walk in line

先日の雪の日、交通機関がダメになってしまったので職場まで歩いて行った。

前の日に雪が降るとキャスターたちがやかましくいうので、早起きをして厚手のズボンに厚手の靴下を履き、ムートンブーツを履き、タートルネックのセーターにウールのカーディガンを着てダウンコートまで羽織った。玄関の重い扉を開けると雪の匂いと冬の匂いが一緒にやってきて、収縮した毛穴がみっちりとなくなる。
視界に映るのはただただ白い雪だった。胸のあたりがひっとひきつったが、私はその感情を上手く表現する術を持たない。雪が一年に数回降るかどうかの地域に生まれた身としては、雪についての語彙をさしてもっていないので、あの何とも言えない整然さを表現しえない。
さんざんやかましいキャスターの言うことを信じて、その通りになって、毎日時事に疎い私も、天気ぐらいは時流に乗れたのかと思うのだが、真っ白な、水分の結晶が、静かに道を覆っているのを見ると、時間が止まっている感覚にもなる。匂いはするのに、音がしないからだと思う。雪は音を吸う。整然と、音を吸って、生き物の気配を消してしまうようだった。大きな道路を走るトラックが道路を削る音も確かに聞こえるのに、聞こえない。

真綿のような雪には私の無骨なブーツの足跡ばかりがつく。職場へ行く裏道は、さすが裏道だけあってほぼ誰もとおっていない。私の他には犬と飼い主の足跡だけが残っている。こんな雪の日も散歩をするなんてひどく律儀だと思いながら、雪に足跡を残す。自分の呼吸さえ聞こえないような清新な冬の空気の中、私は雪ばかりを見つめた。

雪が降ると歩くことに慎重になるからか、歩くということを考える。足を前に出すと自然ともう片方の足も出て、前に進む。どういう原理なのか、私にはわからない。重心の移動とか筋肉の動きとか、そういう、物理的な原理ではなくて、どうして歩こうとするのかの、原理が、だんだんと分からなくなるときがある。皆、前むいて前に歩いて行く。それを当然に繰り返すことの、無意味さ無意識さ、ゆえの、怖さ。歩いたら、前に進むしかない。一遍に色んな方向に歩けたらいいのに、私たちは前に歩くしかない。雪が降っても、自分以外の生き物の気配がなくなっても。一列に、前に、進む。それを、繰り返す。

裏道が職場に近づくにつれて、どんどん雪深くなってきて笑ってしまった。口から吐きだした自分の吐息は生き物らしく湿っていて、温かかったので、やっぱり笑って、考えるのをやめた。