彼女たち

中学時代の同級生から急に連絡があり、来月にある結婚式の二次会があるので来てほしい旨がつづられていた。すぐに返事ができず、二度、呼吸を整えた。

中学時代、吹奏楽部の部長をしていた私と、副部長だった彼女。小学校も同じで、その時の部活も金管バンド部。私は部長で、彼女は副部長だった。中三になるとクラスも一緒で、大体いつも行動を共にしていたと思う。くだらないことで笑い、喜び、男子をからかったり先生に叱られたりしていた。
高校は違うところへ行った。私たちが住む町には大きなターミナル駅があり、大体の住民がその駅を使う。進学後、私とは違う制服を来た彼女の姿を何度かみたことはある。でも、話しかけなかった。誰かといたわけではないと思う。でも、話しかけられなかった。メールも送った気がする。他愛のないメール。でも、中学時代のようにずっと、延々と続かなかった。そうして疎遠になった。
大学時代には、一度だけカフェでごはんを食べた。中学生と見間違えると家族に言われ続けている私とは違い、美容の専門学校を卒業して一足早く就職してた彼女は、私がつけたことのないつけまつげをして、私がつけたことのないカラーコンタクトをして、私がつけたことのない色のエクステをつけていた。
それから一度も、会っていない。

もういい大人なんだから、行きたくないんだったら行かなきゃいいんだよ、と恋人は言う。でも、そもそも、自分が行きたくないのかどうかもわからないので決めかねているのだ。
どうしようかな、とつぶやいていたら、他の、やはり疎遠になっていた中学時代の友人からも連絡が来ており、「あの子結婚するんだってね。私はいけないんだけど、○○が行くみたいでね。はなえが来るなら一緒に行きたいって言っていたの」とのことだった。連絡をくれた彼女も、私が行くなら一緒に行きたいと言ってくれた彼女も、中三の頃にはいつも一緒にいて、卒業式ではみんなで泣いた。でも、疎遠になっていた。

中学生の頃、私はいつもどこか疎外感を感じていた。のだと思う。「思う」というのはそのころのはっきりした気持ちがわからないからだ。誰といても、楽しくても、どこか違和感を感じ続けていたように思う。相手を見下していたとか、見下されていたとか、そんなことではなく、自分の存在が、自分の周りの存在と、どこか一線を画しているような気がしていたのだ。
楽しいと思うこともあったし、楽しかったのも事実だ。でも、中学の同級生たちと笑い合えるのもおそらく中学生のうちだけなのだと、確信めいたことを考えていた。優越感でもない。確実に、彼らとは違う道を歩くのだという確信だった。なじめなかった、というと、それまでだが、それもちょっとだけニュアンスが違う気がする。なじめてはいた。でも、どこか、違った。

今まで誘われた同窓会も、ことごとく断り続けていたのだが、昨年末にあった同窓会に参加したとき、今回の結婚式のことで私と一緒に行きたいと言っているという友人が私のことを抱きしめて、「はなえ、生きていたんだね」と言って泣いていた。「はなえは、すぐに人を遠ざけるからね。死んでしまったんじゃないかと思っていた」夜の仕事を経て現在は一児の母という彼女が、どうしてそんなことを言ったのかはよくわからないのだけれど、彼女は確かにそう言って私をずっと抱きしめていた。
その同窓会も、結局どうしていいかわからずにぼうっと鍋をつついて、次にあったら別にもう来なくてもいいかな、と思ったのだが、結局今回の一件でまた悩んでいる。

おそらく、恋人の言うことが正しいような気もする。すぐに返事をしない時点で、私は気乗りがしていないのだ。おそらく。それはきっと、中学時代の、得も言われぬ感情がずっと喉奥にひっかかっているからだと思う。
でも、結婚する彼女は、誘われて恐縮する私に「私たち、中学の悪友じゃないか」といった。泣いた彼女は「すぐに人を遠ざける」と泣いた。
私がなじめなかったのか、なじまなかったのか、どっちなのだろう。
結局、縁をちぎってしまったのは私の方だったんだろうか。誰か答えを持っていないだろうか。あの頃の私の感情を、誰か、代弁してほしい。
私は愚かだったのか、狡猾だったのか、純粋だったのか。

私はまだ、彼女たちへの返事を出せないでいる。