憂われる界隈

これほど未来を心配されるコンテンツって
VT以外見たことがないんだよね。
それまでのコンテンツって消費され尽くし
飽きられていくものだった。
発展や進化を望む声なんてない。
ただ楽しむだけ。
勿論、二次創作という手段で
盛り上げるという事は
あったかもしれないがね。
でも彼らはクリエイター側の存在なんだ。
刹那的にコンテンツを消費することこそが
娯楽という物じゃないかな?
むしろマンネリ化こそがコンテンツとして
安定した姿だと思う。
発生→生産→般化→倦怠。
これがサイクルだ。
なんども見てきた見慣れた消費風景。
なにもオタク的文化に限ったことじゃない。
すべての娯楽はそんなもんだ。
なのにまだ2年かそこらしか経ていない、
まだ色んな人やイベントがドコドコ出てくる
上り坂の界隈でここまで憂う民が
多いというのは不思議なんだ。

それっておそらく
それだけ皆界隈が好きなんだろうな
って思う。
好きの理由はそれぞれだろうさ。
でも根源的な思いは同じだと感じる。
未来永劫に界隈が続いて欲しい、
あの子達が末永く幸せであって欲しい。
って強く願っているんだろうね。
実際問題、
滅せぬもののあるべきか
ってもんだけど。
それがどんな形で終わるかが大事だよ。
例えば、今やってるVTという文化を
次の世代がどう受け取って発展させるのか。
ヴァーチャルリアリティってものが
もっと発展したならば?
アバターを利用した新しい自己実現の形は
それまでの自己実現とは
全く違うものになるのかもしれないね。
誰も疎外することのない自己実現。
有限なリソースに邪魔されない
自己実現というべきか。
夢物語もいいところだろうがね。
俺はVTにそういうモノを見ているんだ。
だから今は全くおままごとだと言われても
俺は応援したいんだよ。
だって遠からぬ未来、全人類がアバターで
生活するようになったときに
まだ匿名による足の引っ張りあいを
続けているなんて思いたくないからね。

まあちょっと昔話をさせて欲しい。
かつて俺は
色んなコンテンツの最後を看取った。
ファミコンがスーファミに
取って代わられた所をみた。
PSにサターンが負けて
中古棚を肥やすのをみた。
コミケでときメモ島の消失をみた。
葉鍵がインターネットから
どんどん消えていくのもみた。
ある絵描きがある日東方から艦これ、
それからFGOに流れていくのをみた。
その流れの中で
自分は何も寄与してこなかった
という負い目はずっとあったんだ。
俺は何も描き出せないし、
物語を紡ぐことも出来ない。
ただ消費するだけ。
オタクの結局は
消費し尽くすだけの
無名の無意味な匿名の評論家
なのかもしれない。
なんて思ってたんだよね。
でもVTって界隈は違った、と思う。
ダイレクトな投資的消費、
双方向性や将来性。
あるいはそれらも膨れ上がって行く
過程に過ぎないかも知れないけどね。
もっと平たく言うと
「俺が見たかったアニラジ」かも知れない。

批判的な声も沢山聞くさ。
それこそ
無名の無意味な匿名の評論家達の言
に過ぎないんだって
分かったような気がする。
俺は単純に俺の好きなものを好きと言って、
俺の好きな人を見たいんだ。
大事なのは

という主体を持ちたかった
のかも知れない。
そんて単純な事に気がつくのに
随分長い時間をかけた気がするな。

まあ俺ごときがなんといったところで
趨勢は変わんないだろう。
でもこれだけは言わせて欲しい。
好きなモノは好きなだけ見ていいし、
好きなもんを好きと
言う権利はあるんだって事。
不安の最良の薬は行動することか
信頼することしかないって事。
批判に心が揺れたら原点に忠実であれ。
アムロだって言ってたでしょ。
貴様ほど急ぎすぎもしなければ、
人類に絶望もしちゃいない!

ってね。
2年じゃ猫だってまだ若い。
10年経ってようやく1単元。
多分、このVTって文化は
生主文化だけじゃない
声優、伺か、エロゲ、ボカロ
色んな要素が混じってると思うんだ。
それらすら踏まえれば
まだまだ発展の余地はある。
技術は恐ろしく発達しているわけだしね。
未来はもっともっと先の先でしょうや。

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