04.勇気ちひろとは「エゴサ魔」である
タイトルでぎょっとする人もいるかもしれないが、本人も配信中に言及しているのだから、これも歴とした事実である。自他ともに認める、タイトル通り勇気ちひろとは「エゴサ魔」である。
配信後は当然、暇さえあればスマフォ一つで様々な語句を検索欄に打ち込んでいるようである。この「暇さえあれば」には、なんと配信中も含まれるのだから、やはり魔である、魔。馬鹿にしているわけではない。断じて。
当然いつもというわけではなさそうだが、少なくとも配信後のエゴサはおそらく一日たりとも欠かすことはないと予想する。
個人的に好きな漫画「推しの子」にもあったが、世は個人ですらエゴサでマーケティングリサーチが無料でできてしまえる時代だ。ただ承認欲求を満たすだけでなく、ビジネス面においてもエゴサは重要である。そりゃやるよな。私がもしインフルエンサー級の何者かであれば絶対にやってる。
しかし、エゴサとはなにも当人にとって良いことばかりではない。ストレートな罵詈雑言もあるだろうし、私のような人間の言葉もあるだろう。すみません。
筋の通った反対意見なら反省材料と捉え、まだ有益にもなり得るが、普段見なくてもいいような言葉のナイフをわざわざこちらから体に刺しこむような行為でもあるのだから、エゴサとは正しく諸刃の剣だ。私の推しも、あるいは貴方の推しも、例外なくエゴサで不必要にメンタルを削られているのだろう。
それでも彼女はエゴサを一日とて止めたりはしない。それはひとえに、ファンの言葉を一文字とて取りこぼさない、という強い意志があるからだ。
ファンにしても、推しに自分の言葉や存在そのものを認知されるのだから、推し活をするうえでこれ以上に嬉しいこともそうないだろう。
もしかしたら、貴方の何気ない発言も推しに一言一句チェックされている、否、してくれているのかもしれない。自分のためだけでなくファンのことを想い、数え切れぬ悪意ある言葉の森をかき分け、自らの精神を傷つけながら、それでも我々一般人の言葉に耳を傾けてくれている。この瞬間でさえも。
ほら、そう考えると何だか
推してみたくもなりません?
しかしこれ、最初に知った時は結構驚いたものである。わたくし事にはなるが、一応別記事で触れておくことにしたい。有閑な方はどうそ。
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