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あまり知られてないかもしれないが、実は左右固定派もキャラ解釈を重視している

 定期的に「左右非固定だから何でも食べられるんじゃなくて、解釈を優先した結果として左右関係なくどっちも食べられる」という旨のpostがバズるが、その度にタイトルにあるようなことを考える左右相手固定派の腐女子、少なくない数いると思う。私もその一人だ。今回に限らずこれまでもこういうpostを観測する度にモヤモヤしてきているので、ここらで自分用に考えをちょっとまとめてみることにした。約一ヶ月前のバズりを元に書くのも今更感あるが、そこは大目に見てほしい。

◇そういった文言の何がフックになってモヤモヤしてしまうのか?

 私がこの手のpostを見たときモヤモヤするポイントを考えてみたところ、

①「左右より解釈を優先」みたいなことをわざわざ書く必要はあるのか
②そもそも版権のCP二次創作の界隈において「解釈を優先する」はそこまで特別なことでもない

 この二点に集約された。

 まず①の「『左右より解釈を優先』みたいなことをわざわざ書く必要はあるのか」について。これを言いがちな人種は大抵「左右はただのセックスポジションに過ぎない」みたいな考えもセットで持っているのだが、これは半分しか合っていないと思う。何故ならセックスはCP創作における攻めと受けのコミュニケーションという面が強く、そのコミュニケーション中にどっちがどのポジションでどう振る舞うか、というのにはキャラ解釈が如実に表れる。よって私は「左右もキャラクター解釈の一要素である」と考えている。

 上に書いたのはあくまで私の考え方だが、固定派の腐女子は、大抵の場合原作・公式を己の何かしらの基準と照らし合わせて左右を解釈・判断している。なので非固定派の言う「左右より解釈を優先した結果非固定になった」という言葉はピンと来ないことが多い。

 それで、厄介なのが、非固定派側からしたら「左右より解釈を優先している」は別に固定派への当て擦りのつもりではないということである。(悪意がない分悪質であるとも言えるが)

 そもそも「左右より解釈を優先」とは、本当は何を意識したエクスキューズなのだろうか。それを考えるために、「左右より解釈を優先」に対してポジティブな言及をしているpostを100件近く根性マイニングで観測していった。その結果、「(非固定だからといって)何でも食べるわけではない」的なワードが3回に1回くらいの頻度で見つかった。なので、恐らくだが、「左右より解釈を優先してるから非固定」という文言における本来の仮想敵は、

・「攻めと受けがいれば何でもいいです!」という本当に何でも見るし何にでも萌える雑食の人種
・原作や公式での関係性を完全に度外視して、容姿や声帯等のキャラクターの表面的要素の良さを追求したCPを組む人種
・非固定派に対して上二つのような偏見を持つ人種

なのだと推測される。

(仮想敵と言うとちょっと字面が強いかもしれないが、要は「あれと同類と思われたくない」みたいな対象なんだと思う)

 で、その仮想敵を意識したpostはどうしても「私はキャラクターを表面的にしか見ていない人種とは違ってこだわりがある」みたいなニュアンスを帯びる。それを「左右より解釈を優先」みたいな文言で表すことにより、「左右はキャラクターの表面的要素に過ぎないものであり、私達はその表面しか見ていない人種とは違ってこだわりがある」みたいな読解が可能になってしまう。要は、ワードチョイスのせいで、予期せぬ当たり判定が発生してしまっているのだ。

 こういう予期せぬ当たり判定による事故を観測したのは一度や二度ではないため、固定派のひとりとしてはそろそろ「左右より解釈優先」とは別の言い回しを考えた方が互いにとっていいんじゃないかと思う。本当に悪気がないのなら尚更である。例えば、立場を逆にして、固定派が「解釈を優先しているから左右固定」的なことを言ったとする。すると「非固定派は解釈を優先していない」というニュアンスを感じ取ってしまう人はどうしても出てくるだろう。

 こういった主張は言葉狩りだって思われるかもしれない。しかし地雷持ち固定派も「地雷という表現は良くないのではないか」「死ぬわけでもないのにアレルギーという表現は大袈裟ではないか」みたいなことを言われまくっているので、固定派からも非固定派に対してこのくらいの提言があっていいはずだ。もちろんこの提言に従う必要はないけれど、「予期せぬ当たり判定が発生しているよ」ということだけ認識しておいてほしい。

 次に②「そもそも版権CP二次創作の界隈において『解釈を優先する』はそこまで特別なことでもない」について。結論から言ってしまうと、私は「キャラクターの解釈を優先した結果として○○(任意の属性名)になる」っていう文言はバーナム効果みたいなやつなんじゃないかと最近考えるようになった。

 バーナム効果というのは、ものすごくざっくり書くと、多くの人に共通して当てはまるようなことでも「自分のことを言われている」って思ってしまう現象のこと。要するに、オタクは固定だろうが非固定だろうが、また推しCPの性別が何であろうが、何やかんやで解釈優先でキャラやカップリングを消費してるんじゃない?と私はにらんでいる。特にXに棲息しているようなオタクは九分九厘そうなのでは?という霊感がある。ときには公式や原作者相手に解釈違いを起こすオタクがいて、その嘆きpostがバズるのもその傍証になりうると思う。

 なので、発信する側はpostを打っているときに「キャラ解釈を優先しているのは別に特別なことではない」というのを自省・自戒した方がいいと思うし、受け取る側も「それは皆そうですね」くらいの温度感で流すのが一番精神衛生上良いだろう。
 

◇まとめ

 身も蓋もない話をするが、固定派をはじめとした多くのオタクにとっては、解釈の中身こそが重要なんだと思う。その状況で「解釈を優先している」とだけ言われても「はあ、そっすか……」としかならんし、その解釈の中身を参照した結果「本当に解釈優先した?」と首を傾げることもある。

 ここまで書いてきたのはあくまで個人の考えだ。しかし、似たようなことを思っていたり同じくモヤモヤ固定派はそこそこ存在しているのではないだろうか。そういった層にこの文章が届いて、「そう、それ!」とスッキリしていただけたら幸いである。

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