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僕はずーっと考えている。

 音楽って確かに楽しいものだけど。
「(お金の動きの為の)音楽が無くなったって全然平気だし、人間は音楽が無くなっても(全ての音楽配信は止まり、パッケージされた音楽ソフトが仮に、世の中から一気に消えても)、人間は生きていける。」
 と、思ってきたし、稀に知人に漏らす事もあった。

 その理屈は今でも変わって無いのだけど。
かりに世の中から「再生出来る音楽」や「楽器」や「電気(電源)」が無くなっても、その悲しさで死ぬ事は無い。(自死はあるとしても。)
 別に音楽が無くても、世の中には「音」は発生していて。「風の音」「空気の音」「雨の音」「動物の鳴き声」「動く音」「稼働している音」「動作の時に出る音」等々ひっくるめて。またはそれらが妙にかけ合わさって「音」は出てる。それってそれだけで楽しいものだ。

 音楽(=楽曲 と定義したなら)の要素は、「意図して構成されている。」、コレだと思う。
 曲の流れや、昨今近代音楽なら「BEAT」や「rhythm」を軸とした【一定の拍があって何某かのフォーマットをベースに『構成』がされている「音」】が必要となったら、人間は自分で音の「構成」を作ったり混ぜ合わせたりして、自分で(又は複数で)楽しんでいくと思う。

 音楽の無い生活が考えられなかったりするのは、多くの場合は「人」や「状況」に対する執着だと思う。「音楽」自体に関係ない事がほぼ殆どだと思う。現代において音楽の殆どは「ツール/リーズン」だと思う。
 お酒を飲む為。大勢で騒ぐ為。そこで共通認識を確かめたい為。自己を保つ為。等々。
又はお金を作る為。それを仕事とした為。音楽に関わるマーケットの一部のパーツになっている為←生きる為。
 または暇潰しだ。有意義に暇潰しを行う1つのツールだ。

 そんな感じの事をずーっと考えてた。
 DJのプレイを中心に、バンドライブやホールオーケストラ等々 音楽で楽しんだり感動したり、客の入ってる中で、自分で音楽を含んだ空間を一定時間 楽しく操作して作っていた時、その時間を作る為に大量に音楽を探して聴いて、準備する事やモチベーションを管理する事も楽しんでいた時も、通して一歩引いた自分の目が冷めた目で見ていた。

冷めてる 。

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