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チベット仏教ゲルク派で正しい認識を修学する ツォンカパ大師の高弟より

前回はニンマ派の僧院大学にて修学する場合、4年目で学ぶ課程などにあるテキストの紹介をしました。

これがゲルク派ですと、第2章は入中論の時に修学します。およそ9年目前後から、年に2、3ヶ月間集中してになります。ツォンカパ大師の高弟、ダルマリンチェン師のテキストを意訳して紹介します。

尊いラマに礼拝致します

2  (正しい認識と)理解する(対象である)煩悩のない清々しさと一切相智、(それぞれ)そこに到る道を解説するのに
① 概論② 詳説
① 概論に
1 ディグナーガ師が著した(正しい認識と論理に対する著作、集量論の帰敬偈で上の)論を立てる 
2 その内容をダルマキールティ師がどのように解説したかそのあり方 
3 それらのお考え
1 (集量論の帰敬偈)に「正しい認識となった方、有情に利益をもたらす方、説法者、善く逝かれた方、守護者に礼拝致しまして 悪しく、錯誤した思考の有情を哀愍し、正しい認識の成立をその通りに(正しく)解説します」とあります
※大抵の集量論の偈は後半部分は「正しい認識を成立する為に自身の論書の全てに散らばっているのを一つにまとめました」とあります

この偈をまとめて解説すると、前半は帰敬偈、後半は発起序(著す理由)になります
帰敬偈で説法者(お釈迦様)を(仏様になる)要因が円満である事、(仏様になった)結果が円満である事の2つから讃えています
要因が円満である事の2つに考えが円満である事と行いが円満である事、
(その内)考えが円満であるとは、有情に対しひたすら役立とうという大悲心の事です
行いが円満であるとは、無我を理解する知恵よりの他者への利益に習熟する説法の事です
結果にも、自利と利他の円満の2つに、
自利(円満)とは(煩悩障・所知障を)離れ、(世俗諦と勝義諦の一切を)理解する自性であり、(輪廻より遠くへ)善く逝かれた3つの特性を具える事です
利他(円満)とは自身が理解した道を他に示す事で、有情を守護する性質の方である事です
というように要因が円満である事により、結果のニ利が円満である自性を具えた、正しい認識として生まれたブッタ、仏様を「真に正しい認識」と言います
(この章の題名の)「(一切相智などを)正しい認識と成立する」とは、この章の目的を表しています それも悪しき論理でいう正しい認識の定義などは誤りに繋がるので、本来のあり方を錯誤している有情らへの助けとして解説します、という事になります
② 帰敬偈である偈の前半は5つの内容にまとめられ説かれました 
正しい認識となった方 
有情に利益をもたらす方 
説法者 
善逝 
守護者 
です それらも1番目は(正しい認識と)確定する基本の存在で、その他は確定する存在に具わる特性です それらを偈の順番通りに解説したものを前からの解説、逆から解説したのを後ろからの解説と、(同じ偈ですが正しくは)2種類の解説となります
そのように(解説を)2つにされた理由も、
「正しい認識は知らない事を知る為のものですが、それ(一切相智自体とその要因の因果など)が成立する根拠(は何)も存在しません」と言う、正しい認識である一切相智を得る助け、その方法に習熟しても(正しい認識である)一切相智が(生まれないので)生まれる要因は存在しないとする批判と、
また「(正しい認識である、)そうなる一切相智が存在する、(それは)その結果や本性などが見受けられるから、とするような一切相智(という存在の成立)を知る要因も存在しない」と言う、(このように)批判する方々の誤解の1つ目を論破するのに前からの解説を著されましたし、2つ目を論破するのに後ろからの解説を著されました
考えが円満である(有情に利益をもたらす方の)大悲心は最初に(要因が円満であると正しい認識で)成立させる対象として直接示しましたが、その関連としては菩提心(などを含みます)、
行いが円満である無我を理解する知恵を利他へと習熟するのが(要因が円満である事と正しい認識で成立させて行うのが)行いの基本ですが、その関連としては支援や自分を律するなどの学ぶ事(菩薩の実践全て)を(自身が行いまた)説法するので、最初(前から後ろへ)の解説は説法者(お釈迦様)が何を実践されて結果にたどり着かれたを理解するための解説で、2番目(後ろから前へ)の解説は最初に四聖諦(守護者であるお釈迦様が有情を守る手段、利他の円満)を(正しい認識で)確定する事で、それより(結果である自利の中の)理解が円満(善逝に到っていたと正しい認識を得ますの)と、そのように(無我を理解する知恵の説法から大悲心とか、守護者から善逝のように)先の要因を確定する根拠を成立させる事で、何をどのように実践されたかの正しい理解を説いていますと(ダルマキールティ師はディグナーガ師の集量論の帰敬偈を)解説しました

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。