翔5周年に際して、自己の感情に向き合った末に何故か生み出してしまった文章である。
この千文字にも満たない文章を書き終えて思うことだがこんなもの、書かなければ良かったと思う。だがどうせなら、もう書いてしまったのだし、この世に放ってみようじゃないかと思った。
……批判くらいなら受けてみようと思ったのだ。

 さて、この先の文章を読んだことによる責任は一切負えないのでそこをご理解のちに読んでいただくことをお約束願う。これは僕のこころの整理のためのノートであるし、君に配慮したものを書くことは絶対にないので文句は言っていただいて結構だが責任はとれないからよろしく頼む。これが約束出来る方のみ呼んでくれ。以上。

君のせいだって言わせてくれ、夢追翔。
……微塵も君のせいではないのだけれど。

五周年と一日。おめでとう。夢追翔。
今年も君のせいで病んだよ。

推しの誕生日と推しの周年記念はとても病む。

応援広告の情報や豪華なイラスト、素敵な動画がTwitterやらYouTubeやらに投稿されているのを見ると、大変なクソ野郎なので心がすさむ。それはもう大変にクソ野郎なので。

わかっている。
いろんな人がお祝いしてくれている証拠じゃないか。いろんな人が喜んでいる証拠じゃないか。ファンが沢山いる証拠じゃないか。

でもこう思ってしまった。

私は絵を描けなかったのに。
私は支離滅裂な文章を書き連ねただけなのに?

みんなずるいよ。そんな素敵なお祝いの仕方。

応援している気持ちは本当になのにそれを伝えられていないようでもどかしくて辛い。勝手な独りよがりの思い。

時間がないって言い訳して何もしなかった自分のせいなのに。確かに監修期間に被っていて忙しくなかったといえば、嘘になる。けれど、絵を描く時間がなかった、だなんて嘘。YouTubeを見ていた時間があった、ダラダラとTwitterを眺めていた時間があったのに。言い訳ばっかり。

推しの誕生日は病む。
比べる必要のない誰かとの祝い方に悩んで勝手に苦しむ。

君が周年を迎えるたびに、誰か豪華な祝い方をしている人に嫉妬して。誰かもわからぬ人を恨んで。

ファンとしてどうなのって問いかける自分と、
それでもいいって言っている自分との間で今年もまた、喧嘩して。
多分この世で最も不必要な論争のうちの一つ。

ほんっと、私ってば嫌な人。

そうなったのって君のせいじゃん、とかって夢追翔に責任を押し付けて、みる。いいでしょうそのくらい。昨日沢山祝われたんだから。
私の恨み言くらい、受け取ってよ。

ね。夢追。

2023/9/25の次の日のヲタクの戯言。

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