Virtual Things という俺しか使わない略称について

実はnoteを開設したときにまず書こう書こうと思って
スポーンしてた事がありました。
それは俺が文中で再三にわたり使用しているVTという言葉です。
何回か軽く説明した事はあったけど、
今ここでその言葉を検討/再定義しましょう。

1.バーチャルさんがいっぱい

今では9000近くいるとされるVT界隈。
被っている場合も多くありますが、
独自のバーチャルなんたらを名乗っておられる方もよく見かけますね。
んでまあ色々自分で呟いたり書いたりする時にちょっとアレだなぁ、
と思って包括的な概念で界隈にいる方を一言で表せたら良いなぁ
って思ったんですよね。
んで、偶然見かけたVTという略称を何となく使っていたんですが、
今年の春くらいにふとVirtualThingという言葉が浮かんだので
実はずっとそんな感じで使っていました。
別にそんな深い意味を持って使っていたわけでもないんですが、
言葉ってのはそれなりに厳密に定義されるべきでしょう。
まず第一にヴァーチャルさん達の共通項を洗い出しましょう。
1、ヴァーチャルな空間での活動がメイン
2、アバターとアクターが分かたれていない
というところでしょうか。
1に関しては異論はでないと思います。
2に関しては難しいところです。
中の人を公言している場合にはどーなのさ、とか色々あるところですね。
もうちょい幅を広げてそのリアルの自分とは違うアイコンを利用し、
それが自分であると認識している、くらいの意味合いにしましょうか。
我ながら穴だらけな定義ですが、さしあたりゆるっと行きましょう。

2、箱詰めされた著作物

ところで私は「いずれVTというのは一つのライフスタイルになる」
という実感は日々強まっています。
それは彼/彼女らの活動の広がりがそう見せているのか、
それとも技術の進歩がそう感じさせているのか、それは置いておきましょう。
であるならば、1つの消費されるコンテンツとしてのVTから
脱却する必要を感じています。
そのためにはどうすればよいか、と考えたときに思うのは
大きな枠の必要性だったんです。
彼らをコンテンツにおとしめないためには彼らを
○○系と括るべきではないのでしょう。
無論それが利便の為であるのは理解していますが、
それが彼/彼女らの活動を定義し、
枠へと落とし込む一因になっていませんかね。
それがコンテンツ化、ということなのではないでしょうか。
ざっくりいってコンテンツとは
教養または娯楽を提供する著作物である、とされていますね。
語義を考慮すれば容器のその内容なのだけど、
流通されるそれはパッケージングまで含めての「コンテンツ」として
提供されていますね。
見る側が定義を求め、提供がそれに答える、それが資本主義です。
逆さまにしても通じる構造なんですねぇ。
その結果としてVT活動をコンテンツとして成立させてしまうのでしょう。
YouTuberの活動を模倣することで始まったこの活動が
そうしたコンテンツの跡を踏むのは必然ではありますが、
我々までその跡を踏む必要はないのかもしれません。

3、Ecce homo

全人類がアバターを使い選択的な人生をおくる、
そんな時代では人権も拡張されるんでしょうね。
そんな時代では彼/彼女らはコンテンツではなく
一人の生き物として扱われなければならないわけですから。
とするならば、彼らの外見や性格にもある種の著作権めいたものが
発生するかもしれません。
キャラクターではなく、そのアバターにも彼/彼女に
不随する人権が認められるようになったりして。
我々が生得的に人権を有するように
彼/彼女の外見も慎重に扱われるんでしょうね。
さておき、そうした彼らの集まりは大きな枠で考えるのがよろしいかと。
その上で個人にタグをつけて彼らを理解していくべきでしょう。
社会的、個人的、関係的、様々なタグをどんどん追加していきましょう。
コンテンツ化された彼らは我々にあてはめて考えれば
ステレオタイプめいています。
彼/彼女らの中身に言及することなく
彼らを偏見を込めて眺めることは適当ではないでしょう。
半面、彼/彼女ら自身が自己を定義する必要は現時点ではまだあります。
未だ彼/彼女らは目的のための存在ですから。
だからこそ我々は彼/彼女をネットで多くかたる必要があります。
そうすることで我々は彼/彼女に多くのタグをつけ、
彼/彼女の存在を確固としたものとします。
いずれ1つのプラットホームに縛られない彼/彼女らは
より多くのタグを持つことになるでしょうね。
そうしたならば、彼らの活動や人間性をリアルタイムで更新し
新たな理解の一助となるし、彼らを大きく1つの枠で見れます。

なんにでもあう便利な栓

その大きな枠を私はVT(Virtual Thing)という概念で彼らを見ています。
まぁ名称は好きにつければよろしいでしょう。
ところで最近私の数少ないフォロワーさんに問いかけてみました。

ほんの数名からの意見ですら様々にわかたれています。
それらは各々の違いを間違いとみなさない限りにおいてそれは自由であるべきです。
それが多分大事な事なのでしょう。
それは他者を尊重すること、自分の言葉委に誠実であること。
かつてネットは自由な空間でした。
多分、私はVTに自由を見ているのかもしれませんね。
VTという概念は私が出した
1つの答えでしかありません。
当然、それを他人に押し付けるつもりもありません。
勝手にこれからも使っていきます。
ファンたるならばVTとは何か
その謎に視聴者は否も応もなく真剣に取り組まされるってことですよ。

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