見出し画像

菩薩の宝石の首飾り 意訳

チベット仏教カダム派からの教えの伝統で有名な道次第(ラムリム)と心の訓練(ロジョン)。「百の心の訓練」という論書の中、1番トップに来るのが「菩薩の宝石の首飾り」です。
著者はチベットに入蔵されたインドのアティーシャ尊者、それを意訳しました。
 アティーシャ尊者の高弟が観音菩薩の化身と言われるドムトゥンパ師ですが、チベット仏教各宗派観音菩薩の化身がおられるというか、強いご縁があるのを感じます。

 写真は「心の訓練」の教えをダライ・ラマ法王猊下にお願いした時、法王猊下のサイン入りの御本を頂戴したその記念になります。

「菩薩の宝石の首飾り」

観音菩薩に礼拝致します
恩師の方々に礼拝致します
信仰する神に礼拝致します

(自他を傷つけず大事に生きるために教えを聞き内容を分析して概念的に)疑問をなくし、(自身も借り物の身、他者も借り物の身であるので有情や物を実際に粗末にせず大事にする)菩薩の行いを確かにする様、努力しなさい
あまり寝過ごさず、(分析するのを)面倒くさがらず、普段から努力しなさい
(錯覚から煩悩を離れる治療として自他を)大事にする教えを(普段から)思い出し、大事にしているかどうか(自身を警察のように)行動や言動を監視し、細心の注意で五つの感覚器官から(の誘惑より起こる煩悩に振り回されず)常に(自分と他人を)守りなさい
昼夜問わず過去・現在・未来、何度も何度も(自他を大事にしているか)心の動きを精査しなさい
自分の失敗・欠点は(自身の現状として)伝えなさい
他人の粗は探さないように
自分の能力を隠しなさい
他人の良い所を伝えなさい
称賛には謙遜し、(自分の)自慢(話はせず、承認欲求を満たす)名声は常に(求め)ないようにしなさい
ささやかな幸せに満足し、して頂いた事には(感謝して)恩返しを思い、(そのお返しとして)快適さを贈り不快を除く事を行い、全ての有情を大事にする(無住処涅槃の)状態を求める心を確実にしなさい
(自らと他人を傷つける 殺す、盗む、犯す、無駄話、分断する話、悪口、煽て、ケチな心、怒り、好き勝手に扱う心といった)十悪業から離れ、常に(自らと他人を大事にする因果への)信頼を確かにしなさい
怒りや慢心は(自らと他人への誤解や錯覚から生じるが、どちらもかりそめの存在と知って)その絶対的影響力をないものにし、心では(謙虚に誰より)一番下に居りなさい
他人を傷つけるような生活・仕事はせず、教えの通り(長い目で見て自他を大事にする)生活・仕事をしなさい
物質的な財産全てを(かりそめ、借り物なので究極頼りになる事はないと執着から)離れ、聖者の(自他を大事にする精神的)宝で(自分を)飾りなさい
(権謀渦巻く信頼おけない、拠り所にならないどんな場所の)様々な喧騒も全て離れ、静かな所に(隠遁して)住みなさい
おべっかは使わずに、(しかし)常に言葉遣いには気をつけなさい
恩師や僧院長に出会ったら、敬意を払い丁寧に接しなさい
智慧の眼を持つ方も初心者の方も、(共に)仏(大事にする仕方を教える先生)のように思いなさい
誰と出会っても、(過去には自分の)父母、子供(など家族だったと思い、大事な今の親)のように思いなさい
(自他に危害を加える、孤立無援・強欲非道・弱肉強食の世界に追い込み、粗末に扱い周りを不孝にするような)行為に罪悪感のない方と距離を置き、(自他を大事にする)恩師に仕えなさい
怒りや不快を離れ、どこでも(清々しく)快適に行動しなさい 何に対しても依存や執着を手放し、執着せず居りなさい
(自分が支配出来る物といったような錯覚・誤解からの)執着で(様々な誘惑より煩悩を我慢出来ず十悪業を行うので)「幸福な(今世、来世という)転生」すら得られず、涅槃の楽への可能性も断ってしまう
どこでも(自らと他人を大事に思いその価値を理解して)楽の対象と見るよう常に努力しなさい
(分析し、やるべき、やろうと)始めた事は、まずやり切りなさい、そうすると全て大事に事が進む、そうでないなら(分析したのに始めなかったり、分析せず始めたなら)どちらも(菩薩の行いに背くので)意義あるとは言えない
常に悪事を望まず、私が上と思ったら、(有情を大事に出来てない自分の)鼻をへし折り、恩師の教えを思い出しなさい
落ち込んだら(煩悩からの自由を手に入れようとする自分の)心の良い所を褒めなさい
思い上がっても落ち込んでも(自らと他人は共に自身の力のみで勝手に存在する実体・本体のない)空性と瞑想しなさい
(錯覚から)何かが依存(陶酔)・逃避・加害したい対象として現れても、(私も相手もモノも借り物でその名付けられたそれ自体の一々の条件にも何処にも実体・本体はない)幻や魔術のように見なさい
聞きたくない嫌な声・言葉が聞こえたら、滝の音のように思いなさい
身体を傷つけられたら、前世の業と思いなさい
郊外の静かな場所に住み、野生動物の亡骸のように人目につかず、執着せず住みなさい
常に守るべき(菩薩の)行いを確かにし、面倒くささ・怠け心が起きたら、(自他の将来に待っている)いい事を数え、菩薩の行為そのものの価値を思い出しなさい
誰かと接する時は、(自らと他人を大事にしようと)穏やかに必要なだけ話し、(自分の修行の邪魔をされる等と)不機嫌にならず、常に笑顔で大事にしなさい
どんな時も、人と出会ったら、(自分の貴重な時間と労力が無駄になったと)ケチケチせず(自分として他人を出来るだけ)支援し得るのを喜びなさい
全ての嫉妬を離れなさい
他人の気持ちを(更なる煩悩より)守るため、どんな批判もせず常に忍耐強くいなさい
(他人を)無視したり、初対面から(馴れ馴れしく自分の身の上を)話し過ぎないように、適度に(距離をとって)接しなさい
他人を貶めず、敬意を持って接しなさい
他人に(教えの)ポイントを教える時、雑にせず分かりやすく教えなさい
(人を大事にする様々な考えや)教えを否定せず、(自他を大事に扱う)信頼出来る対象を求め、十法行を行い昼夜なく努力しなさい
過去・現在・未来の大事にするよい行いはいずれも、三界全ての恩ある有情それぞれに合わせて一番役立とうという心境(無上の菩提)に回向しなさい
功徳で有情を満たしなさい
常に礼拝供養など七支の大祈願をしなさい
その様にすると功徳と智慧の(二資糧)双方が極まる
煩悩障・所知障(の影響)もなくなるので人として生まれ甲斐のある無上菩提を得る
信仰という宝、自分を律するという宝、支援(するのを喜ぶ)という宝、多聞という宝、自分を戒める宝と(決心したのにまた誘惑に負け悪行をしたいと思うのを)恥とする宝、知恵という宝の七つの宝は勝れた宝、尽きる事のない宝で(神など)人以外には話さないよう
人との間では発言に注意し、1人の時は心の動きに注意しなさい

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。