雨を乞う夜

風呂に入って頭を洗っていると、ふと恥ずかしい記憶がよみがえる。恥ずかしい、という、どこかかわいげのある言葉ではなくて、恥辱的というかただただ穴があったら入ってどこまでも深く潜っていきたくなる、心持の悪さ、というのか、とにもかくにも居心地が悪くて死んだ方がマシ、と思える記憶だ。大体、思い出すのは風呂場に入っているときが多い。香りのよいシャンプーを泡立てて、小気味よく頭皮をかきまぜていると、そういう小気味よくない記憶が、本当に不意にやってくるのだ。

たとえば、自分がうまくふるまえなかったとき。たとえば、自分がうまく返答ができなかったとき。他の誰かにとって、「ちょっとあわてているのかな」「余裕がないのかな」で済むようなことも、私は私自身を許すことができなくて、ずっと心に残り続ける。あたふたと、頭が真っ白になって、何もできなくなり、胸元をとろりと気持ちの悪い汗が流れていく感覚が、私の頭をずっと侵す。胸のあたりがもぞもぞと気持ちが悪くて、大きな声を出さないとそのことで私は壊れそうになってしまうから、風呂場で頭を洗いながら頭の悪い恋の歌などを歌うのだが、歌詞もそぞろで、結局、記憶に支配されてしまう。いかに自分が愚かしく、滑稽で、醜かっただろうかと、知りもしない、私を観察する私が演じる他人の気持ちになる。醜悪で、気持ちの悪い自分。どんなに明日へ希望をかけて声を張り上げても、私の頭は、しどろもどろとぎこちない笑みを浮かべる自分の顔で埋め尽くされるのだ。

いやだいやだと思い、熱い湯につかったせいか、風呂上りはひどく体がほてって汗がひかない。けれども、よい汗なのでさらさらと肌をすべって消えていく。暖房をつけず、しんと冷えた部屋にいると、ほてった身体がそこかしこの音を吸っていくようだ。階下のリビングからは、父母の楽しそうな笑い声が聞こえるが、私は一人ほてった肌をさらしてしんと冷えた夜に居座っている。滑稽な私は、やはり滑稽なまま、静かな部屋にいるのだ。

こういう夜は、雨が降ってほしい。冬の雨は囲いのように自分を守ってくれるように思う。ざあざあと降る、無数の滴が私の頭のほてりを奪ってくれる。滑稽で醜悪な私に侵された脳みそを、洗い流してくれるように、思う。雨、降らないものだろうか。脳みそを開けて、シャワーで流せたらそれで解決なのだが、そうもいかないので、せめて、降ってくれないだろうか。