【イタリア滞在記Ⅳ】⑦2024月1月第2週
Gutta cavat lapidem, non vi sed saepe cadendo.
「絶対に諦めないからな」
2024年1月
8日(月)【濃い霧】
昨日1/7(日)、ベファーナの靴下4枚に入っていたお菓子を全部一気に食ったら腹を壊した。
今日はアンドレアの仕事始め。今までnoteで言及したことはなかったが、彼の本業は不動産関係だ。ちなみにボスは自身の父親。明日、あいつが客と交わす重要な契約に関する準備を、僕も手伝った。
昼食は、明日契約済みになるであろう物件にほど近い食堂で。
先週、1/4(木)のこと。アンドレアは、この食堂の近くで女の子をナンパした。
植木の手入れをしていた彼女に、
「素敵な庭ですね。菜園もあるし、オリーブの木もある。俺も自宅で色々育てているんです」と声をかけたのだ。
ちなみに、補足と訂正をすると、確かに、彼の自宅のベランダに多少の鉢植えは置いてある。しかし、正確に言えば、自宅の庭で色々育てているのは『俺』ではなく『俺の父さん』だ。
さらに、やつは、
「リモンチェッロやミルト、オリーブオイルは自分で作っているんですよ。もしよろしければ、今度お持ちします」と続け、見事、彼女の電話番号を聞き出した。
先ほど同様、こちらについても補足と訂正をすると、実家から盗んできた果実で食後酒を作っているのは事実だが、オリーブオイルは真っ赤な嘘だ。
こうして、ついでに僕も彼女と仲良くなり、彼女は、
「もう少し話しましょう」と、僕たちを自らの家に招き入れた。
見ず知らずの男2人をこんなに簡単に自宅に入れてしまうのはどうかと思ったが、イタリアの国民性を鑑みたのと、僕より61年も長く生きている人生の大先輩に説教するのは気が引けたのとで、黙っておくことにした。
彼女の家で小一時間ほど楽しい時間を過ごし、帰りがけ、車の中でアンドレアは言った。
「もっと仲良くなったら、俺に遺産をくれるかな?」
話を本日1/8(月)に戻そう。
朝、家を出る前に、アンドレアは自作のミルトと搾油所で購入したオリーブオイルを小瓶に入れ、きれいな紙で丁寧に包んだ。仕事が終わったあと、件の物件近くに住む彼女へ届けるためだ。
明日の準備を終え、物件を後にし、彼女の住む家へ。アンドレアは窓の下で不意に立ち止まると、
「ちょっとドン・ジョヴァンニの『セレナーデ』を歌って」と僕に言う。
丁重に断ると、
「出だしだけでいいから」と食い下がられたので、
「Vieni alla finestra!!」と怒鳴った。
しかし、応答はない。アンドレアが彼女に電話をかけ、名乗りもせず優しげなバリトンボイスで、
「窓から顔を出してみて。さぁ、誰がいるでしょう?」と囁くと、秒で窓が開いた。
彼が、
「以前お約束したミルトとオリーブオイルを持ってきました。よろしければ下に降りて少し話しませんか?」と誘うと、彼女は、
「風邪を引いていて熱があるから、外には出られないの」と言う。
それを聞いたやつの顔色が変わった。
「じゃあ、ドアの前に置いておきますね」と相変わらず優しい調子で返し、彼女が、
「門の鍵を開けるわね」と、窓を閉めた直後、やつはどこから取り出したのか、コロナ時代のマスクを装着し、「君は入るな」と低い声で言う。その表情には鬼気迫るものがあった。
まるでバイオハザードが発生した建物に足を踏み入れるかのように歩みを進める彼のあとをつけ、二階の入口へつながる階段を上っていくと、突き当りの扉が開いていて、ちいさなおばあちゃんが立っていた。
僕がアンドレアの後ろから、
「こんにちは!」と手を振ると、やつはすごい形相でこちらを振り返り、彼女は慌てた様子で、
「うつるといけないから、来ないで」と言った。
玄関の前に小瓶の包みを置き、簡単な挨拶をして逃げるように踵を返したアンドレアに右手首を引っ張られつつ、
「お大事に」と、左手を振ると、彼女は僕に言った。
「Ciao piccola, ti voglio bene!」
Nasconde tutte
le cose fitta nebbia.
Belle e brutte:
una passione robbia,
una piattezza sabbia.
240108-09
12日(金)【ここに僕がいたとき】
9日(火)の朝に起こった「ガス代騒動」を、それに関してのトラブルシューティングや、"自らの父親に電話で窘められるアンドレアを僕がからかいすぎたこと" に起因する取っ組み合いのケンカなどで、10日(水)夜まで引きずった。
気を取り直して1/11(木)。前日、ケンカの最中に、例によって僕が「もうラヴェンナに帰る!」と言い出したので、アンドレアと二人で件の地へ、車で遠足に行くことになった(?)
ラヴェンナ到着後、中心街付近の駐車場に車を停め、いつも通り Piazza San Francesco へ向かった。
今は顔見知りが誰もいなくなった広場を出て、Tomba di Dante へ向かう。
ロープを跨ぎ、中へ入ろうとすると、アンドレアが後ろから、
「ローリス、そこは立ち入り禁止だ。監視カメラが...」と言いかける。
僕は、
「友達(?)の墓参りしたら悪いのかよ」と言葉を被せて中に入ったが、彼はそれ以上何も言わなかった。
墓内部 後方を撮影しようとしたとき、一人の女性がこちらに向かって、
「中は立ち入り禁止です!」と喚きながら走ってきた。
「ああ、このロープ、飾りじゃないんですね。すみません。立ち入り禁止だって知らなかったんです。十年前は、開いてさえいれば中に入れたものですから...」と言い訳し、
「こちらこそ驚かせてごめんなさいね」と微笑む彼女に、心の中で「うるせぇブス」と言いながら一礼し、ダンテの墓を後にする。
無言で僕の頭を撫でるアンドレアを無視し、彼を従え、十年前、暖を取ったりトイレを利用するためによく訪れた図書館へ向かった。
ドアを開けて中に入ると、昔はテーブルと椅子が並んでいて、本や新聞を読む人たちや、イタリア語を勉強する僕がいた場所には、新しく綺麗なインフォメーションカウンターがあり、身なりのきちんとした男が座っていた。アンドレアが、
「ここは、図書館だと思ったのですが...」と言うと、彼は、
「図書館なら、この建物の表側にありますよ。それと、ここから歩いて5分くらいの所にクラッセンテ図書館があります」と答えた。
そんなこと知ってんだよ、と言いたかったけれど、すでに泣きそうで、言ったら自己制御不能になると思ったので黙っていると、アンドレアが、
「でも、以前は...」と言葉を継ぐ。
受付の男が、
「そういえば、昔は閲覧室があったようですね」と言うのを聞いて、僕は一人で外に出た。
親切に対応してくれたスタッフに礼を言い、僕を追うように出てくるアンドレアに、
「もう、ここに来る意味ないかもね」と言うと、聞こえなかったのだろうか、やつは、
「昼飯にしようか」と返してきた。
その後、アンドレアが事前に予約しておいたレストランへ行き、やつはワインをボトルで注文した。そして僕に、それを写真に撮れ、と言う。
アル中に、
「ドルチェはここじゃなくて、あとでバールに寄って食べよう」と押し切られ、レストランを出る。
昼食後は、中心街を散策。途中、十年前にはなかった Mondadori に立ち寄った。
新刊を眺めていると、アンドレアが突然、
「そういえば君、『神曲』は持ってるんだっけ?」と、僕に聞いた。
「持ってない」
「地下倉庫に置いてあったのか」
「ううん。『神曲』は図書館で借りて読んだから。洪水で浸水したわけじゃないよ」
「そうか。 "ダンティーノ" を名乗っているのに『神曲』を持っていないのはまずいね」
会計を済ませたアンドレアがレジのスタッフと世間話を始める。我らが地元とラヴェンナを比べ前者をディスったり、僕が日本から来て、昔はラヴェンナにいたこと、最近は詩を書いていることなどを話題に一頻り喋ったのち、
「そんなわけで今回は『地獄篇』を買いに来たんです」と会話を締めた。すると、店のスタッフは、
「読み終わったら『煉獄編』を買いに、また来てくださいね」と僕に言った。
書店を出ると、アンドレアが、
「ダンテグッズを買いに行こう!」とはしゃぐ。そこで、ダンテの墓のそばにあるショップへ行き、『神曲』の一節が印字された缶バッジ、鉛筆、栞を購入した。
店のスタッフから、
「ダンテの墓で、クリスマスを除く毎日、『神曲』の朗読をやっているので聞きにきてくださいね。今日は第11歌を読むんです。リーフレット入れておきますね」と言われ、ショッパーを受け取る。
店が入っている中庭付きの回廊を出ると、アンドレアが缶バッジを僕のニット帽に付け、声を上げた。
「ダンテだ! ダンテにしか見えない!」
「...そう?」
今思えば、なぜ "Ah, sì…?" などと返してしまったのか謎だが、やつはそれを聞くなり、
「店に戻って、同じものをあと15個買おう!」などと言い出した。
「15個って... 一体どうするつもりなんだよ?」
「君の靴下とスウェットのパンツに付けるんだ!」
その後、缶バッジの買い占めを何とか阻止し、再びダンテの墓へ戻って、各自一首詠んだ。
C’era durante
la mïa permanenza
Tomba di Dante.
Ora, la mia fervenza
è la süa presenza.
Tanka Dante
Sommo poeta
Scriveva dall'Inferno
Suo scritto allieta
Là non era mai inverno
È lo scrittore eterno
家へ帰る途中、食べ損ねたドルチェを回収するため、バールに寄った。
フルーツタルトを食べ終え、手持ちのマシュマロ6個をぶち込んだカプチーノを飲んでいると、アンドレアが突然、
「このバールの名前、当ててごらん」と言った。
クイズよりもマシュマロ・カプチーノの優先順位が高かったので、
「店名なんて適当に言って当たるもんじゃねぇだろ」とあしらうと、やつは僕の前に、テーブル備え付けの紙ナプキンを一枚差し出した。
「絶対にダンテの短歌を詠むと思っていたんだよ。今のラヴェンナは君のペンネームのもとになった詩人が眠る町だからね。今日のブログのトップ画像に使えるといいんだけど」
240111
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