祈りの雑記
※大学1年(19歳)のときの記事です。
「文学は、言葉は、あの世に向けるものだ」とある教授が言っていました。
またある教授は「優れた研究者は誰かのためだけで研究をしていない」と言っていました。
文学も研究も自分がやりたいからやるだけで、「誰かのため」とか「社会のため」とかそんな大義名分はクソ喰らえなのでしょう。偉いようなことを言っているようで、結局は見返りを求めてるだけ。曰く、良い作品は全米を泣かせようとして作られてはいないし、ノーベル賞を取りたくて作られているわけではないのです。
書きたいから文学を書く。好きだから研究する。ただそれだけのこと。良い作品においては、他人から賞賛されるかどうかは二の次で、他人の心を揺さぶったとしたらそれは意図的なものではなく、作者(研究者)自身の大きなエネルギーが創作物から溢れだしたということなのでしょう。表現は所詮表現で、構造は所詮構造で、精巧に作られたものも素晴らしいのだけれど、どうしても僕は稚拙でもいいから強いパッションを感じるものが好きになってしまう。そういったものを構成する言葉は、決して意図的に操作された機械ではなく、自然に自由に海を泳ぐ魚のようなものに思います。
最近「祈り」について想いを馳せます。「祈り」って良くないですか?祈ったところで何かが変わることなんてまずありえないのに、何故か人は祈りを捧げる。自分や他人やこの世やあの世や、何かが良くなりますようにと願いを込めて祈る。非合理的で非科学的なのに。それでも昔から人は祈りを捧げる。僕にはとっても素敵なことに思えて仕方ありません。文学とか音楽とか絵画とか、そういった創作物はある意味「祈り」なんじゃないかなと思います。どこか遠い世界やこの世にいるはずのない人に対しての祈り。あるいは自分自身や自分の奥深くの混沌に対する祈り。変な言い方かもしれませんが、僕が惹かれる作品からは、いつもこの「祈り」の要素が強く感じられました。そういった祈りに魅せられると同時に、僕も祈りたくなりました。
先日読んだ小説の影響で、ここ数日自分の中に自分だけの物語が存在しているように感じています。僕は物語の作者であり主人公。今僕が見ている世界は僕自身に内在している。世界は僕の見方次第。物語を良くするも悪くするも僕の勝手。まあせっかくならTrue Endを目指してみたい。そしたらそのTrue Endって何?幸せになるってこと?じゃあ幸せなに?どうすれば幸せになるの?
僕はまだまだ無知なのでこの問題を正確に考察するのは難しそうです。
話は変わって先日、家出した女の子が僕の家に転がりこんできました。三日間だけでしたが。まあその子も色々とあり、落ち着いて整理する時間が欲しかったのでしょう。以前から仲の良かった子で、大好きな子ですから快く迎えました。たくさん話をし、色んな音楽を聴き、外へ遊びにも出かけました。落ち着いてはいましたが、とても充実していて楽しい三日間でした。こんな日がずっと続けばいいのになんて思ってしまうほど。ですがどこかそれが目一杯の幸せだとは思えませんでした。なぜならその子の抱え込んだ問題は解消されていませんから。少しでもその問題を良くしようと、整理しようとして僕の家に療養しにきたので、僕も色々と気を遣いました。もともと気を遣うのが好きなお節介ということもあり、彼女の顔色を逐一観察してから言動に移していたのですが、彼女はそれに気付いていました。
電車の中で彼女が調子を悪そうにしてたので、降りるまで話しかけずにいたことがありました。最寄り駅で降りると彼女は「あなたはいつも私の顔色を伺ってるの知ってたから、あえて調子悪い風にしてた。そしたら見事に話しかけてこなかったね」と言い、「話したかったら話しかけていいし、言いたいことは言って」と言いました。痛いところをつかれました。
そして最後の日にその子とその子が抱える問題の話をしているときに、つい「君のしたいようにすればいい。君の幸せが僕の幸せで、それは僕が君を大好きだからなんだよ」とクサいセリフを言ってしまいました。オタクのくせに調子にのるな。普通に気持ち悪い…。ですが嘘ではなく、本当にそう思ってるのです。本当に幸せになって欲しいと。受け売りの思想ですし、吐き気がするほど綺麗事ですが。その子が幸せに生きるのが僕の物語の望む形ですから、そう強く祈るのです。
別に僕は彼女にこうしてくれと偉そうに彼女を矯正する権限はありませんから、彼女がどう生きようと自由ですし、なるようになるのを眺めることしかできません。ただ幸福たれ!と祈るだけです。愛は祈りなので。その子のために、自分のために。僕は作者であり主人公であると思ってますから、自分の好きなように自分の物語を作っていきます。その過程で僕は話したい話をして、言いたいことを言って、何か返ってくるわけでもないのに祈るのでしょう。そこで吐き出す言葉はこの世を変える必要性をもたず、ただふわふわとこの世じゃないどこかへと漂っていって。あの子の陽だまりの一部ぐらいにはなってくれればなあと思って。欠陥だらけの物語でもそれを動かすエネルギーになってくれればなあと思って。いわば無用の産物。松尾芭蕉らしくいうと夏炉冬扇。でもそんなもんでいいでしょ、幸せなんて。知らないですけど!
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