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三宝

帰依、入信といえば、その宗教を信仰するしるしと言えます。

例えば仏教ですと、三宝に帰依すると仏教徒で、三宝から護られる訳です。

三宝の仏宝とは聖者である仏陀、法宝とは仏菩薩や声聞縁覚の聖者の心や悟り、僧宝とは仏菩薩や声聞縁覚の聖者ご自身を指し、いずれも煩悩を離れた存在です。

煩悩を離れた方が必ずしも予知能力や超能力を持つとは限らず、またスピリチュアルな能力の方が煩悩を離れている方とは限らないのは誤解されやすく、注意が必要です。

煩悩を離れる道を説くラマや先生方は指導はされても、支配はしません。先生の仕事は生徒の能力に合わせた自主性を引き出し育む事で、命令されて行う行為はいわば洗脳状態になってしまうからです。

世間的権力者が利益を約束する事で支配者になりやすいように、精神世界・スピリチュアルな能力者は洗脳から支配者になりやすいのは、色々な事件からも判断出来ます。

帰依、入信は誰から指導を仰ぐかという話ですが、これはあなたが何者になりたいか、誰を目指すか、煩悩を離れたいか、それとも自他の損得・賛否・苦楽・名誉と恥を思い通りに出来る人になりたいか?という事を理解する事、はっきりさせる事です。

ですので、それがはっきりしたら、日常的に煩悩が起こった時に、「私は仏法・三宝と世界の支配者のどちらを目指しますか?」といった質問を自分に問う事が出来ます。これは煩悩と戦う力、法輪になります。いつか法宝になるので、今は小さくても、大きな意味を持ちます。

そう自分に言い聞かせ、今年も頑張ろうと思います。

合掌 (写真は弥勒菩薩)


インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。