見出し画像

レゲエの根本的にややこしい話


今日はインフル予防接種とメガネ受け取りに行ったついでに、名駅シネマスコーレで映画『ルードボーイ トロージャン・レコーズの物語』というレゲエ1960~70年代のドキュメンタリー(好きなもんで)を見て、たいへんに楽しんで、終わって「はやく帰っていろいろ聞こう」つって、

けどこれね、なんちゅーか、「トロージャン(レコード会社/レーベル名)」という切り口ではプレイリスト作ってなかったなあ、つってさっき即席で作って(「250曲、4時間以上」というなかなかのボリュームになった)、流してて楽しくはあるんですが、これでナニゴトかの理解が深まるかというと、これもまたムツカシイっちゅうか、せいぜい当時の事情を覗き見る(おもにさっき映画で済んでる)っちゅうか、ねえこれ。

たとえば自分の20~30年前とかの若い時ね、いろいろ、違う名前で「〇〇レーベルの名作コンピレ」みたいなのを目にしちゃあ買ってみて、「あれこの曲は知ってる……」「この人あっちのにも入ってるなあ……」とかいうのを、ぜんぶ「よくわからん」で片付けて「(勝手にわかるときが来るまで)あまり気にしない」という姿勢を身に着けてきたのが、「……ま、それしかなかったな」という結論ではあるんですが、

たとえばね、ボブ・マーリーでも「アイランド」「タフ・ゴング」はともかく「ステューディオ・ワン時代の」とか、「JADの」ボックスセット(けっこうな聴き応え)だったりは、「その初めて聞いた『JAD』つーのはナニ?」とかなるんですが、

だけど気にしない、「名作」「聞くべき」って雑誌が言ってたら買う、そんなんでやってきたのがCDとかパッケージ時代の立ち居振る舞い、だったなあと。サブスク時代はどうしてんだろうか、パッケージ単位ではない、んだろうなあ。

+++++++++++++++

そんでですね、昔のレゲエ(スカ、ロックステディ)のややこしさの根本は、当時ジャマイカから大量にイギリスに移民が渡って(映画の字幕では1年(?)に「10万人」)、白人社会に元植民地の黒人がガンガン来て、そりゃ差別もケンカも、子どもたちも学校で大変だったり。

そんでジャマイカ移民は、ジャマイカ音楽が聞きたいから本国からレコード仕入れたり(ここでまず同じレコードのジャマイカ/イギリスの別レーベルの同タイトルが生まれたり)、イギリスで独自レーベルを立ち上げて新録をプレスしたりするんだけど(それがたとえばトロージャン)、ジャマイカからも有名シンガーやミュージシャンを呼んだりするから、それをまたジャマイカにディストリビュートしたり(また別会社になったり)、そしたらジャマイカでもヒットしたり、もうグッチャグチャなのねその時期は、レゲエ自体がね。あっちではこのレーベル、こっちではこのレーベルで同じレコードが出てるとか、でマニアは「こっちのが音がいい」とか。

そいで今回、映像で見れたのが「スキンヘッズ」「モッズ」つまり英国白人の低所得層の不良の若者とジャマイカ移民ユース不良「ルードボーイ」との交流・連帯があったという。それがパンク/ニューウェーブにつながっていくという、ハナシでは聞いてたけど、やっぱハナシだけではなあ、こうして映像で見してくんないとなあ。いやつながってるね。ここ見れただけでも値千金でしたね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?