怒れる人

先日、あんまりにも我慢ができなくて、課長に嚙みついた。物理的にではなく、仕事的な意味でだ。そうしたら課長が目をひん剥いて私に怒鳴り散らしてきて、すぐに後悔した。後悔したけれど、心臓の動機が激しく、肋骨がガンガンと痛み、口を閉じることができないほどだったので、それに任せてまた嚙みついた。ふだんから、あまり褒められたものではない仕事ぶりの係長が、私の隣であわあわしながら、フォローのようなよくわからない言葉を言っていたけれど、課長は私だけにその三白眼を向けて、ぎろりと睨みつけてきたので、私もにらみ返した。でも、常々夫に言われるほど、狸顔の私がどれだけ双眸を細く、険しくしたとして、なんら恐ろしさもないだろう。
課長の席は、課を見渡すように窓を背にして配置されており、初夏の風がふわふわと私たちの間をぬっていた。課員はほどんどそろっていて、私のいきり立った声と、課長の怒声とを、誰もが注意深く聞いているような気がした。
あんなことで、怒らなければよかった。今になってはそう思う。いや、怒ってもよかったが、物分かりの悪い課長に噛みついたところで何もわかっちゃくれないことを、私がわかってなかった。
ひっそりと嫌っていればよかった。
久しぶりに激情のうねりに身を任せたせいで、ぐっと涙が盛り上がってきて、課員の中でも一番の年上の私がこんなことで涙するのは面白おかしすぎる。慌ててトイレに駆け込んで、声を押し殺し、音姫のボタンを連打した。
席に戻ると、いまだあわあわしている係長が、私のもとにやってきて
「桧山、大丈夫?」
「はい、すみませんでした。すぐに直します」
「大丈夫ならよかった。桧山もさすがに頭に来たんだよね。桧山が怒るなんてさ……桧山がいない間、俺、課長にまた怒られちゃったよ」
「私のせいで、すみません」
「さすがに桧山も女の子っぽくトイレで泣いてきたのかと思ったー」
指を濡らして瞼に押し当てていたから、目の赤みが引いていたらしかった。マスクのおかげで赤くなった鼻も、くぐもった声も、気づかれないようだ。普段から鈍感でデリカシーのない係長でよかったような気がする。隣の席の後輩が、心配そうに私のことを見ていたが、誰にもなににも心のかけらを振り分けることはできなかったから、気づかないふりをした。

そうして、三日以上たった今でも、まだ、心に怒りの残骸がぶちまけられていて、全然掃除がままならない。