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Universalな事

ほんのちょっと前までVtuberという仕組みは
ユニバーサルに人を救える仕組みだと思っていた
当然そんなこともないのはわかっていたけど
そうでない人の事など考慮の外だった
例え大麻を無料で望むだけ配給するシステムが
あったとしても全員が幸せになるのは不可能だ
大麻にもアレルギーがあるからね
それは想定していたんだけれど
そういうある意味では必然的な不可能ではなく
そこから意図的にこぼれてしまうことがあるなんて思わなかった

この界隈にいると常に変革と受容と拒絶を
凄まじいスパンで味わうことになる気がするよ
或いは社会も思想も今後は集合知として様々に
挙げられたものから推挙されたものが是となる
そんな仕組みができあがっていくのだろうな
そうなれば加速主義的見地により最先端こそが
最善であるということになる

最先端に居続けることは高いコストを要する
それは常に勝ち続ける事と同意だからね
そこから脱落したものを救う仕組みこそが
Vであってほしい
と思っていたけれども結局の所
それは何ら変わりの無いものなのだろう
それでも、とも思えるのはそれに依って様々な形で
生きている人をみているからだろうね

無

この言葉は多様性を刈り取る鎌だ
しかし、使い方によっては多様性を育む揺籃にもなりうる
『全員』の中に誰を入れるか、『一般的』の範疇をどこまで広げるか
その差は単純に寛容性に基づくものでしかない
或いは真に『万人に共通』する事はなにか
万人の最大公約数と最小公倍数を追求してもいい
ネットワークを利用し、容易に多様性に触れられる時代に
そぐわない言葉であるかもしれないが
それを拒絶することもまた不寛容であるのだろうね

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