見出し画像

07.勇気ちひろとは「敏感」である

最初にこちらを。まだ死にたくない。
全記事リンクはこちら


どうせこういう記事を
期待してんだろ?
野郎どもはよお!


というわけで、早速逝ってみようか。私も死を覚悟して綴りたい。ここから先は注釈の一つでもある、誤解や主観たっぷりの超個人的「勇気ちひろ」感でしかない。苦手な方は注意されたし。

まずなにが「敏感」かという話だが、大雑把に五感であると考えている。それぞれの器官に焦点を当てて説明したい。うーん、そこはかとなくきしょい


聴・嗅・味・視・触



1.聴覚

まず事実確認として「耳ソナー」なる推しのパッシブを説明しておきたい。

具体的に誰が言い始めたかはわからないが、とはいえおおよそのAPEXコラボ相手がそう感じているだろう。推しはすさまじく耳がいいのである。

FPSとは索敵が重要。足音も立派な情報の一つで、そこから相手とのおおよその距離感や方向を知ることができる。

APEXも御多分に漏れず重要なのだが、足音を聞かせたなら推しの右に出る者はいない。誰よりも早く感知するのは当然、驚くことに足音だけでレジェンドの判別がつくのである。

推し以外のAPEX配信を観る時もあるが、誰よりも遠くからこんな芸当をやってのけるプレイヤーは推し以外に未だかつて見た事がない。一度でもAPEXを遊んだことがあるなら、そのすごさがよりわかるだろう。マジでどーなってんのその鼓膜。耳にブラハおるって

プロもお墨付きのその耳の良さから、

もしかしたら勇気ちひろって
五感全てが敏感なのでは?

と、いらぬ妄想がグレンラガンよろしく走り出した結果がこの記事である。もう一度言うが、苦手な方はどうぞ出口はあちらです。つわものどもは続けーい!



2.嗅覚

これも主観ではなく事実寄りなので、まだ幾分マシである。おそらくめいびー。

いつぞやの配信で確かに推しはこう言っていた。

鼻の中に毛がない

というボーボボが知ったら卒倒しそうな事実を。

どの配信かはさすがに思い出せない。真偽も確かめようはないが、他ならぬ推し本人の言葉であれば、嘘ではないと信じる他なし。

しかし、鼻の中に毛がないだけで敏感と断ずるにはいささか早計だろう。それなら鼻毛カッターやらなんぞやで鼻腔内をつるぴかぴんにしてしまえば、誰でも推しのような嗅覚を得られてしまうのでは?

確かにそうかもしれない。感覚なんて自分だけのもの。他人と比べる方法はゼロに等しい。確かめようがない。故、ここからはさらに主観と妄想たっぷりに語らせていただく。ギアを上げろ、真波

推し配信を観ていればよくわかるが、「私の味覚を信じて欲しい」旨をよく言及している。味覚は嗅覚とはまた別の器官なのだが、鼻をつまんで飯を食せば味のほとんどがわからなくなる通り、味とはほとんど舌ではなく「鼻で味わっている」のである。

その裏付けと考えれば、推しは間違いなく嗅覚も敏感だと言えよう。実際、毛のない鼻腔内もあってか、推しは「鼻炎」のデバフもある。常に発症していないとはいえ、長い付き合いであることは想像に難くない。

以上を踏まえて、次に語る器官は当然下記となる。



3.味覚

さて、難しいのがこれだ。なにせ食べ物のうまい、まずい、だなんてほとんど好みの問題。芸能人格付けチェックよろしく「どちらが高級か」を100%言い当てられたのなら信用もできるが、生憎今のところそのような企画はなさそうである。

しかし、推しの苦手なものとして「からいもの、炭酸」が挙げられる。これもまた、配信中に幾度となく本人からの言及があるものだ。仮に味覚、つまりも敏感であれば、両者とも刺激物と捉えられるものに対して苦手なのも幾分筋が通るというもの。痛いもんね、両方とも。

というわけで、やや説得力に欠けるがこれにて味覚も敏感であるという証明にしてしまいたい。嗅覚で述べたに同じ、推しが「(味に対して)任せて!」と豪語するのだから、当然舌、つまり味覚も敏感なのだろう。そのほうが色々と捗るし助かるもうそれでいいだろ! いい加減にしろ! 次行くぞ次!



4.視覚

コンタクトしてんじゃん。オフは眼鏡もかける時あるって言ってんじゃん。けっして良いとは言えない視力。これはちがくね? そもそも視覚が敏感って一体どういうことよ。

確かにそうだが、よく思い出してほしい。推しはあの戦況変化目まぐるしいAPEXプレイ中でさえも、時にコメント、及びコメント投稿者の名前すら把握している瞬間があるということを。

当然プレイ中の全てではないが、それでも驚異的だ。にぃにねぇねにとってはお馴染みだろう。本当によく見えている。視覚が敏感とは単純に視力の話ではなく、日常目にするもの全てに対して敏感だということだろう。

例えば、ふと自室に戻った際、物の位置が変わっていたり、何かが無くなっていると瞬時に気づけるような。予想でしかないが、推しはその辺に対して敏感こそすれ、鈍感では決してないように思う。

几帳面な部分はマイクラ配信からでもよくわかるはず。視覚が敏感、更には几帳面とはとどのつまり、些細な変化に気づける人間、のように思う。

故、これも少々力押しだが視覚も敏感だという証明としたい。日頃からリスナーに対する配慮も並々ならぬ推しは、ともすれば目には見えない心の機微ですらも鋭敏に見えている。そう思えてならない。



5.触覚


うひょー待ってました!

これに関しては確かなソースもなにもありません
ですので皆様の思うままに舵を切ってください

はい!
私は敏感だと思います!



はいよくできました!
にぃにとしては0点ですが、糞にぃにとしては2434点満点の解答です!
おめでとう!ありがとう!

とはいえここまでの他四感全てが敏感だと仮定すれば、当然触覚も然り、というごく自然な結論が導き出されるもやむなしといったところ。


故に

勇気ちひろは「敏感」である
QED



ほら、そう考えると何だか
推してみたくもなりません?




待て待て。さすがにこれじゃ酷すぎる。
いくらこんな人間厄介ガチ恋勢が綴るとはいえ、いくらなんでも推しに対して無礼が過ぎるって。


というわけで、長くなったが以上の事を前提として、真に読まれてほしいのはここから先となる。今までのおふざけも全て水に流してほしい。なお、この先は最高速度の妄言2434%となる。お前が流されろ



五感が敏感、言い換えると「神経過敏」とも言える。過敏とは字の如く、必要以上に感じとってしまう、ということ。それは時に、快適であったはずの人生を阻害するものにもなりかねない。


1.聴覚

少しの物音で目覚めてしまったり、聴こえすぎから、牽いては頭が痛くなったり。音とはいつも不意に飛び込んでくるもの。不可避な上に、耳は両手を使わないと塞げない。隅々まで聴こえてしまうということは、聴こえなくてもいい音まで拾ってしまうということ。何かと生活に支障をきたすのは想像に難くない。



2.嗅覚

におい、とはそこいらに常に充満している。隣の人が全く気にならないものでも、推しにとっては看過できない香りも少なくないだろう。
また聴覚に同じ、においもまた不可避な感覚。これもまた、人より余計な気苦労を感じて生きてきたのではないかと推測する。



3.味覚

嗅覚も含め、人よりおいしいものが微細に判断できるということは、すなわち逆も同じ。好き嫌いが多い、と揶揄されることもしばしばあるのかもしれない。好みなんて人それぞれと一蹴するに容易いが、「そんなことが理由で?」、と時に共感を得られない疎外感の耐え難いシーンも少なからずあったように思う。



4.視覚

誰も気づかないが、私にだけはわかる

そう気づいた時にはもう、余計な事に首を突っ込んだ後だった。そんな出来事もあったのではなかろうか。

誰も気づかないなら私がやるしかない。それが余計な気遣いであっても、気づいてしまったのなら、もう自分に嘘はつけない。時に引くに引けない状況に陥ることもあったように思う。

まるで皆は楽しそうなのに、あたかも自分だけが苦労しているかのような───よく見えるということは、時にそんな被害妄想ですら望まずとも生み出しかねないのかもしれない。

世の物事の大半は、手を加えるより放置するほうがずっと楽だ。しかし、見えてしまう。気づいてしまう。どうして誰もわからないのだろう。ならば、私がやるしかない。そんな余計な浪費を、推しはずっと昔から、それは今も同じで、やむなく背負って生きているのかもしれない。



5.触覚

体と心はいつも密接にリンクしている。触れることに過敏であるのなら、心の機微だって人よりずっと過敏、つまり繊細のように思う。

ジェンダー云々と浸透して久しいこの時代ですら、未だに「女性は男性より感情的だ」とのたまう人間は少なくない。こと喜怒哀楽のはっきりしている推しは、そのことで余計な陰口を叩かれやすいように思う。

「普通の人ならそれぐらい我慢できる」

確かにわからなくもない。しかし、そもそも普通ってなんだろう。貴方と私では、まず体の造りが違う。重たい物を持てる限度だってきっと違う。ならば、心も同じだ。どれだけ耐えられるか、だなんてきっと貴方とは違う。同じなわけがない。

貴方の痛みは貴方のものでしかない。私にはわからない。だから、貴方も私の痛みはどうしたってわからない。心配や励まし、知ろうとしてくれる想いは嬉しいが、同じにはしないでほしい。難しい問題だが、昔も、今なおもそんなケースにぶち当たってしまうことが多かれ少なかれあるのだと推測する。




全ては感覚の話。人それぞれなのは当然。推しを推すあまり、推し寄りに多大なバイアスが引っかかっているのには否めない。すみません。

しかし、実際に推し当人の身体は健康体とはいえ鼻炎頭痛もちといった症状や3D酔いのしやすい体質感情移入の速さ=繊細さも鑑みれば、やはりあながち間違いでもないように思えてくる。

上記の仮説も概ね正しいとすれば、誰にでも少しはそういう側面があるとはいえ、人生の様々な点で「人とは違う」ということを意識づけられ、共感を得られず、時に孤独に戦ってきたのだろうと推測する。

そんな推しが今、信じられないことに自ら数多の衆目の前に姿を晒す「Vライバー」として生業を続けているのだ。

常人であればとっくに心が折れてしまっているだろう。メタな話にはなるが、「勇気ちひろ」というキャラクター性とはその一切を覆い隠すためにある、と言ってもいいほど、当人は真逆でとても繊細な人間であるように見える。

そんな人が自ら表舞台に立ち、様々な人の様々な目線を浴び、時に罵声を飛ばされ、それでもなお笑顔は絶やさず、そんな生活をものの四年も継続している──大袈裟でなく、奇跡のような出来事だと思わざるをえない。こんなこと、いつ終わってしまっても不思議ではない。

繊細であれば反応も早く、ともすれば推しはまるで玩具のように見えるのかもしれない。叩けばすぐに反応を返してくれる便利なサンドバッグとわかれば、玩具で遊ぶのが楽しいと思える精神年齢の人間にはうってつけなのだろう。

本物の子どもであれば、そうやって玩具を壊した時、あるいは遊び飽きた時に、人として一歩成熟できるのだと思う。対して、大人はどうだろう。その先はない。叩いた分の時間も労力も、将来の何かに繋がるようなことはおよそない。標的が消えればまた次の標的を探す。永遠にそれを繰り返すだけ。これではまるでどちらが玩具かわからない

そうやって周囲に置いてけぼりにされたまま、皺の増えた得体の知れない顔に気づいてようやく理解する。「これが私なのか」と。一体、今までの時間に何の意味があったのだろう。他にやるべきことはなかったのか、と。

もうわかっているだろう。ここまで繊細でありながら、今日まで打ち勝てた、否、撃ち勝てた人が推し「勇気ちひろ」だ。四年、いや、もはやライバーとなる前からの彼女の轍が、なによりもそれを証明している。彼女は強い。弱さを正直に吐き出せることも含め、他の誰よりも強い

そして、あえてこう言いたい。繊細な人でよかった。その心があったからこそ、貴方は我々リスナーのことを見つけだしてくれた。だからこそ、我々も貴方のことをより一層推したいと思えることができた。

そんな気持ちにさせてくれたこの感動と、今でも配信を続けていてくれること、なによりも貴方と出会い、貴方を通して見知らぬ風景を見せてくれたこと、知ることができた今日までに、深い感謝を。


ありがとう勇気ちひろ
どこまでも追いかけます


だからこそ堂々と、そして何度でも私はこう言える。



ほら、そう考えると何だか
推してみたくもなりません?




推したくなるね。どこまでも。たとえ迷惑でも。フラれても誰かと付き合っても結婚してもどこまでもどこまでもどこまでもってこれじゃあその辺のアンチと変わんねぇんだわ。

ほんと、妄想だけのこんな記事をアップしてしまったこと、全方位に謝罪します。大変申し訳ない。厄介ガチ恋勢が意味もなく右脳をフル回転させると、ただの妄想からここまで繋がるようです。もうなんか才能ある思う。この能力、何かに生かせんものか・・・。

とはいえ、誰かを好きになれば相手のあーだこーだを妄想するのが煩悩ある人の理だと主張したい。だってこれだけの魅力があってさ、かつ可愛いのはもう反則でしょ。誰でも好きになるってそんなん。

ならば、真に綴るべき言葉はこうだろう。


ほら、そう考えると何だか
ガチ恋してゆけ


実る実らねぇで語るな。やるんだよ。そう自分に言い聞かせて今日も何とか生きています。なるほど、本当の玩具とは私のことですわ。GG。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?