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ツォンカパ大師の「修行の要の三つ」 意訳

チベットにおいて、いわゆる無上瑜伽タントラでの即身成仏を果たしたと有名なのは、カギュー派のミラレパ尊者と、ゲルク派のツォンカパ大師のお二方です。

この「修行の要の三つ」を説かれた事で、ニンマ派等チベット仏教の他の宗派のラマからも、「ツォンカパ大師は空性を正しく理解されている」と言われたという、大変大事な教えです。

ちなみに写真はパルデン・ハモ、ダライ・ラマ法王の護法神です。

修行の要の三つ 意訳

尊い恩師に礼拝致します

釈尊の教え全ての大事な所、勝れた菩薩方が称賛する修行、有徳の、煩悩からの自由を求める方の入口を、私は出来る限り説きます

(煩悩・悪習慣を娯楽とする)輪廻のかりそめの楽に未練なく、(現代の仏と見える)豊かで恵まれた生活環境と時間を価値あるものにしたい方、仏様が喜ぶ修行に心惹かれる、(自他を傷つけず大切に生きるのを目標とする)有徳の方は(分析する価値があると)信頼して聴いて下さい

「(自他を傷つけ大切に出来ない)煩悩よりの自由を望む本物の決意」がなければ、この三界という大海で(煩悩にとって思い通りの)満足な結果を望むのを鎮める術はありません (煩悩・悪習慣が娯楽なので)輪廻世界に執着する事でも、有情は全く煩悩に支配されていますので、まず初めに煩悩からの自由を望んで下さい

(現代の仏と見える)今現在の豊かで(時間的にも)余裕のある生活においても、死は突然やってきますから、(八難を離れた十具足の幸せも)長くは続かないと心に言い聞かせて、自分の望む権力・財産・名声等をこの人生の目標にせず、自身の行動の結果は必ずやってくると何度も何度も考える事で(過去と現在の自他を傷つけ粗末にした結果の六道輪廻がこの先に待っている事を恐れ、)来世以降の権力・財産・名声等を目標にしないと

そのように認識を深めて、輪廻世界での完璧に恵まれ全て思い通りの人生すら一瞬も望まず、昼夜問わず(自他を傷つけ大切に出来ない)煩悩からの自由を望む決意が自然に湧くようになったその時、「煩悩からの自由を望む本物の決意」が生じたと言えます

「煩悩からの自由を望む決意」も、本物の「菩提心」の影響を受けなければ、「三界全ての恩ある有情を傷つけず大切にそれぞれに合わせて一番役立つ心境」という完璧な楽を得る要因にはならないので、そんな心のある方は(自他の苦楽を背負う決意)菩提心を起こして下さい

煩悩・心と身体・死・悪魔の所業という四つの激流に流され、抵抗し難い(悪習慣からの)行為という鎖にきつく縛られ、自分への執着という鋼鉄の網で頭から沈められ、(錯誤からの)無知という暗闇に完全に覆われる

幾度となくこの輪廻世界に生まれ、錯覚や誤解等から来る今現在の直接的苦しみと変化から引き起こされる苦しみ、本来的に不快で、満たされる事のない苦しみという三種の苦しみに絶え間なく苦しむ、そのような状態の①恩ある母、有情の生き方を思い、菩提心を起こして下さい 
[煩悩・心と身体・〜そのような状態のまでが同じ句、①以下を【自分の生き方を思い、煩悩からの自由を望む心を起こします】に言葉を変えると出離心の修行を願う句になります、とダライ・ラマ法王猊下の法話より]

「実体・本体を理解する知恵」がなければ「煩悩からの自由を望む心」と「菩提心」がどれだけ深まっても、輪廻の全ての根本を断ち切れないので、(全てを)縁起の存在と理解する事に努めて下さい

(その修行者が)輪廻と涅槃、全ての存在の因果が常に間違いないと見つつ、どんな対象も全て(共通認識から名付けられた存在で、それ自体の能力・特性・本質がそれ本来の力で主体的に成立している実体・本体が)ない(と理解する)なら仏様が喜ぶ修行になっています

現れが縁起の存在で、(因果関係か似ているかの共通認識より、命名者に名付けられた、その存在以外の影響力で成立していると正しく認識される存在なのが)間違いないというのと、(その存在が構成要素に至るまで主体性・自律性がなく、実体・本体が)空であり(かつ空としての)主張を離れるという理解のそれぞれが、それぞれ別々の存在のあり方のように心に現れる間は、まだ釈尊のお考えを理解していません

いつの日か別々でなく、縁起の存在なのが間違いないと知るだけで、その対象が(他に影響を受けず)自らの実体のみで(主体的に存在し)認識が成立するものと把握する誤認が全くなくなったその時、空の見解の分析が到ったと言えます

また認識に現れる対象だから(他に影響を受けるので)本来的・絶対的な価値が(ないのに)ある(とされる常見の)存在ではなく、空だから(他に影響を受ける事で存在としてあるのに)絶対的な無駄・無価値・無意味(とする断見の存在)ではないと、空性に依る因果としての存在の現れ方を知ると、絶対的有無(常見・断見)の見解に陥らなく(中道に)なります

このように修行の要の三つの大切な所を、自身で以上のように理解出来たら、その時は静かな所でこの瞑想に努めて、究極の仏の境地を早く成就して下さい

以上、(修行の要の三つを)多聞の比丘、吉祥なるロサン・タクパがゲルモロンの土地の主ガワン・タクパに説きました

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。