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密教修行としての祈り

密教の祈り、ご祈願については、各密教寺院のホームページなどにもありますので皆様もご存知かもですが、良ければ読んでみて下さい。

家内安全・合格祈願・心願成就などの現世利益のご祈願、ご祈祷と言えば神社かもしくは密教寺院などの祈願寺か。
いずれにせよ今現在や将来・未来にわたっての幸せへの希望、願いは、誰しも当然の事と思います。

それに対して色んな祈り方があると思いますが、これは密教の祈りに関しての話です。

煩悩を離れた仏菩薩方などに、帰依し菩提心を起こして、滅罪や徳積みをして祈る事は価値があり、大きな功徳です。顕教の仏菩薩方は全ての生命の味方であろうとイメージもしやすいですし。

対して密教の成就者やご神仏は、知らなければ煩悩を離れているとイメージ出来ないようなビジュアルや言動が多い。

ここで大事なのは信頼関係です。顕教での師弟関係は愛情深い親子のような、または友人のような関係性で経論を学び、分別心を使い取捨選択しながら行動、また祈願します。

密教での師弟関係は剥き出しの感情や意識の分、関係性がもっと濃いのかなと、師マルパと弟子ミラレパの伝記などから思います。

アティーシャ尊者と弟子のドムトゥンパも、普段から教えを教わる事はなく侍者の用事ばかりだったようです。それでも、「このまま何も教われず死んでも悔いはない」と弟子のドムトゥンパは言われていたそうですから、師へのその信頼は特別だったのでしょう。

この師弟関係は見た目や世間体ではなく、師も弟子と共に何を実践しているかへの信ではなかろうかと思います。それは慈悲と智慧の実践に他ならず、だからこそそこへの祈りにも価値があると思っています。

さて、密教修行の成就の頂点は金剛薩埵などの三身の成就、つまりは成仏ですが、息災(災いが鎮まる)・増益(得する)・敬愛(愛される)・調伏(敵を倒す)などいわゆる現世利益の成就を祈る修行もあります。

ここで大事なのは、いわゆる欲や怒りからの現世利益の祈願は、六道輪廻のタネを蒔く事になるという所です。

つまり私達の普段の心境と変わらない連鎖が続くという事です。

密教の場合、私達が祈る対象は煩悩を離れ全ての生命、有情の味方である三宝もしくはラマ・本尊・護法神です。

修行として行う場合は自身も全ての生命、有情の味方であろうと祈るので、煩悩ではなく正しい認識を目指す祈りとなり、その心が本尊になります。だいたいそのままご神仏をご供養し、ご祈願するパターンです。

全ての有情の味方としてそれぞれの願いを祈り、正しい認識を本尊とするので煩悩の対処もする、正に一石二鳥の修行となり得ます。祈る事で現状に対処する気持ちが保ちやすくなるはず、です。

一般の方で密教修行者でなくても、他者を傷つけず大事にしようという気持ちで三宝に祈る事で、正しい認識に近いベクトルで祈るので、三悪趣に繋がるタネを蒔く事になりませんし、三宝は煩悩を離れ全ての有情の味方ですので、どんな宗教や神様ともケンカせず、味方であろうとしますのでマイナスはないように思います。



インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。