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「世間」に溶け込みたくねえなあという話

 体感だけど、SNS社会になってからオタクも世間からの見られ方をかなり意識するようになってきたなと思う(世間からの見られ方を意識するオタクがメイン発信層になったのかもしれないが)。それ自体はとても良い傾向であると考えている。社会生活を送る上でそれはとても大切なことであるし。

 そんな折、ATSUGIの「ラブタイツ」という広告企画がどえらい燃やされ方(あえてこう書く)をした。「メイン顧客層のことを考えろ」や「どこ向きにマーケティングしているのかわからない」等のご意見が出てきて、最終的には「世間様にキモ・オタクの好きそうなキモい萌え絵をお出ししたのが悪い」みたいな感じの意見になっていた。そしてATSUGIのツイッターアカウントが謝罪した今も参加したイラストレーターさんへの誹謗中傷が続いている。

 私は萌え絵が好きであるけれど、萌え絵が苦手な人の価値観も尊重されるべきであると思う。そして企画担当者はメイン客層にここまで萌え絵が苦手な人が多いとは思っておらず、想定が甘かったのかもしれない。加えてATSUGIの公式ツイッターのオタクっぽいノリに対して、眉を顰める人が多かったのは事実だろう。
 しかし、だからといって、企画に携わった人たちをここまでボコボコに殴っていい権利や道理は誰にもないのではないか。

 ATSUGIの広報活動が何らかの法に触れたり、また直接的に人命に関わるような重大なアクシデントやインシデントを起こしたり、他者の権利を著しく侵害したのであれば抗議したい気持ちはわかる(それでもネットリンチに発展するのは駄目だけど)。しかし、今回の問題視された「下着やプライベートゾーンを『見せていない』女の子の絵を紹介する」「イラストを提供してくれたイラストレーターさんの画集を紹介する」「オタクっぽいノリではしゃぐ」というATSUGI公式アカウントの振る舞いは果たして、それらに当てはまるだろうか。私にはそうは見えない。
(念の為書いておくと、萌え絵を見て気分を害しただけのことを「権利を著しく侵害された」とは言うのは無理がある)
 付け加えると、特にツイッターのポリシーにも反するようには見受けられなかった(というか、反しているのなら既にそういうツッコミが多々入ってるはずである)。

 恐らく批判しているうちにそこらへんにツッコミが入ったか、もしくは批判しているうちにそこに気づいていったのか、批判側の意見は「世間を怒らせるようなマーケティングをしたのが悪い」という風にソフトランディングしていった。「オタクっぽいノリを世間に開陳したのが悪い」というパターンもある。
 だが、これらも「だから公然と殴っていい」という理由にしてはいけない(もちろん「あれダサいよね」とか「あれはないよね」と感想を述べるのは自由であるが)。

 冒頭で述べたように、最近はオタクも世間からの印象を明確に気にするようになり、それ自体はとても良いことだと思う。しかし、オタクっぽいノリを開陳したことが「世間」から疎まれて、その「世間」から疎まれるようなことをした瞬間寄ってたかって殴ることが受容されているのは、さすがに「世間」の方がおかしいと思う。

 というか、「世間」とは可変・流動的なものだ。例えば、かつてはランドセルの色は男子は黒・女子は赤なのが世間の常識で、たまにピンクのランドセルを背負ってる女子がいて「珍しいな」となるような時代が確かにあった。しかし今やランドセルのカラバリは増えて、「女の子だからってだけで赤のランドセルを買うのは良くない」というのが社会通念となりつつある(もちろんまだ女の子といえば赤、という考えの人もいる)
 更に言うと、「男子厨房に入らず」が世間の常識だった時代は確かにあり、その「世間」に皆で抗ってきた結果、家事に参加する男性が増えてきているのではないか。

 上記に挙げたもの以外にも、かつてあった社会通念が変わった、もしくは有志が力を合わせて変えてきた例はたくさんある。いま世間一般で常識とされている考えでも、十数年したら全く見当外れのものになる可能性は十分にあるのだ。なので、法やルール、ポリシーとして明示されていない規範を守りたい場合、「世間」というあやふやなものを主張の後ろ盾として使うのは止めた方がいいと思う。

 重ねて書くが、対外的な印象に気を遣い、世間や社会通念にある程度迎合することは社会生活を送るにあたってとても大切なことである。だが、それをしなかった不届き者を囲んで殴るところまでが「世間」であるのなら、私はそんな世間には溶け込みたくない。

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